1 タリス子爵邸
本日から最終章を開始いたします!
どうぞお付き合いの程、宜しくお願いいたします。
エストラヴィーユ王国の中には大小幾つかの領地がひしめき合っているが、大きくは七つの地方に分類されている。王国の中心であるのはオステンと呼ばれる領地だ。
オステン領は王都イースタンと幾つかの小さな町、そして田園地帯である都下地域を有している。その田園地帯のひとつにユイットがあり、都下地域の中では比較的大きな町のひとつであった。
ユイットは言うまでもなくセレスティーヌの出身地だ。
比較的長閑な街道を暫し歩けば、タリス子爵邸が見えてくる。
……残念ながら一応という言葉がついて回るであろう屋敷は、貴族の邸宅というにはボロい……いや、苔むしていた。
「まあ! セレスティーヌ!」
子爵家の庭先で家庭菜園のカブとニンジンを手にしていた女性が、セレスティーヌの姿を見て瞳を丸くした。
「姉さまっ!?」
そして学院に入る前だろう少年が、母の言葉に裏庭から走って来る。
「……お母様、ライアン。ただいま戻りました」
セレスティーヌはバツが悪そうに頭を下げた。
******
フォルトゥナ領とオステン領の境目に差し掛かろうかという辺りでアンソニーとカルロと別れることになったのだが、ふたりのみならず全員に実家に顔を出した方がいいと説得を受けたセレスティーヌ。
「一応ご実家には侍女をしながら旅をしているとお伝えしてはありますが、一度顔を見せて差し上げた方が良いと思いますよ」
アンソニーが真顔で言った。
「こんな若い女の子が屋敷を飛び出したらご家族はびっくりしちゃうよ? ……そりゃあきっと何か事情があったんだろうけどさ、元気な姿を見せてあげなよ」
無事と判っていても姿を見せてやれというカルロ。
「ご両親は怒ってやいませんでしたよ?」
アマンダにセレスティーヌの無事を知らせてやれと言われ、一番最初に報せに行ったのはジェイだ。更には得体のしれない高位貴族女性では納得しないだろうと思ったので、アマンダの正体であるアマデウスの侍女として同行させると話はつけてある……本当は侍女というよりは友人としてであるのだが、説明しても納得して貰えなさそうなので侍女ということにしてあるのだ。
「……アマンダ様はお帰りにならないのですか?」
セレスティーヌが往生際悪くアマンダに話を向けた。
アンソニーとカルロ、ジェイがアマンダを見る。
「……全然、全く心配していないから大丈夫ですね!」
アンソニーが真顔で言った。
「顔を見なくても元気なのは知っているから大丈夫だと思う」
無事と判っているので姿を見せなくても大丈夫だというカルロ。
「帰ったらご両親に扱き使われますからね? 旅がひと段落するまで、帰らない方がいいっす?」
いろいろなあれこれを呑み込み、含んでジェイがニヤニヤしている。
あれこれ言われ若干ムッとしながらも、アマンダも頷いた。
「アタシは了解を取って出て来てるから問題ないわよ。一緒に行ってあげるから、安心させてあげましょう?」
金色の巻き毛のズラを揺らしながらアマンダが首を傾げた。
「…………。解りました……」
ちょっと不服そうに上目づかいでセレスティーヌが頷いた。
同時に四人がホッとする。
(こんな顔をされたら、行かないなんて言えないわ……)
家族のために屋敷を出たはずの身としては、今更どの顔をして帰ればいいのかと思いながら、セレスティーヌは小さな唇を尖らせた。
『うきゅきゅ?』
そんな五人を交互に見ながら、キャロが小さく鳴きながら首を傾げた。
そして今に至る。
「本当に、もう……。肝が冷えましたよ」
そう言いながら子爵夫人は息子――ライアンに野菜かごを渡して、家族のためを想い屋敷を飛び出したセレスティーヌを抱きしめた。
「申し訳ございません」
「いいのよ。あなたの気持ちは解ります。……そこまで思い詰めることになってしまって、却って申し訳なかったわ」
夫人の瞳に涙が光っている。
「姉さま、僕はちょっと怒っていますよ!」
野菜かごを手に持ちながら、セレスティーヌと同じ色合いの小さな少年が頬を膨らませた。
「ごめんなさいね、ライアン」
そう言いながらセレスティーヌが優しく頭を撫でた。
「……ですが、いろいろしてやりましたね! お代官様もダニエルの奴もてんてこ舞いですよ」
ざまあみろとばかりの勢いで話すライアンに、子爵夫人が眉を顰める。
「ライアン、いけません。『ダニエル様』ですよ」
「はぁい」
ライアンは不服そうに返事をすると、セレスティーヌの後ろに立っている大女のフリをした大男を見上げた。
「……………………」
(……え、この方が『アマデウス』様……?)
子爵夫人も同じことを思っているのだろう。戸惑ったような困ったような、その両方のような。口には出さないものの本気かと言いたげな表情で眺めている。
実はジェイもアンソニーも、各地を内密に視察して回っているために変装をして旅しているとタリス子爵家の面々には説明してある。
……何のことはない、女装をしていることの言い訳である。
更に身分も身元も隠しているため、どこに目と耳があるやもしれないので、本名や身分、肩書を口にしないようにとも伝えてある。……いやいや、そんなことはただの嘘っぱちである。本当の身分をセレスティーヌに明かせないでいるため、時間稼ぎの戯言だ。
カルロが確認したところ、流石のセレスティーヌにも正体はバレているとのことであった。
でしょうね、である。逆にあそこまでよく誤魔化されたものだとすら思うほどだ。
アマンダが正体を明かしたくないなら今のままで構わないというセレスティーヌの優しさであるが、今後のことを考えれば身バレは他の人からではなく本人がするべきであろう。
「はじめまして。アマンダと申します」
アマンダは付け焼刃のカーテシーを行う。……当たり前ながら自ら行うことなど今までない事だが、生まれた時から何千回何万回と見てはいるのだ。
本来は挨拶を受ける立場であることは言うまでもないが、現在はただのアマンダであり、かつセレスティーヌの母親である。アマンダとしては自ら挨拶をすべきだと判断したのだ。
騎士の礼にするかカーテシーにするか、一瞬考えたが……一応TPOに則って(?)姿通りの挨拶をすることにしたのであるが。
目の前のふたりは何とも言えない表情でアマンダとセレスティーヌを見比べた。
「……ご丁寧に、恐れ入ります。ご挨拶が遅れました……タリスにございます」
「ライアンです」
何はともあれ、子爵夫人とライアンが丁寧に礼をとる。
「粗末な住まいでお恥ずかしい限りですが、どうぞ中へお入りくださいませ」
子爵夫人に促され、三人と一匹は子爵邸へと歩みを進めた。
お読みいただきましてありがとうございます。
本作は火曜・金曜日更新となります。
ご感想、評価、ブックマーク、いいねをいただき、大変励みになっております。
少しでもお楽しみいただけましたら幸いです。




