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後日談 森乙女の祭り、青い花束

 フラヴィアは広場に不安げな顔で立っていた。その腕には、抱えきれないくらいたくさんの紫色の花。


 ようやく落ち合えたと言うのに、クラウスは不機嫌そうに眉を寄せている。


 その後ろには、くすんだ金髪にみどりの目をした、そばかすの、小動物のような少女が潤んだ目をして立っている。


 もしかして、──クラウスもまた、ギデオンと同じように心変わりしてしまったのだろうか。

 フラヴィアの胸はどきりと嫌な音を立てた。







「妃殿下、今日はこちらをお召しになってくださいとクラウス殿下が」


 侍女となったティベリアが、質素な服を手に、どことなく嬉しそうに言う。


 森に棄てられたことで思うところがあったらしい。

 彼女もまた公爵家の血筋なので、行儀見習いとして短期間ならともかく、王城で低位貴族や平民に混じって働くのは大層反対されたと聞く。


 けれども彼女の燃えるような瞳は、フラヴィアが知っていたそれとは違う輝きに満ちていた。そこには楽しさが見受けられた。


 今のティベリアは、見慣れた豪奢なドレスではなく、見習いの真っ白な侍女服に身を包んでいる。

 この国には四つの侍女室があるが、もともと優秀であった彼女はあちこちから引く手あまたなのだとか。


 彼女が専属になってくれたら心強いが、勿体ないような気もして、フラヴィアがそれを伝えることはなかった。





「これは……」


 フラヴィアは思わずその服を手に取る。


 白いブラウスにビスチェを重ね、ハリのあるフレアスカートを合わせた服。妖精たちの村で身にまとっていたものだった。


 四角く開いた襟ぐりがフリルで縁取られたブラウス。ぴったりとした五分袖の裾にもまた同じ装飾がある。


 ビスチェは猫の瞳のようなブルーグレー。胸元が大きく開いているので、中に着たブラウスが飾りのように見えてくる。


 それらを重ねて巻き込むようにしてスカートが重ねられており、それを留めるために、腰の辺りでリボンを絞る。


「今日の予定は城下の視察だったはずだけれど……」


 フラヴィアが言うと、ティベリアは意味ありげな笑みを見せた。





 それから数刻後。

 王太子とその妻は、彼らとは思えぬ出で立ちで、平民たちが暮らす城下町に立っていた。



「民の生活を知るのも大切なことだろう?」


 クラウスはそう言うと悪戯っぽく笑い、手を差し出した。


「今日は城下町の祭りがあるんだ。

 森乙女の祭りといってね、君と同じく妖精の愛し子であった、初代王妃の誕生を祝うものさ」


 その髪はよくある胡桃色に、そして瞳も同じ色に変えられている。

 いつもは一つに結んで肩にゆるりと下ろされている髪は、同じ形だが今日はゆるく編まれていた。


「貴族以外だとね、こうして手を繋いで歩くんだってさ」


 彼はそう言うと、手持ち無沙汰になっていたフラヴィアの手を握り、歩き出す。


「アリアの空のような色の目が好きだけど、目立たない色合いにしても、美しさが滲み出てくるね」


 彼はまっすぐな目で、少し照れたように言う。フラヴィアは顔がぼんっと熱くなった。


「わたくしよりも年下のくせに」とぷりぷり怒ったが、その声は小さく、クラウスには届かなかった。





 人の波に流されるように進んでいく。


 城下町は活気に溢れていた。

 美しく整備された石畳が広がり、重厚な石造りの建物はすべてが白く統一感がある。


 建物の窓からは、どの家も店も、必ず赤い花を垂れ下がらせており、とても華やかだ。




 フラヴィアと似たような服を着た娘たちが、歌うように笑いながら駆けていく。

 時折、その様子を緊張した面持ちで見送る若い男性の姿を見かけた。


 フラヴィアは人生のほとんどを王城、そして最近は妖精たちの森で過ごしてきたので、このように民がたくさん暮らしている場所を歩くのははじめてのことだった。


 繋いでいないほうの手で、自らの編まれた髪の束を持ってみる。

 見慣れた豪奢な金色ではなく、木の幹のような焦げ茶色。瞳はまだ見ていないが、オリーブグリーンに変えたと城の魔術師が話していた。


「色変えの魔法は、魔力を少しずつ消費しています。あまり感情が揺れると、魔力が乱れてほどけてしまうのでご注意ください」






「クロウ、久しぶりだなぁ」


 声をかけてきたのは大柄な男性だった。

 体格はがっしりとして熊のようだが、その瞳は柔和で、人が良さそうなのが伝わってくる面立ちだ。


 そして、その見た目に反して彼の周りには色とりどりの花がたくさん並んでいた。



 フラヴィアが目を瞬かせていると、クラウスは少年のような笑みを見せて、彼と話を始めた。


 民との距離の近さに驚いていると「それにしても、綺麗な嫁さんをもらったんだなぁ」と、男がひょいと顔をのぞかせる。


「おいおい、あんまりじろじろ見るなよ」


 普段の彼らしくない、砕けたやや粗野な言葉づかい。クラウスはフラヴィアを隠すかのように一歩前に出る。


「見たって減るもんじゃねえだろ。……ふうん、あの冷徹なあんたがねぇ」


 男は感心したように何度も頷いた。


「クロウはちょっとぶっきらぼうだけど良い奴だし、モテるにも関わらず女っけが皆無だ。絶対に浮気の心配はねえぜ。

 俺たち、街のみんなの恩人なんだ。大事にしてやってくれよ」

「──ガストン」


 歯を出して笑うガストンと呼ばれた男に淑女の礼をすると、彼は目を見開き、クラウスが頭を抱えた。



 それからひとしきり談笑し、クラウスは、ガストンの店先にある花を見始めた。


 人の波がだんだんと増えてくる。誰かにぶつかった。


 慌てて避けると、どんどん後ろから人が押し寄せてきて、まるで波にさらわれるようにして──フラヴィアは海を見た事がなかったが、物語の一節をぼんやりと思い出していた──フラヴィアは気がつくと、広場の真ん中にたどり着いていた。


 そこには日差しを遮るための天幕があり、その中にはたくさんの少女たちが並んでいる。


 みなうきうきとした、それでいて少し不安げな表情だ。




(森乙女の祭りって、──そういえば何をするのかしら?)


 祭りの概要は耳にしたことがあるし、お忍びで出かける貴族も多い。


 しかしながら、かつてのフラヴィアは平民の祭りであると見下し、毛嫌いしていた。




 じめじめとした蒸し暑さの中を人の波に流されてきたフラヴィアは、軽いめまいを覚えて天幕の中に避難した。


 すると、目の前に並んだ若い男性たちが、ぼうっと自分の方を見ていることに気がつく。


 フラヴィアが不思議に思って彼らを見つめると、先頭にいた栗色の髪の少年がおずおずと前に進み出てきた。


「あ、あの……」


 彼ははくはくと口を動かし、りんごのようの真っ赤な顔で、紫色の花を差し出した。


「まあ!」


 フラヴィアの目が輝く。


「ルリーツィアの花じゃない。これは蜜も甘いし、菓子作りにも使えるのよ。ありがたくいただくわ」


 フラヴィアが微笑みながら礼を言うと、少年の後ろからどんどんと男たちが押し寄せてきた。彼らは次々に紫色の花を差し出してくる。


 みるみるうちにフラヴィアの両手は紫の花でいっぱいになった。


「まぁまぁまぁ……!

 これはリュベンドラ。虫除けになるのよね。スィーザの花は肉料理の臭み消しにいいわ。

 おまえたちなかなか見どころがあるじゃないの」


 フラヴィアは鷹揚に、機嫌よく言った。

 男たちは顔を見合わせ、それからそのうち一人が「それで……返事の花は……」と、おずおずと尋ねた。


 フラヴィアはこてりと首をかしげる。そのときだった。






「──アリア」


 その声は確かにクラウスのものなのに、フラヴィアが知っているものよりずっと低く、不機嫌さが全面に出たものであった。


「クロウ?」


 王太子の名前を出すのもどうかと思い、フラヴィアは先ほど熊のような男が口にしていた呼び名で彼を呼んでみた。


 クラウスは驚いたように瞬きをし、手にしていた花束を取り落としそうになった。しかそ、それからまた眉根を寄せた。


「君は、──何をしているんだ」


 ギデオンの婚約者であった頃、苦言を呈されていたときのような冷たい目が向けられる。フラヴィアは身をすくませた。


 そのとき、フラヴィアは気がついてしまった。クラウスの後ろに、地味な女がいることを。


 それが ”あのとき”のモニカ・バルベリのような、庇護欲をそそる見た目の少女であることにも。




「──その女は誰なのかしら」


 フラヴィアは思わず口にしていた。

 クラウスは心底不思議そうに表情をゆるめ、それから後ろを振り向くと、初めて気がついたように少女に訊いた。


「君は誰だ? なぜ私の服を握っている?」


 少女は片頬に手を当てると、もじもじと身をよじりながら紫色の花を差し出した。


 クラウスはぎょっとしたがそれを受け取らず、代わりに、手にしていた花束から、白いミュージェの花を取り出すと、自らの胸元に差し、なにか謝罪の言葉を告げた。


 少女は赤らんでいた顔をさらに紅潮させると、泣きそうな怒っているような顔をして踵を返し、走り去っていった。



 ややあって、クラウスはとろけるような、しかしどこか寒々しい笑みを浮かべて一歩ずつ前に進みはじめた。

 フラヴィアの周りにいた男たちが、じりじりと後ろに下がっていく。


 フラヴィアの目の前に来ると、彼は跪き、花束の中から紫色のレインドロップの花を出した。そして、フラヴィアに捧げるような格好になった。


 周りの男たちが野次を飛ばす。


「おい、先に花を渡したのは俺だ!」

「自分だけ目立とうとするなよ」

「なあ、早く返事をくれよ」


 男の一人が、乱暴にフラヴィアの手首を掴む。──次の瞬間、男は吹き飛ばされていた。


「手違いで混乱させてすまない。だが、妻に乱暴しないでもらえるかな?」


 広場がしんと静まり返っている。






「──王子だ……」


 最初に口にしたのは誰だったのか。


 魔法が解けていた。

 広場の中央には、黒曜石のようなつやめく髪の毛に、夏の日が沈む前の空のような紫色をした目の美しい男が立っている。


 クラウスは素早くフラヴィアの髪に、真っ白なミュージェの花を差すと、ふたたび跪いて紫の花を掲げた。



「すでに私たちの婚姻は済んでいるが……、自らの口で気持ちを伝えたいのだ。

 ──アリア、君を愛している。私と共に歩んでほしい」


 フラヴィアが真っ赤になって固まっていると、横にいた少女がつんつんとフラヴィアの腕をつついた。


「あのね、はいなら桃色の花を、いいえならつぼみを渡すんだよ」


 彼女は顔を赤らめてそう言うと、花をフラヴィアに手渡した。


「──答えは決まっているでしょう? クロウ」


 フラヴィアは紫の花を受け取り、その手に桃色の花を握らせた。クラウスがぱっと顔を上げる。そうして己の手を見て、顔を綻ばせた。






「それにしても、茶番だったわよ」


 フラヴィアは、馬車の外に目をやりながら言った。


「これは何か民衆向けの見世物だったのかしら? 夫婦仲を見せるとか、……そう言ったなんらかの思惑のある……」


 返事が返ってこない。

 クラウスのほうを振り返ると、彼は真っ赤な顔で俯いていた。


「──違う。お忍びで、……ただのクラウスとして君に想いを伝えたかっただけだ」


 フラヴィアの顔も赤くなる。


「だが、男たちに傅かれる君を見ていたら余裕がなくなって、無性にいらついてきて、……そうして魔法が解けてしまった」


 城下町が少しづつ遠くなっていく。暮れ始めた太陽が、あの美しい白壁に反射して、街を薔薇色に染め上げていた。


「け、結局、……花はどういう意味だったのかしら。紫が求婚ということ?」


 フラヴィアは話題を逸らした。

 クラウスは不満げに顔を上げたが「自分の瞳の色が告白の花だ」と続けた。


 フラヴィアはその透き通った紫水晶のような瞳に射抜かれるような心地がした。


「花は男から贈る。

 白い花は既婚者の証で、それをつけている者には贈れない。──だが、花を用意する前に君が消えてしまって……」


 フラヴィアはふと、ガストンと呼ばれた男のことを思い出した。

 なるほど、彼は花屋であったのか。


「女性からでも男性からでも紫の花は贈ることが出来る。意味は一目惚れ、だ。……紫の目は王族にしか居ないからな。紫の花を告白に使う者など私くらいだろう」


 フラヴィアは、胸のうちが温かく、ふわふわしているのを感じたが「要するに、わたくしに一目惚れをした殿方がたくさんいたのね」と返した。


 クラウスは少し傷ついたような顔をする。フラヴィアは、またやってしまったと後悔した。

 馬車の中はしんと静まり返り、二人は気まずいまま城に戻った。





 数日後。ガストンの花屋に、ベールで顔を隠した金髪の女がやってきた。

 その正体を悟った彼は青くなったり赤くなったりし、──女の求めるものを余分すぎるくらいに与えた。


 その日、クラウスが執務室に戻ると、机の上に豪奢な花束が置かれていた。

 それは、デルフィニウムにブルースター、アガパンサスと、さまざまな大きさや形の青い花で作られた豪奢なブーケであった。


 包みに巻かれたリボンには、ガストンの店の熊の刻印がある。






 それからしばらくして、城下町ではある歌が流行った。それは王族の求婚劇を描いたものだ。また、それからは女性から告白をする者が少しずつ増えて言ったという。


 青い花だけで作ったブーケを用意すること。それが約束事であった。


■活動報告にフラヴィア王妃の妖精レシピをUPしました!


■完結後、日間ランキング10位、週間45位になっていました。お読みいただきありがとうございます!


■新作完結してます。


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\同じ世界観の新作/

▽蛍姫は、雨と墜ちる▽

https://book1.adouzi.eu.org/n6966hb/


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第一王女リュシィは、図書室の隅で震えていた。


婚約破棄をされて失意の中、次は謀反が起きた。城のあちこちで火の手が上がる中、侍女のシガーラが自ら囮となり、追手の目を逸らしてくれていた。大勢の足音が迫ってきている。


リュシィは自分の名を呼ぶ声に気がつく。秘密の書庫の大きな鏡から確かに聞こえた。


ついに扉が破られるというそのとき、鏡にもたれかかったリュシィは、そのまま鏡の中へと落ちて行った。それはまるで、城の窓から落ちたかのような光景だった。


目を覚ましたとき、リュシィは小さな屋敷で丁寧に世話をされていた。


目の前には、かつて親しくしていた少女にそっくりな美丈夫がおり、彼はなぜだか感激している。


そこは、千年後の世界であった。


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