22. もう大丈夫
私はツカツカとハイヒールの底を鳴らしながら、もうここ学園じゃないでしょうと呆れるほどに煌びやかな廊下を突き進む。
そこで談笑していた生徒は私の登場に驚き、慌てた様子で廊下の端に寄って会釈した。中には挨拶の言葉を掛けてくれる生徒もいたけれど、申し訳ないことに今は急いでいるので、最低限の礼儀を返してその場を後にする。
そうしてやって来たのは、本館とは別にある訓練場。
平民が多いだけではなく、血気盛んな男達が集まっている場所だ。
まず、普通の貴族令嬢は近寄ろうともしない。
そんな場所に躊躇いもせず、入口の扉を押し退けて入り込む。
中にいるのは、見知った顔ばかり。
会話をしたことは一度も無いけれど、それでも同じ学科の生徒だ。それなりに一緒の時間を過ごしていれば、顔と名前くらいは覚える。
でも、誰もが私の存在に気づけば、蜘蛛の子を散らしたように去って行く。
公爵令嬢という地位と、私が持つ悪人顔の第一印象で避けられているのは理解しているけれど、剣を競い合う同士、仲良くなれないのは残念だ。
「ご、ご機嫌よう、ヴィオラ様」
中には、途切れ途切れで不自然ではあったものの、怖がられている私に挨拶を掛けてくれる生徒も居た。
私は立ち止まり、くるりとその生徒の方を向いて、優雅な一礼で返す。
「ご機嫌よう。ゲイルくん」
挨拶すると、目を大きく開いて驚かれた。
「お、俺の名前……!」
「同じ学科の生徒なのだから、覚えるのは当然ではなくて?」
人の名前と顔を記憶するのは得意なので、この程度造作もない。……というのは少し嘘で、確かに記憶力は良い方だと自負しているけれど、それでも話したことすらない人物を覚えられるほどではない。
でも、同じ学科に身を置いている以上、どこかで交流はあるはずだと、ルディに手伝ってもらいながら必死に覚えたのだ。
……あれは、紛れもない地獄だった。
一度間違えれば全てやり直しで、顔の写真を出されて三秒以内に名前を言えなくてもやり直し。スパルタでお願いと言ったのは私だけど、まさかあれほどまでのスパルタ地獄を味わうことになるとは思っていなかった。
しかし、今こうして訓練の成果が出ているのだから、結果を喜ぶべきだろう。
「ルディはどこかしら?」
「あ、ルディさんなら、今ちょうど稽古が終わって汗を洗いに行ったところ、です……」
「そう。ありがとう。貴方も、今帰りかしら? お気をつけて……それじゃあ、私は急いでいるから失礼するわ」
生徒の話によればルディはちょうど稽古を終えたばかりということ……だとすれば、少しだけ待ち時間がある。
私は男子更衣室の前を、他の生徒の邪魔にならないように陣取り、彼の登場を待った。
体感時間で10分程度。
ようやく姿を現したルディは、いつもの完璧な従者の姿ではなく、お風呂上がりのようにタオルを頭に乗せ、シャツ一枚というラフな格好で出てきた。
「ご機嫌よう、ルディ?」
「──ん? ってうわっ!? お、おお、お嬢様! ……どうしてここに?」
「どうして、とは変な言い方ね。私も剣術学科の一員。この場に居るのは当然でしょう?」
男子更衣室と女子更衣室──元は無かったけれど、私の加入により学園が一日で完成させてた──との場所は近い。
私がここに居ても、何も問題はないはずだ。
むしろ、従者を待っているというから、というのは当然の理由であって、その従者が疑問に思うことではない。
「貴方……主人を前にして、いつまでその格好で居るつもり?」
呆れたようにそう呟くと、ルディは一瞬呆けた顔を私に晒し、すぐに我に返り「少々お待ちください!」と言い残して更衣室の中に消えて行った。
そして三分後。
「お、お待たせいたしました、お嬢様」
再び更衣室から姿を現したルディは、先程とは違って従者に相応しい格好となっていた。
…………相当慌てていたのだろう、ネクタイが少し曲がっているのは、まぁ特別に許してあげよう。
「今日も鍛錬に励んだようね。ご苦労様」
私は彼にそっと近づき、所々乱れたその格好に手直しを加える。
その間、ルディは不思議そうに私のことを見つめるばかりだ。
「あの、お嬢様……?」
「何かしら? ……まさか、また同じような質問をするつもりじゃないでしょうね」
「…………いいえ。ようやく、お嬢様が戻ってきたんだなと、そう思っただけです」
「何それ。変なことを言わないでちょうだい」
くすりと笑い、ルディから離れる。
「心配かけたわね。もう大丈夫よ」
「もう悩んでいないかと、そう聞いてみた方がよろしいですか?」
その問いに、私は先日の出来事を思い出す。
「……迷いは消えた、とは言わないわ」
顔を一瞬俯かせた私は、それでもと、ルディの顔を真っ直ぐに見つめた。
「この気持ちだけは偽らない。そう決めたのよ」
「……結局、何が言いたいのかはわかりませんね」
「あら? 何も言わなくても、それを何と無く察するのが従者というものでしょう?」
我ながら傲慢な言葉だと思う。
でも、ルディは「確かにそうですね」と笑い返してくれるのだ。
「お嬢様が何を思い、何に逃げたのか。俺にはわかりません。……でも、お嬢様が苦しんでいたことだけは、わかった」
ルディは手を伸ばし、私の頬に触れた。
「今はそれが無い。そのことを、俺は最上の喜びと感じます」
「そ、ぅ……良い心掛けね!」
──ドキッと、心臓が大きく跳ねた。
それを悟られないよう、傲慢な笑みを顔に貼り付け、私は一言。
「さぁ、帰るわよ!」




