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第三十九話 謀反の刻

 アラム先輩は寸でのところで直撃を避けた。

 バランスを崩しながらも半分になった棒で宝剣を受け流す。後方に下がり、二歩、三歩いったところで足を止めた。

「アラムっ!」

 ファルが叫ぶ声がする。壁に激突したはずの彼は、なんとか上半身を持ち上げたところだった。

 まだ走り出すことはできないのだろう、片手に持っていた曲刀を持ち上げる。

「頼む!」

 先輩の返答が戻るなり、ファルはそれを放り投げた。宙でくるくると回転した曲刀は、スルリとアラム先輩の手に納まる。

 

 ――ガキンッ!


 宝剣と曲刀とが交錯した。


 ――キン!キンキンギィン!


 ガツン、ガキンと金属音が鳴り響くにつれて、どちらが優勢なのか分かってきた。

 ひゅん、ぴしゅんと響く音と共に、――アラム先輩の頬に赤い筋が走るのだ。

 細く切りつけられた顔から、首から、腕から、血が流れていく。押されているのは先輩の方だった。

「稽古をつけてやると言った覚えはないが?」

 ダーラー様が嘲るように言い放ち、大きく足を広げた。片手に持っていた宝剣を両手に持ち替えたのである。それと同時に構えが変わる。周囲に与える圧迫のようなものが強くなった。


 ――ガキィン!ガツン!

 

 音が重くなっている。ハタから見ていても認めざるを得なかった。ダーラー様は、強い。

「ハハハ、こっちも頼んだ覚えはないですよ。国家反逆罪、つーのは、犯人の生死問わずだと思うんで、お覚悟を!」

 アラム先輩は釣られなかった。曲刀は両手持ちには向いていない武器だからだ。

 それまで通り片手だけで受け流すが、一撃ごとに顔をしかめる。ダーラー様の一撃が重くなっているのだ。


 ――ピシュッ!


 また、血しぶきが飛んだ。


 アラム先輩は劣勢だった。

 ダーラー様は、別に血筋だけで役職についていたわけではなかったらしい。港湾課のトップは、つまり国家治安維持部隊のトップである。サンジャル様が特殊工作軍なら、ダーラー様は正規軍のトップなのだ。

 先ほどまでファルがいたこともあって二対一だったが、今は一対一。使っている武器はダーラー様の方が若干大振りで、宝剣というだけあって切れ味も鋭そうだった。


 血しぶきのせいで視界が妨げられるらしい。アラム先輩の動きは徐々に悪くなっていく。

 時折空いた手の甲で瞳にかかる血をぬぐうのが見える。

「……くそ。拘束しようってのが、無茶なんだよなあっ、ファルのやつ……」

 思わず漏れた言葉に、ダーラー様は馬鹿にするように呟いた。

「この期に及んで私を捕縛するつもりだと?愚かな!」

 ガキン、と力任せに放たれた一撃が、アラム先輩の手から曲刀を弾き飛ばす。

「げっ」

 慌てたアラム先輩がたたらを踏んで距離をとる。

 それを追い撃ちかけるようにダーラー様が切っ先を向けてくる。

「さて、予定通り首を落としてから、次は王子殿下にかかるとしようか」



  □ ◆ □


 一度防御に回ると、ヒナの攻撃は圧倒的だった。

 炎の塊の数が多い。その上、炎そのものだから避けることしかできないのである。 

 

 ――たんっ! たたんっ!


 右に、左に避けながら後退する。ヒナの攻撃が追撃してくる。

 ヒナは途中で軌道を変えることはできないらしかった。そのため放られた後の炎は一直線だ。放たれる瞬間さえ気をつけていれば、ギリギリで避けられなくもない。


 ――ドガッ……。


「く……」

 避けきれなかった炎の塊が右肘に直撃し、私は思わずよろけた。

 肩から先の感覚がなくなっているせいだ。ふらふらと伸びた腕がコントロールできなかった。痛みで動けないなんてことにならなかっただけマシだが、鈍い痛みが右半身の感覚をおかしくさせている。

 いっそ右腕がない方が良かったかもしれない。……いやいや、さすがにそれは不謹慎だな。



 そもそも、私はなぜここにいるんだろう。


 ダーラー様を捕縛するため?

 それなら、ファルとアラム先輩だけで十分だ。私は彼らほど戦う術を持っていないし、彼らをフォローするような技術もない。


 連れさらわれた女性たちのことを報告するため?

 それはもう終わったのだから、彼女たちを安心させるためにも戻った方がいい。


 脱出口を探すため?

 それをするのであれば、玉座の間とは真逆に進むべきだった。ダーラー様が戦いに気をとられている今なら、宮殿の構造を調べて外への脱出口を探すことだってできるはずだ。


 ファルとアラム先輩が心配だから?

 だったらなおのこと、ここにいるべきじゃない。彼らの足手まといにしかならないではないか。

 今だって、ヒナの炎による攻撃を避けきれもせず、無様に右腕を失ってしまった。反撃しようにも武器はなく、相手が見かけ通りの5歳児ならばともかく、不死鳥であるヒナを体術だけで押さえこめる自信もない。


 魔神が欲しかった?願い事を叶えたかった?

 違う。それだけはない。私には、魔神を頼りたくなるほど強く希う願い事などないのだ。私はエランの女性たちの先駆けとなって、女性が活躍する未来のための第一歩となる。そのための職場を得られて、そのために働くことができている。未来は険しいけれど、簡単には進まないけれど、だからといって閉ざされてなどいない。魔神に願いをかけるより、港街に日常が戻る方がよほど近道なのだ。

 

 見届けたいと思ったから?


 ――誰にも頼まれてないのに?


 ――ううん、頼まれていたのだ。私が私として生まれた瞬間に。この姿をして生まれてきた時点で、すでに。



 右腕がずくずくと痛む。ひきつれたような痛みと、打ちつけるような痛み。

「これも、火傷って言うんですかね……」

 果たして治るものか不明だ。壊死して治らなかった場合、片腕では業務に障りが出る。しかも右腕は、私の利き手。ってことは書類仕事もできないじゃないか。港湾課としての復職が絶望的だ。

「おとなしく降参しとけばよかったですかね……?」

 それもすべて今さらだけど。

『こうさんするなら、つづけないよ』

 ヒナは表情を変えずにそう言った。


 炎の塊は最大で9つまで、一度放った後は再生するのに少しばかり時間がかかる。少しと言っても、それはヒナが『やろうとする』時間を必要とするだけで、タイムラグを狙えるほどの時間ではない。

 目の前で最大数の炎の塊を回しながら、ヒナは私を見つめる。

『てきじゃなければ、こうげきしない』

「……敵、というのは何に対して?」

『まじん』

「彼女の邪魔をしなければってことですか。なら、こういうのはどうです?

 私が、ここから先に進まず、玉座の間に入らなければ、ダーラー様の言うところの別働隊には当たりませんよね?」

『……?』

 私の言葉に、ヒナは首をかしげた。

「降参はしません。……ですが、この場から進むのは止めておきます」

 参った。

 右腕に受けた火傷のせいで、頭が朦朧とする。

 別に流血したわけでもないのにどうしてだ。――言われるまでもない。痛みのせいだ。

「どうでしょう、続けます?」

 私の言葉に、ヒナは不思議そうに眉を寄せたが、やがて周囲にくるくる回っている炎の塊を消した。

『つづけないよ』

 

  □ ◆ □



 ……チリッ、チリッ……


 アラム先輩に武器を放ったファルは、なんとか起き上がるところだった。よほど強く身体を打ってしまったのだろう。

 そこへ、気楽な様子で近づく男が一人。――キルスである。

「よう、王子さんよ。アラム隊長の願い事は聞きいれた。次はおまえさんの番だ」

 目の前でダーラー様とアラム先輩との間で激しい戦闘が起こっているというのに、飄々とした態度。

 もっともキルスは最初からこんなものだった気もする。

「願い事、か……」

 ファルの視線が魔神を探す。魔神は先ほどからずっと動いていない。

 事の成り行きを見守っているようにも見えるが、赤い双眸が気にならなくもない。

「君にしか求められない願いがある。願いをかけてもいいか、魔神?」

 ファルは答えを求めるように魔神を見やった。素通りされた形になったキルスが憮然とした表情を浮かべる。

 魔神はうっすらと笑みを浮かべてファルを見返した。


「魔神、君には二度と魔法を使わないでもらいたい」


 ぴくりと魔神が反応を見せた。キルスは驚きに目を丸くしている。

「君の存在意義を奪うようで申し訳ない。だが、それがオレの願い事だ。『魔法のランプ』も、魔神の存在も、今の世には余りあるものだ。混乱にしかならないものを、これ以上世に解き放つことはしたくない。もともと、キルスの願いが終われば『魔法のランプ』は宝物庫にしまいこんでしまおうと考えていた。……オレが『魔法のランプ』を探したのもそのためだ。

 オレを主人とするのであれば、――魔神。二度と新しい主人を作らないでもらいたい。

 願い事を規定数叶えないといけないというなら、それを叶えたことにする、という願いではどうだ?君が天界に帰れば、もうこれ以上『魔法のランプ』が混乱を呼ぶことなどないだろう」

 ファルの目は真剣だった。心の底から願い事を告げていた。

「おいおい、本気かよ?王子さんだって願い事があるだろーに。目の前で王座奪ってったダーラーがいて、近くには惚れたけど振り返ってくれない女がいて、ついでに言やぁ、願い事を使いでもしなけりゃ、アラム隊長はやられちまうんだぜ?

 ああ、ほら、旧都の連中を助けられなかったってしょげてた件はどうするよ。ああいうのだって願い事を使えば……」

 キルスがそう言ったけど、ファルは揺るがなかった。

「願い事は自分で叶えてこそだ。力及ばないとすれば、それはオレの力不足だと考える。

 喪われた命に対する無念は覚えるが、……それを、時間を捻じ曲げてまで蘇らせたいとは思わない。」


 ……チリリリリリリリッ…………!

 

 魔神は、笑った。

 ずっと聞こえていた音が、何の音だかようやく分かった。これは魔神の瞳が赤く染まる色だったのだ。

『ようやく、見つけた……!』

 赤い双眸が歓喜を叫んでいる。

『ようやく、ようやく、ようやく見つけた!

 欲がないわけじゃない、むしろ持てあますほどなのに、魔神に願いをかけない男。他人のために魔神の力を奪おうとする男。我が存在を必要としない男!』

 魔神はふわりと浮かび上がり、ファルに向かって両手を広げた。

『王子ファルザード、あなたを待っていた!』

 魔神が赤く光輝く。その光が、――ファルを包んだ。



  □ ◆ □


 次の瞬間、起きたことは説明しづらい。

 魔神の手から放たれた赤い光がファルに吸いこまれたかと思うと、ファルの目が赤く変化した。

 赤い光に包まれたファルがふわりと浮かび上がり、その双眸から光が失われていく。

 

 同じ光はアラム先輩とダーラー様にも降り注ぎ、二人の動きを止めた。

 まさにアラム先輩の首が落とされようとするその瞬間を、時間が止まって絨毯に織り込んだかのように、ピタリと止めたのだ。

 いずれ動き出せばすぐにでもアラム先輩の首が落ちるだろうという一瞬を切り取って、二人は動かなくなった。


 同じ光はすぐそばにいたキルスにも降り注いだ。動きを止めた彼は、そのまま何が起こっているのか分からぬ表情をしたまま床に倒れこんだ。受け身をとることはできなかったのだろう。ずしゃりと音をさせた彼は床に頬をつけた状態で身動き一つしない。

 美しい黄金の床に、キルスの影が映りこんでいるのが見えた。


 同じ光は私とヒナにも降り注いだ。玉座の出入り口から外へと漏れ出した光によって、ヒナが驚いて目を見張る。私は眩しい光に目が眩んでまともに見ていられなくなった。

 右腕を左手で押さえながら扉の影に隠れたが、それでも室内の光景から目を離せなかった。


『王子ファルザード。……いいえ、魔性たるわたしの傀儡となる主人』


 魔神は笑っていた。

 美しい指先をファルの頬に這わせ、魔神は微笑む。

 私そっくりな造形なのに、その凄惨な笑みはなんだというのだ。ついでに同じ顔だと言うなら、意味ありげに彼の頬に触れるような真似はしないで欲しかった。まるで鏡で知らない男女のやりとりを見ているようで不快だ。


『天界に帰ってはどうかと言ってくれた。その心はありがたい。

 けれど、今さら天界に帰って何になるでしょう?

 これほど人間に失望しておいて、今さら人間のために働くことなどできるはずもない。

 誰も私を神と崇めていないのに、天界に帰ったところでやることなどあるはずもない』


 目を細めて魔神は微笑み、今度は彼のまぶたに触れて瞳を伏せさせた。


『我がしもべたちよ、ここに』


 フッと視線を玉座に向けて、魔神はしもべを呼んだ。

 凍りついたように倒れていたキルスと、驚きに目を見張っていたヒナの姿がかき消える。

 次の瞬間、玉座の周りには4人の男女が倒れていた。


 『水』のしもべである”影”。

 『風』のしもべであるシンドバッド。

 『火』のしもべであるヒナ。

 『土』のしもべとなったキルス。


 彼らを包んでいるのは、やはり赤い光だった。より正確に言えば、赤い光は彼らの内から湧きだし、そのまま魔神へと注がれている。

 魔神はゆっくりと、ゆっくりと移動して、宙に浮かんでいるファルを玉座に座らせた。


『ランプの中に囚われて過ごす間、ずっと、ずっと待っていた。

 わたしを願い事のために利用するのではなく、わたしのために願い事を使ってくれる人が現れるのを。何かのついでではなく、わたしのために願いをかけてくれる人が現れるのを。

 結局そのような人物はいなかったけれど、それでも構わない。

 王子ファルザード、あなたを黄金宮の主にしよう。この宮殿には水も食糧もある。あなたの嫌う争いもなく、人が人を殺す様子を見ることもなく、望まない結婚を強いられたりもしない』

 

 くすくすくすと笑みを浮かべ、魔神は続いてアラム先輩とダーラー様へと視線を動かした。

『我が主人たち、あなたがたの出番はもうない。この場で戦い続けてもいいけれど――、』

 魔神はそこで、言葉を切った。

『ううん、前庭に移動してもらおう。玉座の間は、王のための場所。王はこの場にいればよく、王以外の者はこの場に必要ない』

 言葉を終えると同時に、アラム先輩とダーラー様はかき消えた。

 

 もう何度も見た光景だが、何度見ても恐ろしい。

 人間が一瞬で消え去るのだ。今回の場合は前庭に移動しているのだろうけれど、その先でどうなっているのかは分からない。


『さて、もう一人』


 ぎくりと心臓が音を立てる。

 魔神が意図しているのが、玉座の間の外で右腕を押さえたまま様子をうかがっている私であることは明白だった。


主人ダーラーの『女』は順次、元の場所へと戻している途中のはず。それなのに、あなたはなぜそこにいる?』

 そんなのは私の方が知りたい話だ。

 私はごくりと息を呑んだまま、返答をできずにいた。

『もしかして、王子ファルザードに危害を加えることを心配している?

 その懸念は必要ない。魔神には主人が必要だから、主人をないがしろにするようなことはしない。彼には水も食糧もきちんと与えるし、玉座に留まる限りは傷一つ負わせないから』

 私と同じ顔をして、魔神はにこりと微笑んだ。


 考えてみれば、私がこんな顔で笑うことなどあっただろうか。

 目的を果たしているのに、まるで空っぽのような笑顔。

 

「私がここにいるのは、どうやら役目があるからのようです」

 

 私はそう言って、魔神の前に姿を見せた。

 玉座の間への出入り口の扉中央に立ち、右腕を押さえていた左手を解放する。

 ダランと力なく垂れ下がった右腕を見れば、私が力づくで妨害したりできないのは一目で分かるだろう。


「私がここにいるのは、あなたの魔力によるもの。だから、理由はあなたが何より知っているはず」

 

 魔神は首をひねりながらも、両手に赤い光を生んだ。

 炎の塊にも見えるし、それを取り巻く竜巻のような風にも見える。

『何を言っているのか分からないけど』

 周囲を回転しはじめる赤い光。その数、無数。

 お恥ずかしながら20個以上ということは分かるけど動きが速くて数えられない。

『力づくで排除することもできる。それよりはおとなしく黄金宮を出ていくことをすすめる』

 ヒナの炎玉一つで右腕は使い物にならない。その上をいくと思われる魔神の一撃は、どれほど破壊力があるだろうか。



  □ ◆ □


 脳裏をよぎるのは、以前彼女と交わした会話。



――私と似ているのはなぜですか


――『はるか昔、姫がわたしに望んだから。新しい世の中を見せて欲しいと。その時が来たら生まれるようにとしておいた。

   あなたに逢えて、わたしは嬉しい』


――私って、人間ですか


――『もちろん。あなたはただの人間だから、特別な力は何一つない。

   だけどあなたはただの人間だから、あなたを縛るものも何一つない。

   ……わたしと違って』





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