39. 殿下の婚約者
マダムがドレスを仕立てに屋敷を訪れ、「いやぁ、いい物ができたわぁ」と満面の笑みで帰宅した後、私はとある場所へ向かうため、ルディに頼んで馬車を走らせていた。
「お嬢様、到着しました」
ルディが扉を開き、こちらに手を差し伸べる。
その手を取って馬車を降り、私は眼前に広がる巨大な建物を見据えた。
「『私』がここに来たのは、初めてね」
それは国の中心部。
王族のみが住むことを許された場所。
「さすがに、緊張してしまうわ……」
深呼吸を一回。
頬を軽く叩き、気合いを入れ直す。
気後れしている暇はない。
時間が押しているのもあり、私は「行ってくるわ」と告げて歩き出す。
「ヴィオラ・カステルと申します」
「殿下から話は聞いています。どうぞこちらへ」
見張りの兵士に声をかけると、すぐに中へ通してくれた。
案内されるままに城の中を歩くこと、数分。私はとある一室の前に辿り着いていた。
「ヴィオラ・カステルですわ」
「入れ」
入室許可はすぐに下りた。
数秒後、内側から扉が開かれ、室内の様子が伺える。
待ちわびたように室内のソファーに腰掛けているのは、黄金に輝く髪とキリッとした目元、人形のような整った顔を存分に我が物としている男。
「やぁ、待っていたよ、ヴィオラ嬢」
「ごきげんよう、ベルディア殿下。此度のご協力、心より感謝しま──」
「ああ、他人行儀は必要ない。ヴィオラ嬢が外面の仮面を被っていると、なぜか背筋が冷えるのだ」
「──チッ」
「おいこら。早速舌打ちか」
「……………………さぁ、殿下の聞き間違いでは?」
こっちが周囲に人がいるからと気を遣ってやったのに、それを馬鹿にする方が悪い。礼儀知らずの男は舌打ちで十分……むしろ舌打ち程度で済んだことを感謝してほしいくらいよ。
でも、今はそれだけで終わらせる。
傍若無人なお嬢様という風評被害を受けつつある私が、ここまで大人しい理由。
それはここが王城だというわけではない。
最大の理由はベルディア殿下の隣。
気品溢れる雰囲気で彼に寄り添う女性だ。
「……殿下……そちらの方は?」
見たことのない顔だけれど、彼女が何者なのかは何となく想像がついている。
次期国王と言われる彼の隣に座ることが許される女性は、現時点でただ一人だけ。
「何度か話しに出したことはあるが、実際に会うのは初めてだったな。おい」
「初めまして。ローズ・エスカーと申します。ヴィオラ様、本日こうしてお会いできることを心より楽しみにしておりました」
「お初にお目にかかります、ローズ様。ヴィオラ・カステルですわ。私もローズ様とこうしてお話しすることを楽しみにしていましたの。会えて光栄ですわ」
殿下に聞いていた通り……いや、それ以上に美しく可憐な少女だ。
お身体が弱いということで外に出ることはほとんどなく、こうして直接顔を合わせることすら珍しいとされている、ある意味『希少』な女性だ。
ベルディア殿下が過保護なのが一番の原因だと思うけれど、確かにこれは保護欲を掻き立てたくなる見た目をしている。初めてお会いしたけれど、思わず抱きしめたくなるほどに可愛らしいもの。
「殿下も隅に置けないですね」
「どういうことだ?」
「いいえ、別に……それで、もう始めてもよろしいのですか?」
部屋の中にいるのは、殿下とローズ様だけではない。
十人ほどのメイドが部屋の隅のほうで佇み、次なる命令を待っていた。
「時間も迫っていることだしな。皆、始めてくれ」
殿下の言葉に従い、メイド達は一斉に動き出す。
「ヴィオラ様、どうぞこちらへ」
「ええ、よろしくお願いいたします」
『化粧は私の専属の者を使うといい』
その言葉に甘え、今日私はこうして早めに王城へ訪れた。
ここに集うのはベルディア殿下直属のメイドであり、どれも一級品の腕を持つプロだ。いったいどのような化粧をしてくれるのかと、私はここに来るまで期待と興奮を抑えられなかった。
「ヴィオラ様はお顔がすでにお綺麗なので、余計な手は加えずに自然体にしましょう」
「ドレスはカステル家より預かっています。シャトルレーゼに負けないような仕上がりにしますので、どうかご期待を」
「楽しみですわ。私、一度でいいから王宮使いの方々に仕立てていただきたいと思っていましたの」
「まぁ、それは光栄です。私たちもヴィオラ様のお噂はよく聞いております」
「多くの女性の見本となり得るお方のお世話を任せていただけるなんて、私たちも今日をとても楽しみにしていたのですよ」
「あら、それは嬉しいですわ」
大勢のメイドに囲まれ、キャッキャウフフと談笑する。
『噂』というのが気になるところだけれど、彼女達の様子から悪い噂ではないっぽいとわかり、ひとまず安心する。これで良い方に見られていなかったら、居心地が最悪だったところだ。
「まずは全身のマッサージから始めさせていただきます。今でも十分ですが、化粧をする前にやるのとやらないのとでは全く違いますので」
「では、そこの台にどうぞ」
「アロマも焚いておきますね。リラックス効果のある香りなので、きっと気に入っていただけると思います」
至れり尽くせりとはこのことだ。
「邪魔になるだろうし、私たちは席を外そう」
「そうですわね。……ではヴィオラ様。次はパーティーで会いましょう」
「ええ、また後ほど……」
気を遣ってくれたのか、二人は部屋を退出していった。
まだローズ様とお話ししたいことがあったけれど、パーティーでその機会は十分にあるだろうと、今はマッサージに集中することにした。
思えば、最近色々と動き続けて疲れていた。
このまま身を任せていると、つい眠ってしまいそうになる。
気を強く保たなければと思っていても、メイド達の手腕の前では為す術もなく、数分後、私はゆっくりと目を閉じた。




