6-8 とあるロンド
一人の女性が月明かりの下、純白のワンピースをふんわり翻しながら帰路についていた。
行く先は街灯こそあるものの、この道はお世話に明るいとは言い難い。
暗闇に似つかわしくない麦藁帽子の下のその表情は闇に不穏を感じたのか少し険しい。
そう言えば、この付近で女生徒が不審者に襲われたと聞く。
ため息をついた。
ーー面倒な事にならなきゃ良いけど……。
カツリ、と乾いた革靴の音が後ろから聞こえる。
顔が少し強張るのを感じた。
確かに自分以外誰も近くを歩いていなかったはずだ。
考えられるのはひとつだけーー。
意を決して振り返る。
「こんばんは、麗しいお嬢さん」
男が一人、立っていた。
男はまるで西洋の絵画か何かから抜け出して来たような壮美的な雰囲気を漂わせていた。
しかし、甘美さと共に他に言いようもないおぞましさを持っていた。
「今宵の月が特に綺麗であっても麗らかな乙女が夜を出歩くのは感心しませんね」
眉を小さくひそめた。
男が歩み寄る。
蛇に睨まれたカエルのように、或いは魔術に掛かったように、身体が硬直する。
「……女性を襲っているという変質者とはあんたのことか?」
静かに絞り出す声。
それに対し、男は困ったように笑った。
「それは酷い言い様だ」
「ーーだが、事実だろう?」
「面白いお嬢さんだ」
男の指がその細い首筋を撫でる。
チクリと小さな痛みと共に首元に流れる赤い筋。
何時でも命を奪う事が出来る、とでも言いたいのだろうか。
だが、その目は反逆の光を帯びていた。
男がその光を、豪胆な女性だ、と笑う。
「いいでしょう、我が名はーー」
「ムルシュラゴ・アルナイル……いや、ウェスペルジオ、だろ?」
「……む、貴女は」
今度は彼が眉をひそめる番だ。
その一瞬を見逃さずムルシュラゴの腕を払い素早く蹴り放つ。
左の前蹴りの威力は女性の、いや、地球人のそれを大きく凌駕しており、彼をいとも容易く数m突き放した。
瞳がキラリ微笑み、地を駆ける。
「ーー変身……!」
呪文と同時に隠し持っていたフェザーエヴォルダーを引き抜く。
緑の光が包み、一人の鳥人に変える。
時間にしてコンマ一秒も掛からなかっただろう。
その身のこなしに、そのスラリと伸びる肢体に、その艶やかな翼に……ムルシュラゴは目を奪われてしまう。
我に返った時には逆に首元に緑の宝剣が突きつけられていた。
「待ち焦がれていたよ。 もう探し出せないじゃないかと思ってた」
美しいーームルシュラゴは素直に思った。
それでいて迷いが無い。
成る程、ラウが一目置いているだけはある。
「疾風の…プレステイル」
彼が恋人の名の呼ぶように甘ったるいため息声で呟く。
その声はプレステイルには届かなかったが、剣を持つ左手に怒りと力、或いは屈辱がこもる。
「……お前を、倒す。 完膚なきまでに」
脳裏によぎる相棒とナユタのノリに乗ったあの女子高生テンション。
あいつが何処か遠くで見ているかと思うと更に力が入る気がする、主にイラつきで。
………
………………
………………………
ほんの4、5時間前の事だ。
「ーーこれはなんだ?」
セツナは眉をひそめ怪訝な表情をした。
目の前には赤いの布地、……スカートとも言う。
「スカートだよ?」
ナユタが無邪気な目で首を傾げる。
見れば分かるでしょ? 、そう言いたげだ。
「いや、それは見りゃあ分かる。 ーーじゃなくてなんでそれを今なんで取り出した?」
「セツナくんに似合いそうかな、って思ったの」
えへへと笑う。
対してセツナは明らかに不機嫌になっていく。
ーー僕を女装って何が楽しいのさ。
「あ、やっぱり事務所がNG出してるかな?」
「……僕は芸能人か何かか?」
セツナが呆れに冷たい視線を繰り出す。
彼女が残念そうにごそごそと仕舞う。
「ご不満?」
「あぁ、とっても。 おびき出す役はバーディがやればいいだろ」
そうだ、バーディがいる。
彼女であれば、普通の女の子であるナユタであるまいし、変質者に遅れは取ることはないだろう。
わざわざ自分が女装する必要は無い。
隣にチョコンと座ってるバーディを見る。
彼女は視線を返し話す。
「ふっ、言ったろう、私が生理的嫌悪を覚えると」
「威張って言う事か」
ジトっとセツナ。
バーディが思い出したように言う。
「それに地球上では私だけの力では本来の3割も出せないのだよ」
「初耳だな、それ」
「言ってなかったか?」
キョトンと首を傾げた。
重要な事は何時も抜けている。
天然なのか、抜けているのか、はたまたセツナを騙そうとしているのか……本当に彼女を信用出来るか? そんな気さえした。
もっとも、騙す気は無いのはセツナ自身分かっていた。
伊達にバーディと一体化し、数々の死線を潜り抜けていない。
「セツナも素早い対応が出来て良いじゃない?」
「もっともらしいこと言って押し付けようとしているだけじゃないのか?」
ギクリとバーディ。
「あー、躊躇ってる暇はないぞ、セツナ。 今この瞬間にもケイは……」
「色々と卑怯だぞ、お前」
ため息のセツナ。
ーーまぁ、しかし、これも仕方ない…か?
セツナがぼんやり考えた始めた、次の瞬間今まで静かだったナユタが何かを取り出した。
「はいコレ、セツナくん」
「これ……体操服?」
「うん、ブルマの」
「馬鹿なの? 死ぬの?」
絶対零度に等しい視線を浴びせる。
何故それを着せようとするのだ、悪い意味で目立つ以前に果てない恥辱だ。
「セツナくんの御御足なら未発達な少女の儚さと瑞々しさを再現できるかな、と思いまして」
「ああ、やっぱりお前は色々と凄いな」
ナユタが、いやぁ、と照れ照れに笑う。
「褒めてねーぞ」
セツナはすかさずツッコむ。
唯さえ女装についていい思い出は無いと言うのに。
「しかもまだ僕は女装することに納得してないぞ」
「えぇ、そんなこと言わずに絶対にカワイクしてあげるから、さぁ?」
彼女が次の衣装を取り出す。
それは紺色の生地。
「だぁ! 僕にスクール水着を着せて一体誰が得するだよ!」
「主にわたし……かな?」
「特殊過ぎるぞ、その性癖! ……なぁバーディもコイツを黙らせるのを手伝ってくれ」
ナユタに比べ冷静なバーディならきっと彼女の暴走を収めてくれそうだ。
しかし、バーディはふぅとため息を一つ、緑の光に包まれる。
パサリと落ちる彼女の服。
その布の重なりから緑の小鳥が這い出て、そして、セツナの頭にツイッと飛び止まる。
「全く……じれったいな、セツナは」
「ーーあの、バーディ……さん?」
思わず、さん付けで呼んでしまう。
バーディはまた息をつくと、また緑の光にそしてプレステイルへの変身アイテムであるフェザーエヴォルダーに変化した。
『いい加減覚悟を決めれば良いではないか?』
「ーーまさか、お前……!」
頭の中で響く彼女の悪夢にも似た声。
セツナとバーディは言わば一心同体である。
彼は彼女の力を振るう事が出来る。
逆に言えば、彼女が彼の力を振るう事も可能だ。
彼女の支配から必死に抵抗しているセツナをキョトンとした顔で眺めていたナユタだが、やがて彼女の意図を理解し納得した。
ナユタはセツナににじり寄る。
「そう言う事なのね? そうなのね!」
終わりの無いディフェンスの最中、ナユタの笑顔を見た。
以前、彼女の笑顔は暖かな太陽のようで眩しいと評したが、……この時ばかりはいつもの笑顔が深淵から覗く目のように絶望を写しているように思えた。
「ちょ、やめ……お前ら……!」
夕暮れにセツナの必死の叫びが虚しく響き、蝉時雨に掻き消されていった。
………………………
………………
………
「ーーああ、思い出したらまたイラついてきた……!」
「は、はぁ、何やら理解できませんが、貴女の怒りは理解しました」
その言葉にプレステイルは更に怒りのボルテージが上がりそうになる。
左手の剣を強く突き付けた。
「お前に何が分かるのさ」
「確かに怒りの火種など私には到底想像はつかない。 しかし、その焔はやがて四方を焼き尽くし貴女の美しい身すら劫火に巻くだろう。 そうなる前に私は雨風となり貴女を包みたい。 さすれば、灼熱の紅炎も皆を照らす暖かな永遠の太陽となるだろう。 成就された時、私は貴女の隣で皆を見守る月光となろう」
全く意味が分からない。
その芝居掛かったセリフをスラスラと一息で言ったのはある意味賞賛はするが、全く意味が分からない。
全く意味が分からないので、プレステイルは逆に冷静になり左手の剣を振りかぶりセリフが終わると同時に剣が緑の閃光を残した。
ムルシュラゴがフッと笑う。
「ーー見えましたよ」
空を切る剣。
ムルシュラゴは両断される瞬間、文字通り消えた。
ポーカーフェイスを崩さずにはいられない。
「何処だ…何処に行った」
「やれやれ、せっかちな方だ」
「そこか、スナップラフィカ!」
彼の声に反応し、振り向くよりも早く羽根をダーツのように飛ばす。
響く金属音、遅れて地面に突き刺さる羽根。
プレステイルは月光を見上げた。
「貴女は美しい」
チカチカと点滅する街灯にはムルシュラゴが逆さに、まるで蝙蝠のように吊り下がっていた。
背負う満月が神秘的に、……いや、不気味な光を携えていた。
「しかし、その美しさは平穏の中ではくすみ衰え消え行くのを待つばかり……。 闘いの中でしか輝けないのならば、私がその儚い光を永遠のものとしてみせよう」
「ーーなら僕はお前に終幕を贈ろう」
長々と意味が分からないセリフを聞かされウンザリしていたところだ。
プレステイルは剣をムルシュラゴに向ける。
「いえ、これから始まるのですよ、第二幕がね。 ーー変身」
ムルシュラゴが闇に包まれ代わりに現れたのは細剣を持ったコウモリ男と言うべき存在。
ある種の高貴さと恐ろしさを同居したその存在に畏怖を感じざるを得ない。
ムルシュラゴ、いや、ウェスペルジオはそのマントのような翼を広げた。
「ーーさぁ、第二幕……仮面武闘会の開演と行きましょうか!」
ーーそして、獲物目掛け羽ばたいた。




