後日談 王妃フラヴィアは雪の王国へ向かう
「その、……もしかしてなのだけれど、……あなたには前世の記憶、のようなものがあったりするのかしら」
フラヴィアはどぎまぎしながら尋ねた。すると目の前の女性はぽかんと口を開けた。
ーーやってしまった……。フラヴィアは思わず頭を抱えたくなった。
公務で別な大陸にあるネージュニクス王国へと行けるようにしてくれたのは、クラウスだった。夫婦二人同時に国を離れることはできず、フラヴィアは三番目の息子を連れて国を出た。
ほとんどが船旅で、この国に滞在できるのはほんの数日間の短い時間だ。その中で、なんとか目的の相手との茶会に漕ぎ着けることができた。
息子は視察へと追い出し、周囲には怪訝な顔をされながらもなんとか二人きりの時間を持つことができたその相手は、フルール・ルル・ネージュニクス。
雪に閉ざされた小さな王国の第二王子の妻で、――チェリーの生まれ変わりかもしれないと思っている人。
銀色の長い髪に、冬の湖のような淡い青の目をした雪の妖精のような可憐なその人を前に、フラヴィアは珍しく緊張していた。
事前に用意していた言葉がすこんと頭から抜けて、単刀直入に尋ねてしまうくらいには。
彼女はこぼれ落ちそうなほどに目を見開いて、それから頬を紅潮させ、がっとフラヴィアの手を取った。
「ああ……! まさかこんな偶然があるなんて……」
フルールの感極まったような声に、フラヴィアは嬉しくなって涙ぐんだ。しかし、続いた言葉は思っていたものではなかった。
「フラヴィア様も、前世の記憶をお持ちなのですね。ニホンの方であっていますか? そちらもオトメゲームの世界なのですか?」
フルールは興奮したように早口になり、意味のわからない単語がぽんぽんと出てきた。
確信していただけに落胆は大きく、フラヴィアは次に続ける言葉を紡ぎ出せずにいた。フルールのその言葉を聞くまでは。
「――そちらではなにか大きな問題はありましたか? 婚約破棄など」
「婚約破棄ですって?」
そしてフラヴィアは知ることになる。
別な世界の存在を。そこで生み出された物語の中に、この世界のことが綴られていることを。しかも、フルールの身に起きた出来事は、フラヴィアが体験したものに酷似していたことを。
「私は病弱な子どもだったんです。重い病気でずっと入院していて……」
そして、フルールが、チェリーの生まれ変わりではないということを。
「私ばかりお話してしまって申し訳ありませんでした」
フラヴィアが黙り込んでいたからだろう、フルールはばつが悪そうに言った。
それからふと、コンソールテーブルの端に置かれていた包みに気がつき、立ち上がった。
なにか一言いうと包みを開けはじめたが、フラヴィアは気がついていない。
「これは……?」
フラヴィアがぼんやりとそちらを見ると、フルールが手にしているのは、妖精エカチェリナリアの遺産だった。
彼女の瞳の色をした宝珠。それをネックレスに仕立てさせた。フルールがチェリーだと思っていたからだ。
フラヴィアは慌てて手違いを詫びようとした。
すると、――宝珠があのときのように光り輝き、中から無数の青い蝶が飛び出してきた。
「――この蝶は……、私は……」
フルールが頭を押さえてよろめく。フラヴィアは慌てて立ち上がり、その華奢な体を支えた。
しばらくして、フルールは顔を上げた。その水色の瞳にフラヴィアの顔が映る。
次の瞬間、じゅわっと滲み出すような笑顔でフルールは言った。
「また会えた……」
その後、フルールは気を失い、目を覚ますと何も覚えていなかった。
翌朝、フラヴィアはネージュニクス王国を後にした。北の果て、ウィンテルクシュ大陸がどんどん遠くなっていく。
きっともうここに来ることはないだろう。
それでも、フラヴィアの心は満ち足りていた。
城に帰ったら、森に行こう。そうして、森の実や薬草を使った料理や菓子をたくさん考える。寒い場所で食べたくなるようなものを。心があたたまるようなものを。
そうしてそのレシピを書きつけて、フルールに送るのだ。
「――それにしても、誰の記憶だったのかしら」
フルールは、自分は病弱な子どもだったと言っていた。この世界ではない、別の場所に生きていた、と。
だが、彼女が生まれたのは、エカチェリナリアが亡くなったすぐ後のことだ。生まれ変わるなんていう非現実的なことがあったとして、その間に、別な世界で別な人生を送るほど、時間の流れに違いがあるのだろうか。
その答えは出なかった。
★新作『べチルバード王国物語 ─落ち姫ツィスカは、贄の王子と─』をはじめました!
召喚された聖女である、落ち姫ツィスカリーゼ。
役目を終えて現代に戻されてしまい、そして――。
同じ乙女ゲームの世界観となります。今回もレシピは活動報告にて紹介予定。
★フルールの記憶についての詳細は、フラヴィアの時代では知り得ないものなので、他作品で今後答えが出てくる予定です!




