30. 現実逃避のその末に
予想外の人物の登場に、盛大な溜め息を吐き出したのはベルディア殿下だった。
「ジェイル……私とヴィオラ嬢のお茶会を邪魔するとはどういう了見だ?」
「いえね、ちょっと殿下に伝えておきたいことがあって寄ってみたら、少し気になる話題が聞こえたもので……会話を遮ったことには謝罪しますよ。申し訳ありませんでした、ヴィオラ様」
私は、私の身近にある者の関係者は洗いざらい調べるようにしている。
もちろん、ベルディア殿下に親しい人物のことも調査済みだ。
──ジェイル・マスカート。
確か、伯爵家の一人息子だったと記憶している。
マスカート家は代々王族と共にあり、先程ジェイルが言ったように、秘書も担っている大きな家だ。
そんな彼がここで出てくるのは予想していなかったため、私は反応が遅れてしまった。
「申し遅れました。ヴィオラ・カステルですわ」
内心の驚きをどうにか押さえ込み、私はスカートの裾を持ち上げて優雅に一礼、ゆっくりと頭を上げて微笑んだ。
「噂に聞いていた『紅蓮の薔薇姫』とは全然違──いてっ」
「おい。本人の前でそれは失礼だろう。……すまないヴィオラ嬢。私の秘書が失礼をした」
殿下はジェイル様の後頭部を叩き、私に頭を下げた。
「いえ、気にしてませんわ。むしろ噂通りでなくて申し訳ありませんと、そう言った方がよろしいでしょうか?」
「いいえ。俺としては、こっちのヴィオラ様の方が好みですね」
「まぁ、それは嬉しいですわ」
ジェイル様は噂通りの男性らしい。
色々な人に親しく接する、根は真面目な好青年。
学園での成績は常に上位で、王族の秘書の座に相応しい実力を保持している。
殿下とは主従関係というより『親しい友人の間柄』と表現した方が正しそうだ。
ダインとは正反対の性格っぽいけれど、彼とも気軽に挨拶を交わしているのを見るに、三人は案外いいバランスを保っているのかもしれない。
「それでジェイル、お前。さっきの言葉は本当か?」
「ヴィオラ様のエスコート役の件だろう? 他に相手が居ないなら、俺がやってあげてもいいよ」
「…………とのことだが、ヴィオラ嬢はどうだろうか?」
「俺には婚約者も、姉や妹も居ません。その場繋ぎのエスコート役としてはお似合いだと思いますが、どうでしょう?」
その申し出は、願ってもないことだ。
彼は皇太子候補の秘書を務め、他からの評価も良い。
そんな相手が私のエスコート役。
これ以上に相応しい相手は、どこを探しても居ない。
「ええ、私の方からお願いしたいくらいですわ。……ジェイル様、私のエスコートを引き受けてくださいます?」
「もちろん。こんなに麗しい女性の相手ができるなんて、俺は幸運ですよ。……はぁ、婚約者を持っていなくて良かった」
「おいこら」
「──っと、失礼」
「ふふっ、気にしていませんわ。ジェイル様も、私相手に敬語を使うのは疲れるでしょう。この場は他に誰も居ないのですから、どうか気を楽にしてくださいませ」
その言葉に、ジェイル様は僅かに目を開いた。
でもそれはすぐに戻り、その代わり彼の雰囲気が柔らかくなる。
「本当に、噂ってのはアテにならないねぇ。寄り付く男を全員泣かせる悪女ってのは、どこから出てきたんだか」
待て、その噂の出所はどこだ。
今すぐ私の全力を以って、それを口にした奴を潰してやる。
「大方、私のことが気に入らないどこかの娘が流したのでしょう。その程度の噂、気にしたところで時間の無駄です」
「へぇ……度胸があるってのは噂通りか。中々手強いご令嬢じゃないか。本当に、あんなのには勿体な」
「──ジェイル」
「おっと、すまんすまん。今の言葉は忘れてくれ」
何かを口に仕掛けたジェイル様を、ベルディア殿下が鋭く嗜めたことで、僅かに綻んだ空気がピンッと張り詰める。
「……えぇと、お二人は随分と仲がよろしいように思えますが、付き合いは長いのですか?」
「私とジェイルが出会ったのは、私が5歳の時だ」
「あの時から殿下は異常だったよ。5歳とは思えないくらい頭良いし、俺が秘書やる必要あるのか? って本気で思った」
「へ、へぇ……殿下は相変わらずなのですね」
反応に困り、適当な相槌で返すと、ベルディア殿下は顰めっ面で私を見つめてきた。
「その言葉、ヴィオラ嬢にだけは言われたくない」
「え?」
「あ、俺もそう思う!」
「は?」
急な飛び火に、私は戸惑う。
「ヴィオラ様のことは結構話題になってるよ? 例えば、」
「聞きたくありません」
私は耳を塞いだ。
最近、嫌なことがあったらこうするのが癖になっている。
「逃げるなヴィオラ嬢。ちょうど良い機会だ。君が如何に異常なのか、存分に知るといい」
「嫌です。聞きたくありません。私は普通にしているだけです。普通に貴族令嬢をしているだけです」
「普通の貴族令嬢は剣術学科に入らないし、次期騎士団長候補のダインとの一騎打ちで勝たないと思うよ?」
「言わないでください。あれはダインが私の胸を触ったから勝っただけです」
後方で「うぐっ」と呻く声が聞こえた。
「……まぁ、そういうことにしておいてあげるよ」
「だが、まだまだあるな。これは最近聞いた話なのだが、彼女はシャトルレーゼのマダムと個人的に繋がっているらしい」
「マジ!? あのマダムと! 」
あーあー、聞こえない。
「しかもこの私を使い走りにする度胸も兼ね備えている。弟に贈る誕生日の品が思いつかないから、ちょっと探ってくれと言ってきたのは、彼女が初めてだ」
「──ぶっ! あはははっ、それは凄い! この俺ですら殿下を利用するなんて出来ないのに、それを難なくやっちまうのか! 思った以上だ、これは!」
あーあー、聞きたくない。
「更には、」
「そろそろやめて頂けます!?」
これ以上の醜態を晒されるのは我慢ならない。
流石に無視できなくなった私は悲痛に叫び、それは学園の中庭に木霊するのだった。




