19. 醜く歪んだ想い
カチャカチャと、食器同時のぶつかる音が静かに、私の周囲だけに響く。
時刻は夕食。
──世界一大嫌いな時間だ。
いつもは自室に料理を運んでもらうのだが、今日はディアベル陛下と遅くまでお茶会をしていたせいで帰りが遅くなってしまい、玄関に到着したところで、夕食に向かう三人と運悪く鉢合わせてしまったのだ。
私を夕食に誘ったのは、もちろん妹のメアリーだ。
両親は私が夕食に加わると知り、苦虫を噛み潰したような表情になったけど、どうせ妹の誘いを断ったところで、「妹の誘いを断るのか!」と激昂してくるのがオチだ。
私に『平穏』の選択肢は存在しないのだと諦め、私は座席に着いた。
──やっぱり、味がしない。
自室で食べる料理はあんなに美味しかったのに、今日は不思議と何の味も感じなかった。
私の味覚がおかしくなってしまったのか、それとも無意識に気持ちを押さえ込んでいるせいで何も感じなくなってしまっているのか……多分、どちらもなのだろう。
理由が何であれ、私は空気に徹することしか、この場を乗り切る方法はない。
だから私は目立たず、必死に存在を隠していた。
なのに────
「ねぇお姉様! お姉様の行っている学園は、どのようなところなのですか?」
「……え?」
「私も早く入学したいんです! でも、どんなところなのかわからないし……お姉様の感想を聞かせてください!」
私は困った。
ここには両親がいる。両親の耳がある。下手に素っ気ない態度をとれば、なんて言われるかわからない。
まだ両親の小言をぐちぐちと言われるだけなら、どうでも良かった。
でも、メアリーのこととなれば、両親はどこまでも面倒臭くなる。
「……とても楽しいところよ。クラスのみんなと毎日ためになる授業を聞いて、お勉強しているわ」
「午後は学科というものもあると聞きました。生徒は数種類ある学科を自由に選べるって、お父様が教えてくれました! お姉様は何を選んだんですか?」
──剣術学科です。
とは言えない。
絶対に言えない。
「…………ごめんなさい。私は、学科選択をしていないの」
「え? そうなんですか?」
「……ええ、一部の生徒は、理由によっては学科選択を免除されることがあるの。だから申し訳ないけれど、学科についてのお話はできないわ」
嘘ではない。
生徒だとしても、家の事情で忙しい者はいる。
例えるなら、ベルディア殿下がそれだ。
彼はあの若さで国の経済を把握し、国王陛下の助けとなっている。そのため、急用で城に戻らなければならない時が多々あり、学科選択は免除されているのだ。
……まぁ、それが通るのは『相応しい理由』と『成績上位者』である必要があるのだけど、両親は私の事情なんか塵ほどにも興味がない。だから嘘を言っても見破られないし、自然と「私は成績上位者です」とアピールできる。
「では使用人の方は? 確か……ルディさんでしたっけ? 彼はどこに入っているんですか?」
「…………ルディは、剣術学科を選択したみたいね」
「やっぱり!」
私の返答に、メアリーは『パァァァ!』と顔を輝かせた。
「ルディさんが前に教えてくれたんです! お姉様を守るために強くなりたいって!」
──キュッ、と、心臓を掴まれるような感覚がした。
今、メアリーは何と言った?
ルディが教えた? 彼が、メアリーに?
「……ルディ、が?」
「ええ! 彼、とっても良い人ですよね! いつも優しくて、いつも笑ってくれて! まるでお兄様みたいです!」
「…………そ、う」
私の声は、震えていた。
世界が歪む。
ぐにゃりと、歪に捻じ曲がる。
──ルディが、妹と。
彼の隣で、メアリーが笑う。
それにつられて、ルディも笑う。
きっとそれは、微笑ましい光景なのだろう。並んでいる姿には違和感がない。
ルディは優しい。
記憶を無くした私に、今でも親身に寄り添ってくれている。
とても面倒な位置に立たされているはずなのに、彼はずっと私のことを気にかけてくれている。
彼なら、受け入れてしまうだろう。
メアリーの笑顔を、人懐っこさを、素直な気持ちを。
──ルディとメアリーが微笑み合う。
そんな光景を、私は、想像してしまった。
「──っ! ごめんなさい!」
私は食堂から飛び出した。
今はとにかく、ここから消えたかった。
私室に駆け込み、鍵を掛ける。
気持ち悪い。
何もかもが、気持ち悪い。
呼吸のリズムが乱れる。
気持ち悪い。
心臓が痛い。
胸を抑えても、それは徐々に主張を強くする。
吐いてしまいたい。
私の中に渦巻く全てを吐き出して、楽になって、このまま消えてしまいたい。
「っ、あ……ぅ、あ……!」
メアリーの言葉を聞いて、ルディのことを聞いて、私は何を思った? 何を思ってしまった?
──ルディがメアリーに笑いかける姿を、想像してしまった。
私が居るはずの場所に、メアリーが居る。
それが嫌で、どうしようもなくて、私は声にならない声で叫んだ。
──私は、なんてことを!
一瞬でも想像してしまったら、止まれなかった。
ヴィオラじゃない、メアリーを側に置くルディを、私は、認めたくなかった。
彼の隣に居ていいのは、私だけ。
彼が微笑んでいいのは、私だけ
それは、彼を独占したいという、私の醜い感情だった。
もう誰も信じないと誓った。
弱さを認めてしまったら、弱さを見せてしまったら、それを突かれる。呆れられる。失望される。だから私はもう誰も信じず、自分だけのために生きようと、そして最後は自分だけの世界で幸せに死のうと、そう思ってきたのに。
「どうして…………」
どうして、私はこんなに悲しいと思うのか。
「何で、わたし、は…………よりによって、……っ……!」
髪を乱暴に引っ掻く。舌打ちが何回も鳴る。クッションを振り乱す。
それでも私の気分は、晴れなかった。
どのくらい経ったかわからない。
ようやく落ち着きを取り戻した私は、力が抜けてその場にへたり込み、顔を下げたまま、スカートの裾をキュッと握った。
「…………だって、どうしようもないじゃない」
私はポツリと、小さく、私の弱さを呟いた。
──想像してしまったのだ。
──思ってしまったのだ。
──願ってしまったのだ。
──ルディを、誰にも取られたくないと。




