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月琴の魔法使い 〜月夜中学校バイオスフィア部の日々〜  作者: MUMU
第二章 赤バニーおおいに怒る
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第十一話「第二の鍵とは、役割」





「なあなあ、やっぱ神咲ささか先生ってめちゃくちゃ美人じゃねえ?」


体育館の一角にて、クラスメートの男子が肘で小突いてくる。僕は何気ない風で答える。


「そうかな、普通だよ」

「そんなことねえって! モデルかと思ったよ」

「そうそう、なんつーか清潔感あるよな。白のシャツもいいけどパーカー姿もいいよな。深窓の令嬢みたいな」


深窓の令嬢の対義語ってバニーガールな気がする。


今の神咲先生は灰色シャツの上から白のパーカー。下は膝丈のハーフパンツで首からホイッスルを下げ、髪を白い帽子の中に格納している。つまり体育の授業中である。


「では次、竹取くんから向井くんまで前に」

「はい」


男子が出席番号順に6人ほど立つ。僕たちの前にあるのは白くうずくまる布地と金具の集合体。練習用のダミー宇宙服である。


「着用の手順は把握していますね。先生が笛を吹いたらスタートするように、目標タイムは8分です」


僕は少し腰を沈めて重心を落とす。ヘルメットの位置と角度から、どういう形になっているかを見極める。神咲先生の前で本気になるのはなんかシャクだけど、この授業だけは手を抜けない。


ぴ、と笛が吹かれる。布地の集合体に突進するイメージ。


まず体操服の上から高分子ポリマーを充填した厚手の下着をつける。いわゆるオムツだ。これはもちろん。宇宙服の着用が非常時と同義だからだ。真空状態で助けが来るまで待機するためには必要なのだ。


次に下半身。宇宙服には大きく分けて腰から上下に分かれるセパレート型と、背中に切れ目があり着ぐるみのように入っていくタイプがある。これはセパレート型だ。


宇宙服はとにかく分厚い。まず裾の部分を寝かせる形に整えて、滑り込むように足を入れる。

ゆっくりと膝立ちになって、次に上半身。気が滅入るぐらい重い。ダミーとはいえ背中に大きな生命維持装置を背負ってるからだ。力まかせに着ると転倒の危険があるため、ちゃんと手順がある。宇宙服をうつぶせの形に置き、這うように入っていくのだ。


そして寝たままで腰を引き上げると、ジョイント部分が自動でロックされる。そして両手をついてゆっくりと起き上がり、三角座りの姿勢に。そこから片足ずつ立ち上がる。


「終わりました」

「よろしい、タイムオーバーは竹取くんだけだね」


タイムはと言うと11分27秒。もう他の男子は脱ぎ始めている。


仕方ないじゃないか、めっちゃ重いんだから。





「先生ってぜったい性格悪いと思うんだ」


月夜中の庭園エリア。ベンチで不来方さんとお弁当を広げる。今日はかた焼きそばらしい。魔法瓶の中のあん・・を油で揚げた麺にかけてる。麺も小麦粉から作ったそうだ。サヤエンドウとかウズラの卵が入ってるから中華風のあんである。


「そうなの? 竹取くん宇宙服の授業楽しみにしてたのに」

「平たい場所で一人で着るなんて想定は非現実的なんだ。普通は二人一組で着るんだよ。仮に一人しかいなくても、宇宙服はたいてい着脱用のラックに吊ってあるから簡単に着られるんだ」

「そうなんだ」

「それに11分は許容範囲だと思ってほしいよ。昔は着るだけで1時間半もかかったんだ」

「え、ほんとに?」


うん、まあ、ちょっと話を盛ってるけど。少し長くなるので興味がある人だけ聞いてほしい。


宇宙服で船外活動をする場合、周りは当然真空なので、宇宙服の内外で気圧差が生じる。そのため宇宙服は風船のように膨れてしまう。


もし内部を1気圧に与圧した場合、宇宙服の膨張はとても船外活動できるレベルではなくなってしまう。最悪だと破損の恐れすらある。そのためアメリカでは内部を0.3気圧に与圧していた。


これだと宇宙飛行士はかなりの減圧に見舞われるため、体内の窒素が低圧環境で血中に溶け出すという現象が起こる。いわゆる減圧症ベンズだ。関節や筋肉の痛み、頭痛にめまい、重篤な場合では意識障害を起こしたり、死亡することもある。


これを防ぐため、宇宙飛行士は船外活動の前に純粋な酸素を長時間呼吸し、窒素を体外に排出するプレブリーズという準備を行う。これに時間がかかるのだ。


「ねえ竹取くん。そんなに気圧の低い環境だと宇宙飛行士が高山病になったりしないの? 伊勢先輩がやってる着具武道スーツタクティクスなんて、宇宙服のままで戦うんでしょう?」


非常にいい質問だ。簡単に言うと高山病になるのは呼吸によって取り込む酸素量が肉体が想定しているより少ないからだ。宇宙服内は低圧ではあるけど、酸素濃度を高めているので高山病とは無縁なのだ。  


ちなみにロケットで宇宙に行く際、宇宙飛行士は事故などに備えて与圧服を着る。急に高度を上げたら高山病になるのではと心配する人がいるけど、もちろん宇宙ロケットの内部は一定の気圧と酸素濃度が保たれてるので問題ない。


プレブリーズの話に戻ると、かつてNASAではプレブリーズに一時間かけていたけど、同時期のロシアでは与圧を0.4気圧にすることでこの事前準備を短縮していた。


宇宙服を0.5気圧に与圧できればこの作業は必要ないと言われるけど、それはなかなか実現できていない。身体にぴったりとフィットして動きやすく、それでいて内部は高く与圧。これはまったく相反する目標なのだ。


今の宇宙服はどうか。月面開発に参加してる国によってもいろいろだけど、格段に進歩してるのは間違いない。


かつて14層あった生地は11層に。基本的には一人で着脱できるものがほとんどで、肘など関節部が折り曲げやすくなっている。より高級なモデルにはパワードアシスト機能があり、宇宙服だけで船外活動をさせる。つまり簡易的な船外活動ロボットとして使えるものもある。


重量はというとアポロ時代には82キロあったのが、ISSの時代には平均120キロ。現在では機能をさらに向上させた上で112キロにまで抑えている。もちろん月面では重量が1/6になるけど、それでもかなりの重さである。


ちなみにさっきの練習用ダミーは下半身が10キロ、上半身が12キロある。着具武道スーツタクティクスで使われるものと大きな違いはない。


総重量は22キロになるけど、これはつまり本物に対して正確に1/6になってない。むしろちょっと重い。意味不明である。これについては文科省に匿名で抗議のメールを送ったこともあって。


閑話休題。


かた焼きそばは実に美味しかった。あの黒いキクラゲ? とかいうのも美味しかった。クラゲの仲間があんなに美味しいなんて意外だなあ。


「それで、伊勢先輩ってやっぱり赤バニーさんなのね」

「間違いないと思う」


僕は調べたことを報告する。銀バニーこと神咲先生に会ったことも。


「先生ってなにがしたいのかなあ? 竹取くんを焚きつけてるみたい」

「分からない。遊んでるだけなのかも」


神咲先生は事態のすべてが見えているのだろうか。その上で僕に解決してみせろと言うのか。僕をテストする題材に人の人生を使うなんて、あまりにも悪質だ。

僕がそう言うと、不来方さんは眉を下げて言う。


「うーん……神咲先生、そんなに悪い人には見えないけどなあ」

「悪いやつだよ。すでに警察の内部情報まで入手してる。監視カメラも乗っ取ってる」

「それはそうだね」


まあ、恨みごとばかり言ってても仕方ない。問題は伊勢先輩のことだ。


「いわゆる二重人格ってやつかな……。伊勢先輩の中に「伊勢華乃香」という別人の人格がある。それになりきってしまってる」

「それって、やっぱりダメなことかな」


言われて、僕ははたと考える。

別に問題はないのだろうか? 月夜町ナイトファイトはアングラな興行だけど、そこまで悪質なものにも見えない。

警察に補導でもされればどうなるだろう? 犯罪歴がついて、キャスターガードになるという伊勢先輩の目標が頓挫する? なくもないけど、そもそもあの興行はかなり長くやってるっぽいし、これまで警察の手入れが入ったなんて話も聞かない。


不来方さんは。


彼女は空を見てる。つられて僕も見上げれば、白雲たなびく中に白い球体。白昼の月だ。


「ねえ、不来方さんはどう思う?」

「え?」


不来方さんは、いま呼び止められた人のように顔を向ける。


「ごめんなさい。ちょっとぼおっとしてて」

「そうなの? まあお昼食べたばかりだからね」

「そうじゃなくて……」


不来方さんの指が、控えめに天に伸ばされる。


「なんだか……月が黒っぽいなあって思って」

「黒っぽい?」


もう一度見る。白い月だ。


確かに、月というのは実は暗い星だ。その表面の反射率は7から10%。地球が約40%、金星は85%あるから、比べるとかなり暗い。おもに太陽光を反射するのは雲だからだ。


そういう意味かなとも思ったけど、不来方さんは首をひねる。


「ううん……今は白く見えるの。でも時々、月が黒っぽく感じることがあって」

「ふうん?」

「ごめんなさい。伊勢先輩のことだよね。でも何だか、悪い予感はあまりしなくて」


少し眠気があるのだろうか? 目をぱちぱちと瞬いてから言う。


「伊勢先輩……と、従姉妹のお姉さんが、しっかりと抱き合ってる、ようなイメージが」

「いや、伊勢華乃香という人はいないんだよ。赤バニーさんは伊勢先輩、伊勢穂香、舞台にいるのは一人だけなんだ」

「そうだよね、ごめん。私、なんだか色々なことがあって、混乱してて」


……不来方さんも、心配が完全に解消されたわけじゃない。


早く大人になりたい。結婚して子供を作りたい。それを果たすまでに死んでしまうことが怖い。あまりにも早熟ではあるけど普遍的な願いとも言える。


僕は不来方さんと結婚したけど、子供はさすがに難しいし、不来方さんもそこまでは求めない。


今の関係が、果たして不来方さんの不安を和らげているのだろうか。僕は彼女の助けになってるだろうか……。


「不来方さん、そういえば父さんが一度挨拶したいって言ってたんだ。一緒に食事もしようって」

「うん、そうだね。竹取くんのお父さんかあ、小学校の運動会とかで見かけた気はするけど……」


その時、予鈴が鳴る。僕たちはお弁当を片付けて立ち上がる。


敷地のあちこちから生徒が出てきて校舎へと向かう。月夜中の生徒は百人もいないけど、庭園は人気スポットなのでたくさんの人がいる。


「あ、先輩」


不来方さんが手を挙げる。そして僕も気づいた。伊勢先輩だ。別の場所でお弁当を食べてたらしく、僕たちに並ぶように歩いてくる。


「あら、二人とも外でお弁当?」

「――はい」


返答が少し遅れた。


「そう、天気がいいからね。じゃあまた部活で」

「はい、じゃあ、また」


去っていく伊勢先輩を、僕たちは立ち止まったまま見つめる。その背中がアクリルスタンドの2次元キャラみたいに思える。現実的な人間ではないかのような。


昼休みの予鈴は2回。昼休みが終わる5分前と2分前。


2分前の予鈴が鳴っても、僕たちはそこを動けなかった。いま見たものを、互いに目線で確認し合っていた。はっきりと言葉に出すことに、恐ろしさが。


「……い、今の人」

「……不来方さんも、そう思った?」


外見は何も変わらない。明るめの髪をショートボブに。すらりと背が高く、スポーツ万能でありながら知的な優美さを残す美人。


だけど、人が人を見分けるということ。その神秘的な感受性がアラートを告げる。


あれは、伊勢いせ華乃香かのかである、と。


「異常なことは異常なままでは終わらない」


声に振り向く。神咲先生だ。


「せ、先生。何してんだよ。もう2回目の予鈴鳴ったよ」

「知らないのかね? 先生が来なければ授業は始まらない」

「ニセ教師め」


悪態をつく。ホントになんなんだこの人は。

不来方さんはと言うと僕よりは冷静だった。胸の前で手をぎゅっと握って口を開く。


「先生、異常なままでは終わらないって……」

「異常なことというのは摂理の輪に乗っていないからだ。循環は訪れず、やがては結末を迎える。それが望んだ形かは分からないがね」

「まさか……伊勢先輩が、伊勢華乃香という人物になっちゃう……ってことですか?」


そんな馬鹿な、それは先輩の想像上の中にしかいない人物で……。


「二人とも、よく聞くのだよ」


身をかがめて、声をひそめる。もう授業が始まる時間なのに、僕たちも動けない。


「第二の鍵とは、役割」

「役割……?」

「そう、人は生きていく上で、社会における自分の役割を見つける。大工に向いてるものは大工に、銀行家は銀行家に、必ずしも能力だけではなく、親から受け継ぐとか、椅子取りゲームで勝ったとか負けたとかでも決まる」

「それが何だって言うんだよ」


言う僕の額に、先生の細く長い指がとんと置かれる。


「伊勢穂香はキャスターガードになるはずだった。そのために努力してきたし、十分な教育を受けてきた。しかし伊勢華乃香はそうではないようだ。そこに事態の鍵がある」


伊勢華乃香は、そうではない……?


先生は薄く笑い、僕たちの頭にぽんぽんと手を乗せる。

そして校舎に向かって、クラウチングスタートの構え。



「よし、じゃあ教室まで走ろうか、青春らしく」

「嫌だよ」


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