3-7 ワイルド・ファング
この街で一番高いビルの屋上に風が吹き抜ける。
頬を撫でるとかそんな柔なそよ風ではない。
身体を打ち付けるような突風だ。
その中を一人の男が気にも止めず立っている。
ラウだ。
「ーー小さい狩場ならば」
ラウは眼下に広がる街を、雑踏を見下ろす。
この星の都会ではないのだが、大通りの人通りは街の規模に対しては多い部類であろう。
彼が知る由もない事であるが、この街、大空市は中核市に設定されており、ここ数十年で急速に発展を遂げてきている。
その成長度は数年もしない内に政令指定都市に指定されるだろうと言われている程だ。
「ーーそれなりの雑魚しかいない」
ラウは一人の少年が地上から青空を背景に立っている彼を見上げて、いや、睨みつけているのに気がついた。
普通の人間であれば高層ビルの屋上にいるラウを睨みつける事はおろか、捉え認識することは不可能に近い事だ。
ましてや敵意を向けるなど……。
「ーーだから俺はいつも腹ペコだ」
ラウの口が邪悪に歪む。
彼の声は少年には聞こえていないだろう。
だが、 互いが互いの敵意に似た殺意を認識するのには十分であった。
少年は逡巡し、そしてそれを振り払うかのようにラウを見返す。
待っていろ、暗にそう言っているようだ。
彼は人ゴミを掻き分け、そして人混みに紛れて行き見えなくなった。
「ーー果たして貴様は満たしてくれるのか? ……なあ暴風……!」
激しいうねりと共に暴風がビルの屋上に静かに降り立つ。
彼は右腰の何もない空間から真緑の宝剣を引き抜くとそれを正眼に構える。
「お望みどうり来てやったぞ、宇宙海賊野郎」
「よく分かったな、プレステイル」
「馬鹿にしてるつもりか? あれだけの敵意を気付かない奴はそうそう居ないぞ」
彼は邪悪な笑みを崩さずに首を横に振る。
さっきまで晴れていた青空に暗雲が渦巻いた。
太陽を覆い尽くし、代わりに雷鳴が響く。
「俺は嬉しいんだよ、言葉が通じてくれてな……! ーー変身!」
一瞬の稲光と閃光、爆雷。
身体に雷が迸り、そしてそれが肉体を変換させ形作っていく。
やがて強烈な光は次第に収縮していった。
「この姿の事をお前の星では狼男と言うらしいな」
「知っているなら、満月の晩だけ暴れていろよ」
「腹減りゃ狼も暴れるさ」
ラウ、いや…狼男がフッと嗤う。
どうやら目の前のバードマンは見た目に反して肝は据わっているようだ。
「雷神のウェアヴォルト…それが俺の二つ名。 ーーそれがお前が最期に聞く名だ」
銀の毛並みがバチバチと音をたてて帯電する。
ウェアヴォルトの口元からニヤリと鋭い牙が覗き、その長い爪を構える。
それに対応し、息を静かに吐きながらプレステイルが緑の宝剣を構えた。
「ーーお前に恨みはないが……俺の腹を満たしてくれよ……!」
セリフと共に跳躍、一瞬も置かず雷撃のような攻撃がプレステイルを襲った。
彼はそれを剣で受け流しつつ、懐に飛び込む。
「なら腹を掻っ捌いてやるだけだ!」
プレステイルはグッと右手に力を込め、右腕の翼を硬質化させる。
ブレイドバラムーー飛び込んだ勢いのまま、それを振り抜く。
煌めく鋼の翼がウェアヴォルトの腹を切り裂くーーはずであった。
「……ほう、速いじゃないか。 だがーー」
鋼の翼は爪に阻まれていた。
プレステイルは驚くことなく右腕に力を込める。
その様子を心から愉しむように牙が光った。
「どうした暴風? これではそよ風でしかないぞ?」
少し力を込めるだけで鋼の翼はやすやすと押し戻されて行く。
プレステイルが歯を食いしばる。
ギリッと音が聞こえそうなくらいだ。
「ーー凪の後には嵐が起こるんだよ…!」
プレステイルは力を込めていた右腕を素早く引き、そしてその勢いを殺さずに左の剣を横薙ぎに振るう。
彼は切っ先を悠に見てから避け、すかさず左の爪で反撃する。
捉えたぞ!ーーそのときプレステイルの仮面、額の中央に位置する赤い宝石が強い光を放つ。
「ーー加速……!」
爪が彼に届く寸前、緑の残像を残し姿は幻のように消え、結果ウェアヴォルトの攻撃は空を切る。
こっちだーー彼が反応した時にはプレステイルの斬撃は首筋を捉え迫っていた。
しかし、ウェアヴォルトは驚くことなく、むしろ逆に失望していた。
狙いが正確で安直すぎるのだ。
これではあたかも殺してくれ、と言っているようなものである。
プレステイルを迎撃すべく怒気を拳に込め放つ。
いや、こっちだーー放たれた拳は幻影を撃ち抜き、それは露と消える。
ウェアヴォルトの身体は感情が驚愕をする前に別方の敵意に反応した。
だが気付いた後ではもう遅い。
再出現したプレステイルは彼の傍を潜り抜けつつ剣で彼の腹を切り裂いていく。
「ーー人喰い狼は猟師に腹裂かれる運命だ」
プレステイルが紅く黒く染まった剣を一振り血を払うと緑の宝剣の輝きが蘇った。
腹をゆっくり撫でる。
紅く染まる左手。
目が眩む程の痛み。
感じる、躍動する心を。
「ーーくくっ、クハハハっ!」
「……な…!? 狂いやがったか…!」
「いや、違うなぁ……俺は楽しくて仕方ない!」
久しぶりだ、こんな痛みは。
二つ名は伊達や酔狂でないということか。
プレステイルは不機嫌そうにセリフを吐き捨てる。
「ああ、そうかよ。 それならもっと面白くしてやるよーー。 加速…!」
再び額の赤の宝石に光が宿り、プレステイルは文字通り分身した。
ウェアヴォルトは、ほぅと感心したように目を細める。
更に加速!ーー同時に二つの赤い宝石が輝く。
二人のプレステイルは更に分身し四人となる。
大きな口もそこまでだーープレステイル達は剣を全く同じタイミング、同じモーションで構える。
そして、同時に跳躍し、四つの軌道を描きウェアヴォルトに襲いかかった。
「ーーその剣は全てが虚であり、全てが真、といったところか? ……だがなーー」
迫る剣撃に対し、ウェアヴォルトは構えを解き薄く笑う。
終わらせてやるーープレステイルは一瞬怪訝な表情をしたが、作られた隙でもその隙をつくことを優先した。
何を企んだとしてもこの攻撃の前では無力であろうから……そう確信していた。
四つの剣が襲い掛かる直前、ウェアヴォルトはあろうことか、振り返り虚空を手を伸ばし掴む。
「!?」
四つの幻影は剣が届く前に消え失せ、ウェアヴォルトのその手には宝剣の刀身が握られていた。
その先にいたプレステイルは驚愕の表情をしたがすかさず手刀を振るう。
バチリと蒼白い稲光がウェアヴォルトの身体を奔った。
ーー気付いても既に遅い、光より速い物は無い。
「ーー!」
電撃に阻まれ手刀が届かないどころか、逆に迅雷はプレステイルの身体を駆け抜ける。
声にもならない叫び、意識が吹き飛びそうな痛み。
雷撃はプレステイルをやすやす弾き飛ばし、彼の身体は地面に叩きつけられた。
「ーーぐ……強い…!」
感謝すべきはこの身体か。
生身であったなら、無事ではすまなかったはずだ。
ほう、と感心しながら歩みよる狼男。
「ーー対象物を加速させる能力か……」
それが分身のトリックだ。
超スピードで行動することにより、あたかも分身したかのように残像を見せていた。
「面白い事を考えるが……一通り撹乱した後の攻撃経路は大体決まってるもんだ」
「お見通しか」
「素直過ぎるんだよ」
ウェアヴォルトはプレステイルを止めを刺すための力が手にこもる。
さらばだーー振り落とされた拳は圧倒的な風圧を伴い辺りを吹き飛ばす。
「ーーこの馬鹿力が……!」
振り返るとプレステイルが剣を杖代わりにふらふらと立っていた。
額の宝石に光が灯っているところを見るに寸前に加速し避けたようだ。
ウェアヴォルトがニヤリと牙を見せた。
「俺としては粘り強いことは嬉しいがーーもう限界じゃないか?」
「……うるさい……!」
本来この能力は、物体専用の能力である。
例えば、投げた石を投げた瞬間以上のスピードに加速させたり、ロウソクの上で燃える火の燃焼速度を上げて一瞬でロウソクを溶かしたり、あるいは空気を高速で動かし風を巻き起こしたり……と言った具合にだ。
一見万能な能力に思えるが、生物……自らの身体にとっては話は別である。
高速で行動し活動することはそれだけ身体への反動が多いということ、即ちそれは命を削る行為に他ならない。
それだけに制限された能力であり、今のプレステイルがそれを使用するには多大なリスクが存在する。
「ーーまだ、終わらせない……!」
全ての手を防がれてなお、その敵意を消さない彼を見て妙に懐かしく思いフッと笑う。
一瞬彼が怪訝な表情をしたが、また剣を構える。
「何が、可笑しい……!」
「お前には強くなって欲しいものだ」
拍子抜けしたかのように聞き返す。
「どういうことだ?」
「お前は自らの能力を使いこなしている。 だが、この可能性をここで止めていいのかということだ」
「……は、はぁ……」
ウェアヴォルトからは既に敵意を感じない。
だが……悪意は感じた。
彼はまるで舞台で役を演じているように大袈裟に両手を広げ言う。
「俺はお前に期待している。ーーだから」
その手のひらには大量の黒いビー玉のような物体。
彼は直感的に危険を感じ取り剣を構えた。
宙に投げられる黒いビー玉。
彼が見ている中、まるで風船のように膨らみ破裂の連鎖を繰り返していく。
「ーーこれくらいの試練は乗り越えろよ?」
破裂の渦の中から人型の怪人が現れる。
一体や二体ではない十何体も、である。
それは一直線に地上を目指して降下して行く。
狙いはこの街、全ての存在だ。
次の瞬間には地上で炸裂する閃光と阿鼻叫喚。
あそこにはあいつが……!ーー絶望さえ感じる間もなく気付いた時には狼男に突っかかっていた。
「貴様…!」
「言っている暇があるなら行ったらどうだ? 人造兵士は頭が悪くてな、見境なく破壊をするぞ?」
「クッ……!」
プレステイルが毒づき、翼を広げた。
そして、羽ばたき下降する瞬間ウェアヴォルトの方を振り返り強がり叫ぶ。
「僕が貴様を必ず屠る。 覚悟しておけ」
彼の返事を待たずに羽ばたき落ちて行く。
ウェアヴォルトはその様子を満足そうに見ていた。
「その時を楽しみにしているぞ、暴風」
雄叫びにも似た笑いを残しウェアヴォルトが虚空に消えて行った。




