第二十五話 ルーズベフという男
国外脱出者を止める。
言葉で言うと簡単だが、荷物チェックがメインの港湾課にとって、余計な仕事には違いない。
その点、今回は軍から支援があるので、私たちが荷物チェックを行っている最中、隣で厳つい男たちが警戒にあたるという図になる。
なにしろ、ペテルセア帝国の調査団を襲ったという輩である。実態がほぼペテルセア帝国の属国という現状を考慮すると、これは国に対するテロ行為と見なされて当然だ。
ペテルセア帝国による支配を良しとしない一部勢力による暴走ということだ。
冗談ではない。そんなことが頻発するとなったら、ペテルセア帝国が武力介入してくる。エラン王国の上層部には任せておけんとばかりに軍を派遣してくるはずだ。平和とは程遠い、内戦状態に突入しかねない。
私個人はそこまで思いつかなかったが、アラム先輩から聞かされたそれらの話に背筋が寒くなる。
ピリピリしつつ港を巡回しながら見張りを行い、夜が明けた。
私とアラム先輩は、眠い目をこすりながら事務所で顔を見合わせた。
徹夜であることはどうしようもないが、食事をとらないと仕事にならないため、何か口にしようと戻ってきたのだ。
エラン王国は砂漠の国だ。熱い太陽がジリジリと大地を焼く。常日頃からいっそ恨めしい思いをもって見上げることの多い太陽なんだけど、……今日は本当にキツイ。頭がぼうっとして、荷物チェックどころじゃない。
ただ徹夜なのではなく、ずっと気を張り続けているせいだと思う。
「先輩」
「なんだ」
「眠いです」
「ラーダ、俺が眠くないように見えるのか?」
「いいえ。私以上に眠そうです。立ったまま熟睡していそうな気がします」
「否定できん」
ぶんぶんと首を振りながら、アラム先輩は用意していた眠気覚ましのドリンクを飲み干した。
ものすごーく苦そうな飲み物だ。何しろ色が真っ黒け。しかもどろっとしている。
「ぐあぁあああああああ」
やっぱり苦かったらしく、アラム先輩は額を抑えてうめき声を上げた。
「シャハーブのやつ。も少し味がいい眠気覚ましもあっただろうがよ」
どうやらシャハーブから購入した眠気覚ましだったらしい。飲みたいような。興味あるような。ぜったい嫌なような。
そもそも彼が私には勧めてこなかった品なのである。マズイんだろうなー。
目の下に隈を作りつつ、アラム先輩はよろよろと頭を揺らした。
「ラーダ、食事に行くぞ」
「はい」
バザールの一角でガッツリ食事をとり、再び持ち場に向かう準備を整える。準備とはすなわち、情報交換だった。
アラム先輩はよほど眠いらしく、例の苦そうなドリンクを持ち込んで何杯も呑んでいる。
実のところ私も、これを飲んで目が覚めるなら一口くらい分けてもらうべきかと悩むくらいには、眠い。
山ほどの食事をかっこんで、食後のドリンクを飲みながらアラム先輩は口を開く。
「そっちはどうだ?」
「今のところ全然です。怪しい密航者はいませんけど、怪しい荷物載せてる船主もいませんね。……いつもこうなら平和なはずなんですが」
むしろ今は、早いところ異常を発見して、よく眠りたいところだ。
昨夜から考えてたんだが、とアラム先輩は切り出した。
「調査団を狙ったのが、ルーズベフだとしたらどうだ?」
「え……?」
アラム先輩は冗談を言っている顔ではなかった。
「黒ずくめ、黒装束、いろいろだが……。良からぬことを企む連中ってのは、所属がハッキリとは分からない恰好をしてるもんだ。
ナクシェ村でおまえたちが会ってきた黒装束は、調査団を狙わないと言えるんだな?」
「……確信では、ありませんが。ファルは彼らを信用したと思います」
私がうなずくと、アラム先輩は静かに続けた。
「俺もそうは思う。というのは、数日前に『エランの民』を名乗る奴らから接触があったからな」
どうやらファルの伝えた話は、きちんと彼らに受け止められたらしい。
「代表を名乗ったのはイマーンという男だった。今後、ややこしいから黒装束ではなく『エランの民』もしくは『イマーン族』と呼ぶとしよう。連中は、しばらくの間大人しくしているだろう。ファルが王位につかなければ目的が果たされないとなった以上、時を待つだけの辛抱強さはあるはずだ。
だが……、離宮を襲った時、『イマーン族』の中には、あいつらとは無関係の者が混じっていたらしい」
「え?なんですか、それは」
「同じ黒ずくめの、だが奴らの仲間とは違う者がいたらしい。例の地図、覚えてるだろう?ルーズベフの名前のあった」
「はい……」
「あの手紙を回収したのは、黒ずくめ姿だが黒装束の連中の仲間ではないと『イマーン族』は俺に告げた」
「……で、では。一体」
答えはすでに出ていた。アラム先輩は『調査団を狙ったのがルーズベフだとしたらどうだ』と切り出していたのだから。
「すると、あれは『砂人形』……?」
そういえば、ファルはあの時、『消えた』という言い方をした。
詳しい状況を確認していなかったが、もし『砂人形』だとすれば、砂になったのではないか?ああ、ちゃんと聞いておけばよかった。
「けれど、どうしてです?なぜ、ルーズベフが調査団を襲う必要があるんですか?ルーズベフはペテルセア帝国の国王にあの手紙を書いていたという話でした。ということは、調査団とルーズベフは協力関係こそありえますが、敵対している理由がありません」
「ルーズベフがペテルセア帝国側の人間だっていうのも、推測でしかない。
手紙を回収した理由はなんだ?ペテルセア帝国との間につながりがある証拠を残したくなかったのかもしれないだろう」
「しかし!……しかし。しかし……」
ダメだ、頭がこんがらがって物が考えられない。
徹夜していなければまだマシだったかもしれないが、今となってはどうしようもない。
「レイリーについて、おまえはどこまで知ってる?現状報告的な手紙は受け取ってたよな」
「え?」
頭を抱えている私に、アラム先輩は突然話題を変えた。
きょとんと目を丸くした私は、やや慎重に答えた。
「レイリー個人についてでしたら、アラム先輩の妹だってことも含めて、友人ですからいろいろ知ってます。けど、今はペテルセア帝国で勉強中だってことしか分かりませんよ。まだ向こうの成年に達してないわけですから」
「それもそうか」
アラム先輩もうなずいた。
「レイリーは、兄の俺にだって向こうの話はほとんどしない。ただ、ナスタラーン姫の召使い……あれはたぶん、レイリーだ」
「は?」
「シャハーブが以前言っていただろう。王女が最近雇ったという召使いのことだ」
「彼女にエラン語を教えたっていう……?」
「以前、レイリーが寄越した手紙に、『家庭教師をすることになった。上手くすればペテルセアで就職してかつ帰国できるかもしれない』といった内容があった。雇い主がナスタラーン姫とは書かれてなかったが、もし彼女が王妃になってエランに来るようであれば、召使いとして一緒に来られる見込みがあるってことだろう」
「なんとまあ」
さすがレイリー。やることが違う。
いや、本当にレイリーであれば、という話だけど。
レイリーは、相手に心配をかけたくないと、不確定要素について話したがらない性格をしてる。それは、友人であっても兄であっても同じ。寂しいような気もするが、そこが彼女の誇り高いところだとロクサーナなら言うだろう。
結局レイリーは、エラン王国で就職を止めた理由……上司から求められたヤな条件について私に言わなかった。
「でも、だとすればルーズベフはレイリーとは無関係ですよね?」
私は尋ねた。
「どうしてルーズベフがレイリーの顔を使ったのかは知りません。でも、彼女は今回の王女来訪にもついてきていないですし、単独で行動する理由もありません。そもそもペテルセア帝国では商人として一人前の扱いを受ける年齢でもないですから、エラン王国相手にだって、商人として認められているとは思えないです。王室に出入りできるはずがありません」
「……」
アラム先輩は少し迷ったような表情を浮かべた。
「ルーズベフにはレイリーを利用する理由があるかもしれない」
「なぜです?レイリーはまだ、ペテルセア帝国じゃ未成年ですよ?」
「”ナスタラーン姫のお付き”だ。それがエラン王宮に出入りしてトラブルを撒いたとなれば、ナスタラーン姫は絶対に王妃にはなれない。そのうえレイリーはもともとエランで就職する予定だったのを取りやめた事情がある。それを、……あー。逆恨みして犯行に及ぶって動機は作ることができる」
「そんな」
レイリーのせいでナスタラーン姫の立場が不利になる。それは、どちらとも仲の良い私にとっては大変不本意な未来予想図だった。
ついでに、とアラム先輩は続けた。
「俺が身内の責任を問われてクビになるのも時間の問題だな」
あーあ、とアラム先輩は呟いた。それはそれで深刻だが、対処方法が思いつかない。
「そもそも、ルーズベフが謎すぎる。化けるって……。服装だけならともかく……」
「私だって、信じられません。でも、レイリーにしか見えない姿だったんです。
しかも『魔神のしもべ』だと言っていました。人外だとすれば、目的も何もかもさっぱりです」
「聞いてくるか」
アラム先輩はポツリと呟いた。
「何をです?」
「ルーズベフについて、この国で確実に知っている人間がいるだろう」
アラム先輩は目の下に隈のできた顔で私を見つめた。
「ベフルーズ商会に」
□ ◆ □
アラム先輩に頼まれた私は、ベフルーズ商会を目指していた。
スーリさんに会うためだ。
ナクシェ村でサマンに頼まれた件もまだだったので、いい機会と言えなくもなかった。
犯罪者の国外逃亡を止めるという役目を負っている状況で、調査官が減るのは問題があるのではないかと言った私に、アラム先輩はこう言った。
「そんな眠そうな顔でチェックしてたら船主だって不安になるだろ。ついでに仮眠でもしてこい」
私より眠そうな顔で言われても説得力は皆無だが、注意力が散漫になっていたのは確かなので、ありがたく受けることにした。
スーリさんにはすぐに面会が叶った。
さすが名だたる大商人の奥様である。一度会っただけの私のこともきちんと覚えていてくれた。
まだ日中であるためか、以前お会いした時よりも明るめの服を着ているが、貴婦人らしくヴェールで顔を隠す上品さは健在である。
「港湾課のお方がどのようなご用件でしょう?またアタクシどもの商会の品に不祥事でもありましたでしょうか」
二度目だからか、内容には少々棘がある。まあ、このくらいならば想定内だけど。
「いえ。本日は、以前の調査の続きのようなものです。それと、別件もありまして」
そう言うと、スーリさんは口元にコロコロとした笑みを浮かべた姿で私を見やる。
「不死鳥の雛、という?」
「ええ。そうです。その際、ベフルーズ商会の名を騙った男……ルーズベフについてお尋ねしたいと思いまして」
私の言葉に、スーリさんの笑みは深くなった。
「以前いらした時に、なぜお聞きにならなかったのかと思っておりましたのよ」
ルーズベフは、とスーリさんは切り出した。
スーリさんの話をまとめると、ルーズベフが商会へ入ったのは10年ほど前だという。
大商人を目指していると名乗り、複数の言語を習得しているが、商人としての心得がないのでそれを学びたい、と。
貿易業を営む人間にとって、一番便利なのは複数言語を使える人間がいることだ。翻訳作業に手間取らず、また、取引で騙される確率が低くなる。商品の目利きができる者がいればなお良しだけど。
ルーズベフは目利きこそ並みだったが、特技を生かして、ベフルーズ商会で頭角を現していった。
いずれは独立したいと言っている男だったので、エラン国内の現地商会長を任せるのではなく、あちこちにつなぎを作れるよう他国との折衝の場で働いてもらっていた。
そんなルーズベフだが、ある時を境にペテルセア帝国に逗留することが多くなった。
それまでは積極的にあちこちの国へ出向いていたのに、少しでも時間があればペテルセア帝国に行きたがる。
同僚に言わせると、どうやら恋人ができたのではないかということだ。
貿易品に関しても、彼女に贈るための商品ばかりを探すようになった。
幸いにして、珍しいものや女性受けするものが多かったので、それにより商会にダメージが入るようなことはなかった。
ルーズベフが犯した過ちとは、以下のようなものだった。
ペテルセア帝国の大商人を罠にかけ、架空の大型取引をベフルーズ商会の名ででっちあげたのである。
これによっては破産した商人は20人以上に及び、彼らから集めた資金を持ってルーズベフは逃亡した。
取引自体が寝耳に水だったベフルーズ商会は、ルーズベフの単独犯行であることをペテルセア帝国に信用してもらうため、多大な損害を被った。
「……とまあ、確かにあの男はアタクシの商会におりましたが、彼を庇うつもりは毛頭ありませんわ。捕まえてくださったのであれば、処罰されることを心待ちにするくらいです」
にこりとスーリさんは笑った。相変わらず口元だけで笑う人である。
「なるほど……」
「よほど恋人とやらに貢いでいたのでしょう。手持ちのお金が足りなくなって暴走したのではないかと夫は同情さえしておりましたのよ。まったく」
スーリさんの話を参考にすれば、ルーズベフという男は確かに存在した。だが、ごく普通の犯罪者だ。人外である様子はまったく感じられない。
「……ええと、聞きづらいんですが」
私は言いづらい気持ちを押し殺して聞いた。
「彼、人間でした?」
その瞬間の彼女の顔は表現しづらいものだった。きょとんと目を丸くしたかと思うと、気の毒そうに微笑んだのだ。
「不死鳥の雛といい、港湾課では難しいものを探っておいでなのですね?」
「……そうなんですよ」
同情されてるなあと思いながら、私は答える。
魔神だの、魔神のしもべだの、空飛ぶ船だの、私はいつからおとぎの世界に迷いこんでしまったというんだろう。
「ルーズベフは……。人間だったと思いますわ。少なくともおとぎ話の魔神のように魔法を使ったりといったことはございませんでした。そもそも、そのようなことができるなら、犯罪など犯さずとも女性への贈り物を生み出すくらいはできるでしょうから」
スーリさんはそう言いながら、ふと、表情を凍らせた。
「ああ、でも、確か……。そう……」
しばらくの間、スーリさんは考え込んだ後、召使いらしい男性に告げた。
「夫を連れてきてちょうだい。ルーズベフを面接したのは、彼だったでしょう」
「はっ」
召使いの男性は臣下の礼をすると、そのまま静かに立ち去る。
「夫がくるまで、飲み物でもいかが?」
そう言ってスーリさんは笑っていない笑顔のまま誘いをくれた。
スーリさんが待機場所として案内してくれたのは応接間のような部屋だった。
私的なお友達を招待する場所だとスーリさんは言い、ヴェールを外した。予想通り凄みのある美人さんだが、お化粧はちょっと濃い目だという印象だった。
「あの……」
「アタクシ、この飲み物にハマっておりますのよ。どうぞ」
そう言って用意されたのは、舶来品と思われる見たことのない飲み物である。黄色っぽい色をした、お湯のような液体。ふんわりと香るのは植物特有の清々しいにおいだった。
いただきます、とおそるおそる口にしてみると、予想以上に爽やかな味がする。
口の中にある砂がすべて洗い流されるような爽快感だ。これは素晴らしい。ただ、味が薄いので食事と一緒に飲むものとしてはちょっと頼りないかもしれない。スーリさんが『休憩中の飲み物』として用意した理由が分かるというものだ。
ついでに、私はとんでもない長所を見つけた。この飲み物、頭の方までスッと清々しくなるので目が覚めるのである。これ、アラム先輩にお土産にしたい。売ってくれないだろうか。
私が内心で感動していると、スーリさんは口元の笑みを深くした。
どうやら私が眠そうな顔をしていたので、わざわざこれを用意してくれたのだろう。機転の利く人だ。さすが商人。
「そういえば、別件もあるとうかがいましたわね」
「あ、はい……。よいのですか?」
「アタクシ、勘がよろしい方なのです。あなたの持ち込むもう一つの要件は、この飲み物が美味しくなくなるような事柄ではないのでしょう?」
手の甲を口元に当て、コロコロと笑いながらスーリさんは言う。
「では……」
ナクシェ村という、港街からは徒歩三日ほどの距離にあるオアシス村に住む、絨毯職人。
彼女が取引相手を探しており、それも、女性商人が希望なのだというと、スーリさんは面白そうな表情を浮かべた。
「腕の方はいかがなの?」
「見本品を、受け取ってきました。本人のたっての希望で二種類あるんですが……」
私としては、女性絵の入った壁掛けよりもベーシックなデザインの方が良いと提案したのだ。それでこそ職人の腕の差が分かるから。
だがサマンは自信の品である女性絵の壁掛けをどうしても見てもらいたいと主張し、最終的に二枚持っていくことで話が済んだ。ここまで運んでくるのは重かったが、ハタから見ても手土産持ちだったので、受付の人も門前払いをしなかったのである。
「面白いわ」
そう言って、スーリさんが興味を持ったのは女性絵の方だった。
壁掛けにしかできない、絨毯としては使いづらいデザインだと思ったのだが、スーリさんに言わせると注目点が違うらしい。
「これほど美しい女性絵を織れるなら、当然他の女性でも可能でしょう?
エランの国は絵画の技術が発達していないから、美しいものを後世に残そうとしても、すぐに剥がれ落ちてしまうような壁絵に限られてしまう。海の向こうでは、女性像を額に入れて壁に飾ったりもするというのに。
けれど、織物であれば室内に飾ることができるし、色褪せてくればまた織ればいい。コツさえ掴めば技術のある女性は多いから、絵画技術の遅れたエランでも売り物となる武器になる可能性があるわ」
ああ、だけど、とスーリさんは続けた。
「この糸はダメね。絨毯ならばこの糸の方が良いでしょうけど、壁にかけようと思えば重すぎる。風避けじゃないのだから、もっと高価な糸を使って王宮向けに織るのはどうかしら……」
ぶつぶつとスーリさんは計画を立てつつ、いつのまにか取り出した羊皮紙のようなものにメモを取り始めた。
「港湾課のお方?」
サマンの絨毯とメモから目を離さずに、スーリさんは口を開いた。
「ボケっとしてないでくださいな。この職人のいる村への道順をそちらのメモに書いてください。できるだけ詳しく、途中の休憩どころなどがあるならそれもね。今夜にでも手の空いてる商人を行かせますから」
「は、はいっ?」
「返事は短く!」
「はい!」
スーリさんの勢いに押され、私は机の上に置かれていた木版に地図を書きはじめた。飲み物でも、と誘われたわりにはこんなものがきちんと用意してあるとは、スーリさんおそるべし。あと、私、文字が下手じゃなくて良かった。恥をかくところだった。アラム先輩のような文字だったら、とんでもなく怒られそうである。
サマンの用事は良い方向に転びそうだ。実際にはスーリさんが手配してくれる女性商人との折衝しだいだろうけど。そう思い、ホッとした時。ベフルーズさんが部屋に入ってきた。
口ひげの整った穏やかそうな男性。ベフルーズさんは私の顔を確認して軽く微笑んだ。
「妻の友人とうかがいましたが」
「そうよ、アタクシのお友達。彼女が聞きたいことがあるというのでいらしたの」
スーリさんはそう言って、私に代わり、用件を切り出してくれた。
「ルーズベフについて?」
「そうよ。あの男について聞きたいと。そうでしたわよね?」
こくりと私はうなずいた。
「大方の説明はしましたわ。でもねえ。港湾課のこちら様は、彼が人間かどうかを確認したいとおっしゃるの。アタクシとしては人間だと思うのだけど、そういえば面接の時おかしなことを言っていた、とあなたが話していたのを思い出して」
スーリさんはそう言って、ベフルーズさんの顔を見やった。
「……ええ。覚えておりますよ」
ベフルーズさんはうなずいた。
「彼は、『自分は魔神のしもべだったため、名前がない。けれど、一人の人間として生きていきたいので、商人として働かせてほしい』そう言っておりました」
彼はどこか懐かしそうに微笑んだ。
「彼に、私は言いましたよ。『名前がないのは不便だから、それならルーズベフと名乗りなさい』と……」
「え」
驚いた私とは違い、スーリさんは知っていたらしい。不愉快そうに眉根を寄せた。
「人間じゃないと知っていて、雇ったんですか?ルーズベフを?」
「雇用は人間に限ると言った覚えはありませんでしたしね。まあ、本当に魔神のしもべだと思ったわけではありませんでしたが、彼がそう信じ、過去に誰かに仕えていたことは確かのようでしたから」
穏やかにベフルーズさんは言って、続けた。
「彼の以前の主人である『魔神』というのは……、あまり良い主人ではなかったようです。彼は詳しく話さなかったのでよく分かりませんでしたが。最終的に人を騙すような真似をして逃亡してしまったのは、世間様に申し訳ないことだと思っております。彼に、別の人間らしさを与えてあげることができれば、違ったのでしょうね」
「あなたは甘すぎる。あれはアタクシの商会を傷つけた犯罪者でしてよ」
「ええ。分かっておりますよ」
怒り心頭のスーリさんを優しくなだめるようにベフルーズさんは苦笑する。
「彼を再び雇うことはできません。ですが、我々を裏切ってまで彼が求めたものが、彼を幸せな人間にしてくれるよう願っております」
「どうして裏切ったとかって……ご存じなんですか?」
「彼が商会から逃げ出す寸前に、尋ねました。なぜ、このようなだいそれたことをしたのかと。その時……。恋しい相手が、望まぬ相手と結婚させられそうだったのだ、と彼は言ったのです。恋のために道を踏み外すなど、なんと人間らしい過ちなのかと思ったものですよ」
私の問いに、彼はどこまでも穏やかに答えた。




