第二十七話 帝国王女の想い
ナスタラーン姫が帰国する日がやってきた。
調査団と合流しだい帰国という流れなのは知っていたが、肝心の調査団は謎の襲撃によって負傷者がいる状態だ。道中の船上に関してはエラン王国の治療師たちが同乗するという。
ロクサーナは同乗メンバーに選ばれなかったため、今日も港街で働いている。彼女も残念がっているに違いない。
出発は夕方だと告げられ、珍しくアラム先輩による朝礼が行われた。
「回復するまで帰国延期って噂を聞いたんですけど。ほら、エランで治療施設を整えるとかなんとかって話があったような気が」
私が尋ねると、アラム先輩は首をひねった。
「そうだったか?けど、ペテルセアの方が医療設備は充実してるからな。調査団も調査が終わればいろいろ仕事があるんだろ」
「そうですか……」
「なんだよ。帰ってほしくないのか?俺はさっさと帰ってほしいがなー。仕事が増えてたまらん」
「もう一度くらいナスタラーン姫とお会いできるかもしれないなって思ってたんですよ」
私が理由を言うと、アラム先輩は感心した表情を浮かべた。
「仲良くなったもんだな」
「はい。先輩だって嬉しくありません?ナスタラーン姫、美人ですよー?ついでに美肌ですよー?先輩、お姫様抱っことかしちゃってたじゃないですか」
もっとも私が彼女のことを気に入っているのは、別に彼女の容姿が優れているからというわけではないけれど。
「まあ、見る機会はなさそうだと思ってた美人に会えたのはラッキーだったけどな。彼女のせいじゃないとは言っても、トラブル続きで連日たまったもんじゃなかったぞ」
「残念です」
アラム先輩には同意を得られるかと思っていたので私が肩を落とすと、彼は少しばかり苦笑いを浮かべた。
調査団が持ち帰る予定だったという発掘品については、知らされなかった。
だが、調査団を襲ったという謎の襲撃者たちの目的が、発掘品にあったのは明白である。調査団は怪我こそしたが、命を落とした者はいなかったし、襲撃者たちは発掘品を根こそぎ奪った他には何も盗んでいかなかったからだ。
連日港で国外逃亡者を見張っていた私たちだが、今のところ包囲網に引っかかってくる者はいなかった。
警備にあたっているサンジャル様は、国の威信を傷つけられたことに怒り心頭、かつ、これによってエランの自治体制にペテルセア帝国が口出ししてくることを恐れてピリピリしており、アラム先輩だって余計な口を利きたくないという状況らしい。
「ホントこええーって。サンジャル様も容姿に恵まれているからな。そういった方が怒ってるんだぞ?これで、サンジャル様に恋人なり奥様なりいらっしゃればとりなしも頼めるってもんだが、サンジャル様は独身だからな……。誰もなだめられない男ってのは、もう手が付けられない。例の連中、捕まってみろ。八つ当たりされてヒドイことになるぞ、絶対」
同じく独身恋人なしのアラム先輩はそう言って首を振った。捕縛されて尋問を受ける犯罪者が、たまに先輩のことをサディスト呼ばわりしていることを私は知っているが、今は何も言わないでおこう。
「それはまあ、犯人の自業自得ですが……。当日の私たちに何か特別なことでもあるんですか?」
私と同じくアラム先輩から説明を受けていた同僚がコクコクとうなずく。
「ない」
きっぱりとアラム先輩は言った。
「サンジャル様が自らペテルセア帝国までお送りするそうだからな。不審者が乗りこむこともないし、いつも通りちょっとした荷物チェックだけだ。調査団の発掘品に関しては元々チェックしてはいけないことになっているしなあ。外交使節扱いっつーか。まあ、ラクでいいけどな」
「サンジャル様も行かれるんですか?」
「ああ。……喧嘩になんなきゃいいんだけどなー。ナスタラーン姫との相性は悪いんだよな、サンジャル様」
はあ、とアラム先輩はため息をついたが、それはそれ。
ここで彼が心配したところで人事が変わるわけがないのだ。まして、サンジャル様自らってことは、エラン王国の代表としてってことなんだろうから。
「ああ、送迎式の余興の件で、バハール様がお話があるそうだから、ラーダ、おまえロクサーナを連れて港まで行ってくれ」
「え?」
バハール様は外からはそうと分からないよう、覆いをしたテントの中にいた。
テントの中には彼女の他に何名かの女性がおり、全員が楽器を手に持っていた。衣装は以前もそうだったように、華やかなものである。覆いの下にいるなんてつくづくともったいない。
テントの外にはさりげなくかつガッチリと警備の男たちがいたので、このテントに特別な人間がいることはすぐに分かった。
診療所にいたロクサーナに声をかけ、さっそくやってきたのだが、私たちに何の御用だというのだろう。
「お二人とも、足を運ばせてしまってごめんなさい」
目元のホクロがひときわ色っぽい。バハール様はそう言って微笑むと、私たちのために用意されたと思われる椅子を示した。
「本当は、堂々とお見送りしたかったのだけど。わたくしが表に出てくるとダーラーがやたらと喧しいのよ」
バハール様が困ったように微笑むと、周囲の女性陣がくすくすと笑った。
「と、おっしゃいますと。……調査団のお見送りのためにこちらにいらしたのですか?」
私が尋ねると、バハール様は微笑んだ。
「ええ。あなたがたはナスタラーン様に直接お会いすることもできるのでしょう?ですからぜひお伝えしたくて。港で音が聞こえたら、わたくしたちからの贈り物ですよ、と」
「しかし……」
私たちがナスタラーン姫にお会いする機会はもうないように思う。そう思いながらロクサーナの顔を見やると、彼女は真剣にうなずいた。
「かしこまりました。確かに承ります」
「ええ。お願いね」
にこりとバハール様は笑った。
「……しかし、えーっと、失礼ですけど……ナスタラーン姫とは打ち解けられたのですか?」
私がもごもごと尋ねると、バハール様は言わんとするところを理解してくれたらしい。
バハール様は、ナスタラーン姫を出迎える際、『わたくしたちが気に入らない女性なら、王子はお気に召さないようだと報告する』と暗に告げていたはずだ。
「ふふふ」
バハール様は含みのある笑みを浮かべ、手元の弓奏楽器をぽろん、と鳴らした。
「お友達にはなれるかもしれないけれど、後宮の主には相応しくない方と思いましたわ」
くすくすくす、と他の女性たちもまた、笑みをこぼす。
「ファルザード様とも、そう。仲の良いお友達にはなれるでしょう。ご夫婦になられた場合、お互いを思いやる良い関係を築けると思いますわ。
けれど、ファルザード様が寵姫に夢中になってしまわれたら、破綻してしまうのではないかしら。その場合、わたくしたちはナスタラーン様の味方になるでしょうから、ファルザード様はますます寵姫をお庇いになるでしょうし」
スッとバハール様は目を細めた。
「まだ早いのですわ、ファルザード様には」
周りの女性たちもまた、くすくすと笑って付け加える。
「ナスタラーン姫をお迎えするのでしたら、もう数年先でないと」
「彼女がそれまで独身でしたらですけれどねえ」
暗に、それはないだろうと女性陣は告げる。確かにナスタラーン姫は20歳くらいのはず、いつまでも独身ではいないだろう。
「ナスタラーン様とはもう少しお話をしたかったので、滞在中は我が家にどうかと思ったのですわ。けれど、邪魔が入ってしまって……」
バハール様がそう言いかけた時である。
バサッとテントが開いた。
「!?」
高貴な女性が滞在しているテントを急に開けるなんて無作法にも程がある。まして、外には警備の男たちがいたはずだ。
思わず身構えた私の目の前に現れたのは男性だった。
高級品を身に着けた男性である。鮮やかな色の上着には銀糸の刺繍が入っている、どこか上品なデザイン。中肉中背で長い髪を束ねており、年齢は30歳前後。
見覚えのある顔だった。
慌てて私は椅子から立ち上がり、礼をとった。臣下の礼が相応しいかどうかは分からないが、彼が上司にあたることは知っている。
シャーロフ大臣の孫、ダーラー様だ。
「ダーラー!?失礼にも程がありますわよ」
バハール様は気分を損ねたような顔で立ち上がった。その間に、他の女性陣は慌ててヴェールをかぶって顔を隠す。
「おまえこそ勝手な真似はするな。女たちを連れ出して何様のつもりだ」
柔和な微笑みもなく、穏やかな口調でもなく、詰問するような声でダーラー様は言った。
「ナスタラーン様のお見送りですわ。顔は出すなとおっしゃるから、せめて音だけでもと思いましたのよ」
「それが勝手な真似だと言うんだ!」
「ナスタラーン様はペテルセアの王女様ですのよ。こちらの最大限の気持ちをお伝えした方がよろしいと思いますけど」
「港は今、厳戒態勢に入ってるんだ!警備の邪魔になることはするなと言っている!」
「わたくしが思い通りにならないからと、キンキン叫ぶのは止めてくださいませ。見苦しいですわよ」
ダーラー様の言葉に対し、ツレない言葉で返すバハール様。冷たい視線は顔立ちの美しさもあってぞくりとするほどだ。
「そもそも警備をしているのはサンジャルでしょう?あなたには関係のない話。だいたいそれが、叔母に対する態度ですの?」
バハール様はツンと顔をそむけると、ヴェールを身に着けた女性たちにそっと目配せした後、私とロクサーナを見やった。
「ごめんなさいね。それではお願いしますわ」
「かしこまりました」
ロクサーナが目を伏せたまま答え、私とロクサーナはテントから退散しようとした。
「待て」
その場から逃げようとした私たちに、ダーラー様の声がかかる。
「その服装、港湾課だな?何を頼まれた」
「バハール様よりご依頼されたことですので、わたしたちの口からはお答えしかねます。どうぞバハール様にご確認ください」
答える気はないと示したロクサーナが目を伏せたまま私の袖を引く。
ダーラー様の目が舐めるように上下した。
港湾課の制服を確認しているのかと思ったけど、それ以上に、ロクサーナと私が女であることを服の上から確認するような視線だった。正直言って気持ち悪い。
「では失礼します」
逃げるが勝ちとばかりにその場を離れた私たちは、テントの外に出るなりダッシュした。
ダーラー様に見つからないだろうと思われる場所まで離れたところで、ロクサーナと顔を見合わせる。
彼には以前にもお会いしたことがあるが、あんな口調で話すところははじめて見た。
「バハール様と仲が悪いって、本当なんだ……」
私が驚いたことを隠さず漏らすと、ロクサーナは青ざめた顔で首を振った。
「お身内の前だからでしょう。噂ですと、顔を合わせるたびに喧嘩になるのだそうですから」
「えええ?ほんとに?バハール様が?」
「はい」
青ざめた顔のままため息をついたロクサーナは、今さらながら困った顔をした。
「それよりも、どうしましょう。ナスタラーン姫にお伝えするなんて、どうやったらできると思います?」
それは考えてから口にして欲しかった。
私とロクサーナは顔を見合わせて頭をひねった。
結論としては、やはりというべきか、私たちに使える唯一の手段に頼るしかない。
並んで照れ笑いを浮かべた私とロクサーナを、アラム先輩はすごく嫌そうな顔で出迎えた。
□ ◆ □
ぶつぶつと文句を言われたが、アラム先輩はさすがである。
夕方の最終出航準備の直前、サンジャル様が船に乗り込む前の時間を使って、私とロクサーナがナスタラーン姫の控え室に近づけるように手配してくれた。
港湾課の恰好をしていれば、「ああ、仕事なんだろう」と周囲は思ってくれるので、下手にびくびくせずに堂々と行くようにとアドバイス付きである。
私とロクサーナは時間を調整して待ち合わせ、こっそりと控え室に入りこんだ。
ナスタラーン姫の控え室は、彼女が船に乗り込むまでの間時間をつぶせるよう、退屈しのぎのための本などが用意されていた。
だが、楽器や一緒に踊れるメンバーの方が良かったのかもしれない。本をチラ見した形跡はあるが、彼女は退屈そのものといった風に足を投げ出して敷物の上でニキとお話中だったのだ。
「まあ!まあまあまあ!来てくれたのね!」
ナスタラーン姫の大歓迎に迎えられ、私とロクサーナはそれぞれ彼女と握手をする光栄に恵まれた。よほど暇だったらしい。
彼女は『砂漠の薔薇』の香水を荷物に入れているらしく、部屋にはほのかに香りが漂っていた。
「昨日挨拶に来てくれたから、もう逢えないのだと思ってたわ」
嬉しそうににこりと笑ったナスタラーン姫に、私も心底嬉しくなった。アラム先輩に感謝だ。
「実はちょっと、伝言がありまして……バハール様からなのですが」
そう言って私がバハール様から頼まれた伝言を伝えると、ナスタラーン姫は驚いたようだった。
「演奏を?わたくしに?」
「ええ。直接お見送りができない代わりに、音だけでもということでした。船にお乗りになった時に聞こえてくるかと思います」
「まあ……。まあ、まあ、まあ……!」
パアッと喜びを露わにしたナスタラーン姫はニキに笑顔を向けた。
「聞こえた?バハール様はわたくしのことを気に入ってくださったみたい。嬉しいわねえ!」
「はい。姫様。よろしかったですね」
「素晴らしいわ!お礼はできないかしら。そうだわ、ニキ。船には楽器を載せるでしょう?どれか一つ外に出しておけない?離れているけど合奏するのはどうかしら」
「可能だと思います」
「素敵だわ!ねえ、ラーダ、ロクサーナ。あなたがたはどう思う?」
話を振られ、私は思わず笑った。ナスタラーン姫は来訪時からずっと、一緒に演奏してみたいとおっしゃっていたし、このお別れの場面であれば周りからとやかく言われることもないだろう。
「良いと思います。バハール様も喜ばれるかと」
「ええ!大賛成です!……あ、でも、合奏となりますと曲が問題ですよね。バハール様の演奏される曲でご存じの曲はあるのですか?」
「そうねえ……。歓迎会で弾いてらした恋唄とかはどうかしら。わたくしとしてはもっと冒険活劇のような楽しい曲の方が好きなのだけど、バハール様はお好きのようだったし。あの曲なら一度聴いたから、わたくし合奏できると思うわ」
ナスタラーン姫の自信にあふれた言葉に私は感服した。私やロクサーナでは、とても一度聴いただけの曲を演奏したりなどできない。そもそも楽器自体がダメだって話なんだけど。
「……そうですね。調査団の面々にも聞こえるでしょうし、姫様の冒険活劇の曲では、失敗がよけいに胸に刺さるでしょうから」
「ああ、そうね。調査団ときたらランプを見つけたって大喜びしたところを襲撃されたそうだもの。父上がさぞ喜んだろうと思うとねー。気の毒だわ、調査団の方々」
「はい。陛下は八つ当たりなさるでしょう」
淡々とニキが告げたが、それってかなり大事だ。権力のある人物による八つ当たりってかなり恐ろしい。調査団の人、命は大丈夫だろうか……。エランの不始末だと思うと、つくづくと申し訳ない。
そう、恐縮してしまった時である。
カタン。
小さな音が戸口から聞こえた。
ニキの表情が変わる。懐からナイフを取り出し、鋭い眼光で入口へと素早く近づいた。
さらさらと砂の鳴る音が聞こえ、戸口を振り返った私は不思議なものを見た。
扉の下にある小さな隙間から、細い砂の糸のようなものが室内に入ってきていたのだ。それはさらさらと音を立てながら一か所に固まり、徐々に砂山を大きくしていった。
「な、な、な……?」
困惑する私の前を横切るようにしてニキはサッとナスタラーン姫を見やる。
「姫様。外にお出にならないよう」
そう言い残して、ニキは音もなく部屋の外に出て行った。
砂は何かを形作っているようだった。
細い砂の糸で作る彫刻のようなもの。細かい砂は水分もなく、すぐに崩れ落ちてしまいそうなのに、生き物のように動くそれは意識を持って何かを作り出している。
「ナ、ナスタラーン姫、これは……なんですか……?」
私とロクサーナが動揺するのに対し、ナスタラーン姫は動じていなかった。なんでもないような顔をして砂の造形を見守っている。
「わたくしにも分からないわ。でも、ペテルセアにいたころから、たまに届けられる”贈り物”なのよ」
砂が作り出したのは花だった。
薔薇のような、何枚も花弁のある美しい形。花びらや葉の葉脈まで細かな細工が施された砂の置物だ。
大きな花瓶の中に何本もの薔薇の枝が生けられて、まるで大きな大きな花のように見えるというデザイン。
「ああ、やっぱり。『砂漠の薔薇』の香りがよく似合うわね」
嬉しそうに微笑んで、ナスタラーン姫にはこの砂の花を楽しむ余裕さえあるようだった。
やがて高さ一メートルほどの大きな花に育った砂は、完成したとたん崩れた。
さらさらとした砂の糸になり、また入り口の隙間から外へと出ていく。
異常な光景に目を離せないでいた私は、ロクサーナがポツリと呟いた声を聞いて驚いた。
「綺麗でしたね」
私の目には異常さばかりが映った光景だが、ロクサーナに言わせると美しい”贈り物”だったらしい。
ロクサーナは少しばかり羨ましそうな目をしてナスタラーン姫に尋ねた。
「贈り主は分かっているんですか?」
「いいえ?ニキがピリピリして贈られるたびに相手を狙いにいくんだけど、今のところ一度も捕まえられたことはないのよ」
狙いにいく、って、それはかなり物騒な意味ではないだろうかと思うのだが。
「でもお花を贈ってくださるなんて、素敵な方ですよ。ペテルセアでは分かりませんが、エラン王国では贈り物に生花を選ぶことなんてまずできませんから」
どうやらロクサーナのロマンチック思想に触れる品だったらしい。なるほど、と半分納得しかけながら、私は首をひねった。
「生花、ではないよね。砂だし」
「そりゃあ。生花なんて無理ですよ。ここはエラン……砂漠の国なんですよ?」
「いや、そうじゃないの。無理かどうかって話なら、そもそも自動的に動く砂で花を作って贈る方がよほど無理じゃない?そんなことができるのに、生花じゃなくて砂の花なのは意味があるのかなって」
私が言うと、ロクサーナは目をぱちくりさせた。
「意味?」
「これって、純粋にナスタラーン姫への贈り物なんでしょうか?」
何か深い意味があったりは?と尋ねた私に、ナスタラーン姫は首をひねった。
「どうかしら。少なくとも、ニキにとっては嬉しくない”贈り物”に見えるみたいだけど」
だって、とナスタラーン姫は微笑んだ。
「これが害意のあるものであったら、わたくしは何度殺されたか分からないのだもの」
恐ろしいことをさらりと口にしながら、ナスタラーン姫は花の消えたあたりへ向けた目を細めた。
「でも、そうね」
ナスタラーン姫はロクサーナを見て尋ねた。
「これが男性からの”贈り物”だったとしたら、あなたなら嬉しい?ロクサーナ」
「もちろん……」
嬉しいと答えようとしたロクサーナは、ふと唇の動きを止め、指先を唇あたりでさ迷わせた。
「ナスタラーン姫は嬉しくないのですか?」
「うふふふ」
目を細め、ナスタラーン姫は答える。
「分からないのよ。
ファルザード王子に対してもそうだったように、わたくしにはまだ、相手が男性であったから特別に嬉しい、という感情が分からない。ずっと父上の政略結婚の道具にされると分かっていたせいかしら。恋に興味が湧かないの。それよりも女の子と一緒にいる方が楽しいのだもの」
ナスタラーン姫は嬉しそうに目を細めて、砂の花があった場所に触れるように手を伸ばした。
「だけど、男性かどうかは関係なく、わたくしはこの花の贈り主が気になるの。
どうして”贈り物”に花を選んだのか、どうして崩れて消えてしまう”砂”を選んだのか。どうして贈り先にわたくしを選んだのか……。
ロマンチックな理由でなくても良いのよ。もしかしたらわたくしのことが嫌いで、殺したくなるほど憎んでいて、いつでも殺せるのだと示していたのだとしても。
わたくしは相手の方に尋ねてみたいわ。あなたにとってわたくしは”特別”なの?って……」
うっとりと頬を染めたナスタラーン姫は、見たことのない送り主に対して、特別な想いがあるのだろう。
それは、恋や愛ではなかったとしても。
「ナイショよ?わたくしがこんなことを思っていると知ったら、ニキが怒るもの」
そうだろう。今だって殺気立つほどの警戒感で送り主を探しにいっているというのに、当の本人は『別に殺されても構わない』と思っているなんて、ニキが可哀相になってくる。
「わたくしはニキのことが大好きだから。彼女に心配をかけたくないので相手を探しに行かないの」
今はまだ。ナスタラーン姫の唇はそう動いた。
バハール様の演奏を耳にしながら、私とロクサーナはナスタラーン姫の控え室を後にした。
船に乗るタイミングが分からないので早めに演奏をはじめたのかもしれない。
戻って来たニキと相談し、さっそく合奏の準備をはじめているナスタラーン姫を、私たちは名残惜しく見送った。
次に会う機会があるとすれば、ファルとの婚姻が決まった時だろうか。あるいは、親善大使のようにしてやってくることもあるかもしれないけど。
その時、砂の花の送り主には会えているのだろうか。
「どうしました、ラーダさん?」
控え室を出てずっと黙っていた私に、ロクサーナが尋ねる。
「先ほど、ナスタラーン姫が砂の花の送り主について話してらした時。泣きそうな顔をしてましたけど」
「え?」
ロクサーナの顔を見つけて私は驚きを口にした。
「泣きそうな顔をしていた?私が……?」
「はい。ホッとしたような、困ったような、そんな風でした。……確かに、ファルザード王子とナスタラーン姫が結ばれて王妃としてお迎えできれば、エランの女性たちの地位は上がるでしょう。わたしたちも働きやすくなるだろうと思います。……でも、お二人が結ばれることがなかったとしても、わたしたちの現状が悪くなったりはしませんよ?」
ロクサーナの言っている意味が分からず、困惑する私に、彼女は首をかしげて補足した。
「ナスタラーン姫がファルザード王子よりも”砂の花の君”へ気持ちを寄せておられることが、残念だったのではないのですか?」
「え……」
「あら、違いました?」
ロクサーナが不思議そうに尋ねる言葉を聞きながら、私は自分が何に驚いているのか分からなかった。
それについて深く思い悩む時間もなかった。
港湾課の事務所へと戻った私たちにもたらされたのは、凶報だったからだ。




