33. 要注意人物
──マリアーヌ・セントリア。
聞いたことがあるかと言われたら、答えは「はい」だ。
彼女の家、セントリア家は王国にあるもう一つの公爵家で、我がカステル家とはあまり仲が良くないと聞いている。
クラスも学科も違うから、学園では会わないだろうなと思っていたのに、まさか彼女の方からやって来るとは……これは面倒なことになりそうだ。
「お初にお目にかかります、マリアーヌ様」
最低限の礼儀として、簡単に挨拶を済ませる。
「ええ、初めまして。挨拶が遅れてしまい申し訳ありませんわ──ってそうじゃなくて!」
…………ふむ。
うるさいけど、根は良い子か。
男受けしそうな性格だなと、私は失礼なことを考えた。
「ヴィオラ様! あなた、どういうおつもりなの!?」
「…………はて? どういうおつもりと聞かれても、何のことやら」
いきなり文句を言われるほど、この学園で問題を起こしていない。
なのに、どうして急にもう一つの公爵家のご令嬢が突入してきたのだろう?
「貴女が入っている学科です! なぜ、礼法学科ではないのですか。どうして剣術学科になんて入ってしまわれたの!?」
「ああ、別に深い意味はありませんわ。私の従者と相談した結果、そこに入ろうと意見が一致しただけのことです」
「私は貴女に会えることをたのし──ンンッ! 貴女と礼法学科で競い合うために、今まで頑張って来たのですわ。なのに、平民の集まる剣術学科なんかに入って……!」
礼法学科に入っていたら、とても面倒なことになっていたかもしれない。
知らぬ間に危機を回避できていたことに安堵し、私は小さく息を吐き出した。
──ルディ、早く帰ってこないかな。
今は居ない従者の姿を、私は待ち望んだ。
「聞いていますの!?」
「申し訳ありません。考え事をしていて、上手く聞き取れませんでした」
「仕方ありませんわね。では、もう一度言いますわ」
言ってくれるのか。そこは「馬鹿にしているのですか!?」と怒鳴られるかと思った。やっぱり根は良い子らしい。……うるさいだけで。
「ヴィオラ様。わたくしと勝負なさい!」
「え、嫌です」
マリアーヌだけではなく、その友人までもがその場でずっこけた。
つい素で返してしまったけれど、どうして急に勝負の話になったのだろう?
彼女が私に恨みを持っているなら、まぁわかる。
それだと私が何をしたって話になるけれど、勝負に発展する理由としては十分だ。
でも、彼女からはそのような負の感情は伺えない。
だからどうして彼女が私に勝負を仕掛けてくるのか、ちょっと理解に苦しむ。
「まずは勝負に至った理由を説明してくださいますか? でなければ無意味な勝負と判断し、私はそれを放棄します」
「わ、わたくしに負けるのが怖いのでしょう!」
「いえ、別に勝ち負けなんかに興味はありませんし、マリアーヌ様に負けたところで、私の何が変わるのでしょう? その程度の安い挑発には乗りませんわ」
マリアーヌ様は、言葉に詰まった。
「というわけで、勝負を挑むならそれなりの理由を提示していただけますか? 私も暇ではありませんの」
「う、うぐぐっ……」
「どうしました? まさか、気に入らないから勝負を仕掛けた……なんて言いませんよね? 貴女は名のあるセントリア家の娘。言葉と行動にはお気を付けになった方がよろしいかと思います」
「う、うぅ……!」
──さぁ、早く理由をどうぞ?
「きょ、今日のところはここで失礼します!」
ぺこりと、お辞儀だけして教室を去るマリアーヌ。
慌ただしくやって来ては、去って行く。
まるで台風のような彼女の謎行動に、教室は沈黙に包まれていた。
「なるほど。これが嵐の後の静けさか」
「いや、それを言うなら嵐の前の静けさです」
鋭いツッコミに振り返ると、ルディが立っていた。
「……ルディ、帰っていたなら助けてよ」
恨みがましく睨み付けると、彼は悪びれもなく笑った。
「いやぁ、ちょっと面白いことになっていたので、俺が割り込むのも空気が読めないかなと思い、クラスメイトに混ざって見ていました」
「ったく、この従者は本当に使えないわね」
「もちろん、あっちがお嬢様に手を出そうとしたら止めるつもりでしたよ?」
…………ふんっ、どうだか。
どうせ、お嬢様なら止められるだろうと思って、そのまま傍観していたに違いない。
ルディはそういう男だ。
「まぁいいわ。……さっきのマリアーヌ様、どう思う?」
「どうって。お嬢様、彼女に何かしたんです?」
「何もしていないから困っているのよ。それはルディも知っているでしょう?」
「ですねぇ。でも、それだと急に勝負を吹っかけてきた理由がわからない。……本当に何もしていないんですよね?」
「それ以上疑うなら…………昨日よりも酷いわよ」
「ええ。俺はお嬢様の言葉を信じますよ。はい!」
本当に生意気な従者だ。
「気にしても時間の無駄か……」
「一応、俺の方でも調べておきますね」
「頼んだわよ。そこだけは信頼しているわ」
「……最後の言葉が無ければ、もっと頑張れた気がします」
──彼女が急に現れた理由は結局、わからないままだ。
こちらが何もわからない以上、受け身になる他無い。
マリアーヌ・セントリア。
要注意人物として記憶しておこう。




