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第三十六話 ひとつの終わり

 私たちは数時間歩き続けた。その間、飲まず食わずである。何人かの女性は音を上げて、かといって置いていくわけにもいかないため途中で何度も休憩を挟んだ。


 ルーズベフは姿を見せず、一人で先行してくれた。道中を塞いでいた砂はすべて『砂人形』と変化し、通路のあちこちに佇んでいる。物言わぬ『砂人形』の姿に女性陣は当初気味悪がっていたのだが、やがてこれが道標だと気づいたらしい。

 不思議なもので、味方だと思えば『砂人形』も怖くないらしく、中には「可愛いわねー」などと暢気なことを言っているカスルさんのような人もいる。つい先ほどまで戦っていたレイリーはその感想を聞いてギョッとしていた。

 ルーズベフはこの空間に水や食糧があると言っていたが、道を拓くことに集中している状況では期待できない。私たちの中に水や食糧を持っていた者はいなかったので、休めば休むほど、状況は不利だった。


 やっとのことで外に通じる出口に着いた時、私たちは安堵のあまり息を吐いた。座りこんだら今度こそ歩けそうにない。それくらい疲れていた。だが、私たちは遅かったらしい。 

 先行していたルーズベフは、出口で待っていた。赤い服装のまま、へとへとに疲れている私たちを黙って見返した。

「ラーダさん、あの方が協力者の方?」

 バハール様が私に尋ねる。はい、とうなずくと、彼女は優美に礼をした。

「ご協力感謝いたします。わたくしはバハール。大臣シャーロフの末娘です。いかなる形であればお礼となりますでしょうか?」

 バハール様の言葉にルーズベフは黙って首を横に振った。

「それには及びませんよ。それに、出口には連れてきましたが、これ以上は道案内ができません。後はそちらのラーダさんにお任せします」


 外は美しい夕焼けだった。

 日中の一番日差しが強い時間でなくて良かったと思う。同時に、深夜の一番寒い時間帯でなかったことも感謝したい。砂漠の夜は冷えるのだ。

 たどり着いたのは黄金宮の中庭にあたる部分であったようだ。

 球形の屋根がついた本宮殿と、その前庭。さらにそれを囲むようにして高い壁がある。そのすべてが黄金色に輝いている。夕陽に照らされて、それはそれは神々しい。

 前庭のみはタイルが張られているようだったが、今は砂によって色合いが分からない。黄金色と砂色以外の色を失ってしまったかのようだ。前庭の中央には噴水のようなものがあったが、今は砂が積もっているだけで水気は少しもない。

 生き物の気配はほとんどなかった。

 美しいが寒々しい場所に風が吹きこむと、砂が煽られて舞い上がる。風除けのようなものを持っていない私たちにとって、このまま夜を迎えることは死に等しい。

「出口、ではありますが……」

 確かに外に脱出はできている。だが、ここは黄金宮の中だ。ここから港街に帰るためにはどうすればいいだろう。なんとか連絡することができれば、向こうから迎えがくる希望もある。だが――。


 ――どん!


「な、何の音!?」

「きゃぁあああああ!?」

「いやぁあ!もうイヤ!」

 

 一瞬、ルーズベフに嵌められたかと思った。

 爆音と共に空が赤く燃え上がったのだ。驚いた女性たちが悲鳴を上げる。


 ――どん!どん!どどん!


 空から炎の塊が降ってくる。それが宮殿にぶつかって衝撃を与えているのだ。

 落下点までは確認できないが、振動が伝わってくるってことは、遠い場所ではないだろう。

「み、皆さん、通路に戻って!天井のある場所に隠れて!」

 中庭は空がむき出しだ。直撃する可能性は低いとはいえ、ゼロじゃない。引きつった顔で指示を出したが、疲れ切っている彼女たちは身動きができない。

 座りこんで恐怖に震える顔で空を見上げるだけだ。


 ――どん!


 再び音と衝撃が伝わってきたところで、レイリーが立ちあがった。手に棒を握りしめて私に告げる。

「あたし、行くわ」

「何を言ってるの、レイリー?」

「よく分かんないけど、この宮殿を襲撃してる人間がいるってことでしょ?敵か味方かはわかんないけど、あたしたちがここにいるってことを知らないんだよ。味方なら助けを求めに行ってくる」

「その棒一本で行く気?」

「ないよりはマシでしょ。それに、走れる元気があるの、あたしくらいでしょ。

 ロクサーナは運動ペケだし、なにより治療師。ラーダはこの一行をまとめるっていう一番大事な役目があるもんね」

 ひゅんひゅんと棒を回して元気をアピールし、レイリーが私たちに背を向けようとした瞬間。


 ――!


 赤い炎の塊が、みるみる巨大化してくるのが見えた。

「マズイ、直撃す……」

「皆さん、伏せてぇえ!」

 声を上げるので精一杯だった。私自身、身を伏せることはできなかった。棒立ち状態だったレイリーはなおのことだ。

 だが――、


 ――――――ずどん!


 目の前に砂の壁が現れた。巨大な巨大な『砂人形』が炎の塊を受け止める。

 いくら固い身体とはいえ、炎の塊を真正面から受けて無事なわけがない。『砂人形』はそのまま、炎の塊を抱きしめて砕け散った。

 ルーズベフだ。これ以上道案内はできないと告げたはずのルーズベフが、通路出口付近からこちらを見つめている。

「え……?」

 レイリーが目を見開いた。まさか彼が守ってくれるとは思わなかったのだ。

「……無謀な真似はほどほどにしなさい。ナスタラーンが、泣くでしょう……」

 そのままどさりと彼は地面に倒れた。


「協力者さんっ!しっかりなさってください!」

 慌てたロクサーナが駆け寄るのを、彼は片手を振ることで拒んだ。

「……魔力を使い果たしただけです。放っておいてください」


 さらに驚くべきことがおきた。

 ルーズベフの身体が『砂人形』と同じ色に変化していく。一塊の砂へと変化していくのだ。みるみるうちに肌が、手が、服が、顔が、あらゆる部位が砂色の人形へと変わっていった。

「なっ……!?あんた、砂を使うだけじゃなくて、身体まで砂なの!?」

 レイリーが悲鳴を上げる。

「ラーダさんっ!?これ、どういうことですか!?」

 ロクサーナまで悲鳴を上げた。だが、私にだって説明できるわけじゃない。

 分かったのは一つだけだ。

 確か、ルーズベフは魔神に魔力を提供している途中だった。シンドバッドだって、魔力を提供した結果空を飛ぶこともできず、空飛ぶ船を維持することもできなくなった。

 だというのに彼は『砂人形』を大量に使って通路を開いた。おそらくは最後の力を振り絞って巨大な『砂人形』を作ることで私たちを守ってくれた。

 魔力を使い果たして、……そうだ、その身体を維持するために必要な分まで使い果たしてしまったのだ。

「そんな……」

 そうして、ルーズベフは消えた。


 □ ◆ □


 ルーズベフの消滅は衝撃的だったが、ショックを受けている場合ではない。

 私たちは出口付近まで戻り、天井の下に隠れるように潜む。その上で、私とレイリーの二人とで様子を見に出ることにした。

 炎がどこから放たれているのか、その出所が分かれば対処のしようもあるだろう。それも分からず16名もの人数で移動するのは効率が悪すぎる。

「バハール様、申し訳ありませんがこの場をお願いいたします。ロクサーナ、くれぐれも身の安全を優先してね」

 私が言うと、バハール様は穏やかに微笑み、ロクサーナは真剣にうなずいた。


「バハール様も素敵な方ねえ。シャーロフ大臣の娘さんだっけ?」

 レイリーが私にこっそりと聞いた。

「でもあのご年齢だと、ダーラー様の正妻……、……あれ?違うか。ダーラー様ってシャーロフ大臣の孫だよね。ってことは……あれ?」

 首をひねったレイリーは、やがてバハール様がダーラー様には叔母にあたるのだと気づいて顔を歪めた。

「どういうこと?」

「……アラム先輩は、ダーラー様はずっとバハール様のことがお好きだったんだろう、と言ってたよ。でも、承知の通りの関係だから、お二人の間には何もない」

 私がそう言うと、レイリーには分かってしまったらしい。

「バハール様は、どうなの?」

「さあ……。ご本人から聞いたわけじゃないから。だけど……」

 私は続けた。

「ファルは、バハール様はずっと、サンジャル様のことがお好きだったと言ってたし。先ほどのご様子からも、バハール様はダーラー様を、あくまで家族としか見ていないんだと思う」

「つまり、ダーラー様は、バハール様が欲しくて王様になったわけね。普通じゃ手に入らないから、無理やりに」

 顔を歪めたまま、レイリーはさらに言った。



 前庭はタイルが張られているようだったが、今は砂によって色合いが分からなかった。

 中央を進んでは逃げ場がないので、私たちは壁に沿うようにして移動した。これなら、砂に足跡がついて目立つということもないからだ。

 炎の塊を放つなんていう投擲器は知らないが、火矢のようなものだと考えれば可能性はある。燃える素材のものを撃ち出す投擲器で狙っているということだ。だが命中精度は高くないのだろう、そうでなければあちこちに当たるなんていうことにはならないはずだ。

 黄金宮を攻撃対象にしているということは、ファルたちによる行動ではないかと期待しているわけだが、助けがくるほど時間が経過しているんだろうか。

「レイリー、あなたが気づいてからどのくらい時間が経ってると思う?」

 夕空を見上げて私が聞くと、レイリーは油断なく棒を構えながら答えた。

「あたしが気づいてから、ラーダに再会するまでが20分。その後経過した時間は一緒だと思うけど」

「……そっか」

 参考にならない、ということが分かっただけだった。


 ――どん!


 また来た。今度も黄金宮の外からだ。方角を確認して見上げた先に、――小さな影が見えた。

「ん?」

 瞬きすると、もうそこには影はない。鳥かと思って私は目を細める。


 ――どん!


 またまた来た。今度は本宮殿の屋根に当たった。黄金でできた屋根は燃えはしなかったが、焦げ付いたような跡と共に、ガラガラと屋根が壊れ落ちる。

「ラーダ、今、なんかいた!」

 レイリーの声に視線を動かすが、やはり何もない。

「ああ、もう行っちゃった!でも、確かにいたんだよ。なんだろう、鳥……?」

 

 ――どん!


 再び屋根を狙った衝撃に、私とレイリーは同時に指を差した。確かに影がいる。あまりに速いので目に留めることは難しいが、鳥にしては速すぎる影だった。

「あそこ!」

「あたしも見た!」

 正体については見えなかったというのが正しい。だが正体はすぐに判明した。


【痴れ者が、ひれ伏したまえ】


 本宮殿から声が発せられた瞬間、はるか上空にあった影が落下した。

 まるで飛行中の鳥が矢で射抜かれたかのようにものすごいスピードで地上に落ちてきたのである。




 あの勢いで落ちたら、骨が砕ける。そう危惧したとたん、私は走り出した。

「ちょっと、ラーダ!」

 釣られたような勢いでレイリーも駆け出す。

 落下地点に回りこんだところで何かできるわけではない。だけど、おかげで状況が分かった。

 ものすごい勢いで落ちてきたそれは、地面に着く寸前、止まった。ギリギリで踏みとどまって宙に浮かび上がる。

 ――それは、『魔法の絨毯』だった。


 乗っていたのは2名。

 王子ファルザードと、港湾課所属の調査官アラム。つまりファルとアラム先輩だ。

 彼らは激しい落下による眩暈を抑えながら顔を上げ、私たちに気づかずに本宮殿を睨みつけた。


「アラム、間違いなくあの場所から聞こえたぞ」

「おうよ。……ヒナの魔力を吸い取った件、死ぬほど後悔させてやる」

 『魔法の絨毯』はそのまま低空飛行を続け、本宮殿へと直進していく。

 

 どうしてだ、と私は思っていた。

 彼ら二人がやってくることは期待していた。おそらく間違いなく、ダーラー様を打倒するためやってくるだろうと思っていたのだが、二人きりでくることはまったく想定していなかった。

 何しろダーラー様は、王位簒奪をしでかしたのだ。そのような危険な相手に、王位継承者であるファルが護衛もなく近づくなどあってはならないはずだ。『魔法の絨毯』を使うのであれば、一軍を一緒に乗せることだってできたはずではないか。

 いや、考えようによっては違うのかもしれない。ダーラー様はその声以外に明確な武器は持っていない。得体の知れない脅威である魔神も、すでに願い事3つを使い果たしている状態だ。彼を守るのは、魔神一人だけ。


【たった二人で何ができると?それともその『魔法の絨毯』を献上しに来たのかね】


「ダーラー!港の王宮はすでに奪還している!おまえが国王陛下にかけた暗示もすでに解き放った後だ!抵抗せず投降しろ!」

 ファルの声が高らかに響き渡る。


【くっくっく……ふあっはっはっは!私と戦うつもりかね!】


 ダーラー様の姿は見えない。声がするのは本宮殿の方だから、そちらの方にいるのだろう。

 そう思って視線を向けた私は、別のものが視界をよぎったのに気づいた。

 本宮殿の真上に、人影が現れたのだ。遠すぎて誰かは分からなかったが、その髪が鮮やかな青色をしていることだけは分かった。青い髪の持ち主など、私は一人しか知らない。シンドバッドだ。

 人影は大きく両手を広げ、本宮殿を覆い尽くすような風を巻き起こした。

 まるで竜巻のようなそれが、薄っぺらい『魔法の絨毯』を吹き飛ばしていく。

 さらに本宮殿を覆う球形のヴェールを作り出したところで、青い髪をした人影は姿を消した。


【はっはっは!まるで紙切れのようではないかね!】


 勝ち誇ったような声が響いた。


「ラーダ、あれ……」

 『魔法の絨毯』の行方を目で追っていた私は、レイリーがそっと声をかけてくるのに気づいて視線を向けた。

 彼女が見ていたのは前庭にある噴水だった。砂が積もり、施された彫刻もまったく分からない状態だったものが息を吹き返している。中央からコンコンと水があふれ出て、辺りに広がっているのだ。

 レイリーが私を呼んだのは、水のせいではなかった。噴水のそばにいる女性の姿のせいだった。

 見覚えのあるシルエットは、――そうだ、あれは”影”。ナクシェ村で出会った魔神のしもべである。

 彼女は噴水に水を戻すと、それ以上周囲を気にかけることなく、姿を消す。

  

「レイリー、バハール様とロクサーナに連絡を。待機してる人たちを呼んできて。

 あの水はたぶん、飲める。ルーズベフが言ってた、黄金宮には水も食糧もあるって件だと思うから」

「けど、ラーダ。前庭ってことは、外から丸見えだよ?16人もいたらバレちゃわない?」

「……そうだね、じゃあ。バハール様とロクサーナにだけ、伝えて。ここまで忍んでこられる人間を選別して、水筒代わりになるもので運べばいいと思う。すでに脱水症状に近い子もいたはずだから、少しでも早くした方がいい」

「ラーダはどうする気?」

「私は本宮殿の方を見てくる。……さっきの竜巻で、『魔法の絨毯』がそちらに落ちていった。助けに行かないと」

「そっか。なら、これ」

 レイリーはそう言って、手にしていた棒を手渡してきた。

「?……私はこういう武器使えないけど……」

 口端にニヤリとした笑みを浮かべて、レイリーは笑った。

「お兄ちゃんに渡してちょうだい。あれでも、武術の腕は将来の将軍候補とまで言われた男なんだよ」

「……アラム先輩が?」

 書類仕事が苦手でいつも溜め込んでいる姿を思い出し、私は棒を受け取りながらも困惑を隠せない。

「そっ。あたしがダーラー様に目をつけられたりしなけりゃ、今頃国王陛下の護衛官くらいはしてたはずなのにね」

「……ん。分かった」

 グッと棒を握りしめて、私は一つうなずいた。

「レイリーこそ、護衛対象は14人だよ。くれぐれも、無茶しないようにね」

「任しときなさい。あたしは、無手だってお兄ちゃん譲りなんだからね」

 ひらひらと片手を振って、レイリーはロクサーナの待つ通路出口へと駆けていく。


 □ ◆ □


 本宮殿への道のりは簡単だった。

 前庭から入り口が見えていたからだ。

 本宮殿のどこにダーラー様がいるのか、これはよく分からない。おそらくは玉座の間のような場所があるのだろう。港街の王宮で迷わず玉座に座っていた彼のこと、こちらでも同じ場所を選んでいる可能性は高い。

 上空は風が覆っており、空からの侵入はできなくなっている。竜巻に吹き飛ばされた『魔法の絨毯』の落下した場所を目指し、私は駆けた。

 本宮殿の裏手に男が二人倒れていた。

「ファル!アラム先輩!」

 二人に限ってまさか、とは思いつつも、はるか上空から落下したことを考えれば無傷のはずがないとは分かっている。

 治療師のロクサーナを連れてくれば良かった。そんな気持ちで駆け寄っていった。


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