第十九話 ナクシェ村へ(第二日昼)
夜が明けたところ、ファルが王子なのが村中にバレていた。
どうやら国軍を呼んだことが原因だったらしい。さすがに、村の中まで騎馬隊が入ってきたので分かってしまったようだ。
また、『東のカシム』一味は村の一角外壁を壊して入ってきていたようで、怯えた村人たちが様子を伺っていたため、池の方で騒ぎがあったようだということも知られていた。
私とヒールダードさんが旅商人用の宿でのんびりと休んでいる間に、村側は歓待の準備を済ませていたようで、ファルは旅商人用の宿に泊まり続けることができなくなった。せめて一晩寝てからにしてくれと訴えたかっただろうに、明け方前に村長だという人物によって自宅に招待され、そちらに移されることになったのだ。是非にと熱望され、滞在を丸一日伸ばすはめになったとのことである。
翌日の朝、そういった事態が進行していることを知った私は、赤い服ではなく持参していた港湾課の制服を身に着けることにした。囮役の仕事は終えたので問題はあるまい。それに、王子だと分かったファルが、女性連れだという噂話は残さない方がいい。港湾課の制服を着ていれば、目的が盗賊捕縛のためだったということがおのずと知れるはずである。
村長の家に呼び出しを受け、私とヒールダードさんはそういったことを伝えられた。
「はぁ。すると、ボルナー殿の交代要員が決まるまでは、いずれにせよ村を出られないのですね」
ヒールダードさんは納得したようにうなずいた。
「私は構いませんよ。もともと旅商人ですから、一日二日予定が延びても問題ありません。目的の仕事はすべて終えておりますので、後は戻って報告するだけですからね」
「本当にすみません、ご迷惑をおかけいたします!」
慌てて頭を下げようとするボルナーに、私も慌てる。
「いけません!骨が折れているかもしれないのでしょう?とにかく安静にしていませんと」
ロクサーナがいたら、烈火のように怒ってベッドに据え付けるところだろうに、眠っている姿勢ではファルの前で申し訳ないと言って、彼は直立不動を保とうとする。実際はできなくて「痛たたたた」と崩れ落ちて床に転がっているのだが。
「国軍には一人くらい治療師も同行しているはずだ。彼らに任せろ。どちらにせよ馬には乗れないだろうから、彼らを頼るしかない」
ファルはそう言って、ボルナーをなだめた。
「今後の計画としては、国軍の誰かが代わりに護衛として入る。ボルナーさんは彼らと同行して身体に負担のないように帰るということですね?いっそ、我々が国軍に合流してしまうのではダメなんですか?護衛という意味ではそちらの方が安全では」
「向こうには向こうのペースがある。目的も、黒装束だけではなかったはずだ。それを邪魔するわけにはいかない」
ファルはそう言って首を振った。
ボルナーは池の周囲に媚薬の香りがまき散らされる前に、『東のカシム』一味の気配に気づいていたそうだ。不穏な気配に気づき、調べに向かっていたため、香りは吸わなかった。
そうこうしている間に池の中央に穴が空き、私たちが奥へといなくなってしまった。
彼は『東のカシム』一味三人相手に善戦していたが、実のところ、盗賊の方が夜目がきく。ランプの明かりを用意していなかったボルナーは圧倒的に不利であり、一度切りつけられた後は、一方的にやられてしまっていたらしい。
「ふがいない護衛で申し訳ありません……!」
彼はしょんぼりと肩を落としたが、命があったので幸運だったと言えよう。腕も足も失っていないのだから、いくらでも復帰は可能だと思うしね。
「村長がぜひ歓待の席を設けたいと言ってな。断ったのだが……避けられそうにない。すまないが、もう一日滞在する」
「では、出発は明日の朝ということで」
「ああ。それまでは自由にしてくれていい」
ファルの申し訳なさそうな視線を受けて、私は静かに首を振った。
ナクシェ村は、池を中心にした村だ。砂漠の国のほとんどは貴重な水に集まるようにして人が住んでいるのだが、この村もそういった過程を踏んでいるのだろう。オアシス都市の類である。都市というほど大きくはないが。
明るい太陽の下で様子を見ようと思ったのだが、池はわずかに水量が減ったように見えるだけで、奥に洞窟があることは少しもうかがえなかった。
「おはよう」
ふと声をかけられて、私は顔を向けた。目元以外をすべて黒装束に隠した人物。一瞬身構えようかと思ったが、その大きな目にも声にも覚えがある。
「サマンさん」
「さん付けはいいよ。あたしもあんたのこと、ラーダって呼ぶから。いいでしょ」
「ええ。構いません」
にこりと笑み答えた私の横までやってきて、サマンは池の方へと視線を向けた。
「王子様だったんだって?」
「どなたから?」
「村の連中、皆知ってる。彼らがうちの店に来たこともね。そのせいで、朝からうるさいの。何があったんだーって」
「それで家を飛び出してここへ?」
「いんや。だって、黒装束についていろいろ聞いてきた夜に、池の方で騒ぎって言ったら。何かあったんだろうって思うじゃない。地下空洞への入り口がまた開いたのかなって。その辺、聞かせてもらおうと思ってさ」
「……詳しくは話せないのですが」
「いいよ。じゃあ、イエスかノーかで。あたしの予想は合ってる?」
「半分はイエスだと思います」
「そっかあ。見たかったなあ」
サマンは残念そうに池を見つめた。
「十年も粘ったのに、見られず仕舞いかあ……」
はあ、と彼女は小さなため息をついた。
「あたしは小さかったから、あの時布きれ一枚しか取ってこれなかったけど。本当はもっといろいろあったんじゃないかと思うとさ。つくづくと惜しまれて」
「そちらの方は、期待薄でしたよ。ガラクタの山になってましたし、何より、もう崩壊してしまって何も残っていないと思います」
「マジでー?」
あーあ、と彼女は心から残念そうに呟いた。
「でも、それならそれで、未練がなくなっていいかな。村にこだわる理由もないし、あたしももっと広い世界に出ようかなあ」
「例えば?」
「んー。もっと広い商売するとか、かな?ねえ、ラーダ。あたしの絨毯を扱ってくれる女性商人っていないかな。やっぱり、男だといろいろとうるさいし、どうせなら女の子がいいんだけど」
「……女性の商人ですか」
そう言われて思い出したのは、ベフルーズ商会の影の商会長、スーリさんだったが。
「心当たりがないわけでは、ありませんが……。そうですね」
私は首をひねり、口を開いた。
「では、サマンの商品で、一番のオススメを預けてくださいませんか?その商品を実際に見てもらって、判断していただくのではいかがでしょう。私の心当たりは、街から外には出ないでしょうけど、彼女の目に留まるようであれば、取引の女性商人を寄こしてくださると思います」
女性としか商売したくないというサマンの心情を、スーリさんなら受け入れてくれるのではないだろうか。
「ラッキー!じゃあ、後であたしの家に寄ってよ。一枚持っていって」
「この一枚については、言うなれば試験用ですから、代金は期待しないでくださいよ?」
「うんうん、分かってる。それに持ち逃げする気じゃないって言うのは、軍人であるラーダを信用するから」
確かにそんなことは考えていなかったけど。
その時である。ワッと池の向こう側で歓声が上がった。
「あー。王子一行だ。村の視察かな?」
「え?そんなことしてるんですか?」
「村長が連れ回してるんだよ。この機会にもう少し、村に支援入れてもらおうって魂胆じゃないかな。ナクシェ村は、交通の要衝ってわけでもないから、もともと旅商人の立ち寄りも少なくて。でも街までは近いし、水もあるし、もっと作物とか育てて街との連携を強めることができれば栄えるはず!って村長は主張してるらしい」
「へえ……。熱心ですね」
連れ回されるファルには申し訳ないが、それは村のためにも視察くらいはしておいた方がいいだろう。どちらにせよ、『東のカシム』一味によって外壁が壊されたという件については、修理のための支援が必要なのではないだろうか。
「……わー。あれが王子?先日うちに来た時は顔を出してなかったから、分からなかったけど……」
村長らしき人物の横で、生真面目な顔をして池の様子を見つめるファルを指差して、サマンが驚いた声を上げる。
「美形っ……。あんな綺麗な男、村では見たことない!」
ファルは、いかにも王子らしい服装に身を包んでいた。このような衣装を持ち合わせて来ていたのか、あるいは村の方で用意したのかは知らないが、朝、村長の家で打ちあわせをしていた時にも着ていなかったはずだ。
細かい刺繍の入った上着も、美しい生地の上下も立派な品物だったが、身に着けているファルの姿かたちが良いからこそ映える。
確か、ファルはもっとたくましい外見になりたいと思っている、と女官さんたちは笑っていたが。確かに彼は綺麗な男だ。口ひげを生やしてもおらず、筋肉質でムキムキしているわけでもない。しなやかに鍛えらえていて涼やかな顔立ちをしている。そのため外見特徴としての凄味は少なく、荒くれ者たちを黙らせる迫力に欠けるのだ。
「いいなあ!ラーダって、あんな王子様のそばにいるんだ?ねえ、ねえ、王子ってことは、やっぱり奥さんは複数いるの?」
目を輝かせたサマンに、私は苦笑いした。
「彼は、他国の王女を迎える予定がありますから、他の女性は迎えないそうですよ」
「えっ……。エランの王族なのに!?」
驚いて目を丸くしたサマンは、ますます大きな目をますます大きくしながら、今度は別の意味で羨ましいとばかりに息を吐いた。
「あんな綺麗な男が、一人だけのものなんだ。いいな……」
熱っぽい視線を向けるサマンに苦笑いして、私もまたファルへと視線を送った。
ふっと、彼の視線がこちらを向いた。池越しに見える眼差しに驚きの色が浮かぶ。
私がいることに気づいたのだろう。驚くほどのことではないのに。
「……サマン、この村には飲食店のようなものは、あるんですか?」
「え?どういう意味?昼間っから呑みたいってこと?」
「違います。お茶かなにか……と」
「それなら、うちにおいで。うちのお母さんは、バラ水には凝るタイプでさ。絨毯織るのは今ひとつだったけど、お茶を煎れるのが上手いってんで、父さんと結婚したんだって自慢する」
「それはぜひご馳走になりたいですね」
昨日の昼間、男性陣にお茶を振舞っていたのは、そういえば彼女の母親だった気がする。
「そうだよ、ついでに試験用の絨毯持っていって。重いけど大丈夫?」
「大丈夫ですよ、私は港湾課の調査員ですし、運ぶのは馬です」
私が笑うと、サマンは感心した顔をした。
サマンの家で絨毯を用意してもらっていると、来客がやってきた。
村の長老だと名乗る、かなりご年配の男性だ。
サマンは自分の一番の自信作だと言って、最初は女性絵の織り込まれたものを持ち出してきた。だが、出来栄えの素晴らしさは分かるが、女性絵が大きすぎて絨毯としてはいささか問題があるように思える。もう少し小ぶりなものか、あるいはもっとベーシックなデザインのものはないのかとリクエストしたところ、再度倉庫の中を漁りはじめたのである。
時間潰しにとサマンの母親のお茶をご馳走になっていた時である。訪れた男性は、慣れた様子でサマンの母親に挨拶すると、堂々と中へと入ってきた。
「どういった、ご用件でしょう」
彼はサマンの家の客間に陣取ると、サマンの母親の煎れたお茶を美味しそうに飲みながら私に切り出した。
「女性ながら、街の軍人さんだと聞きましてな」
「断っておきますが、私からファルザード王子に何か申し出ることはできません。村の陳情などについては、村長を通じて王子に直接お話しいただいた方がよろしいと思います」
「ああ、いやいや、そういった話ではありませぬ。もともと、老いぼれが何か申し出ることもありませんからなあ。村長はいろいろと不満もあるようですが、わしにしてみれば水が涸れずに毎日衣食に困らず生活してるだけで、これ以上望むことといったら、二度と戦争はやらんでほしい、と言うくらいです」
ニコニコと長老は笑った。
そういえばこのご長老の年齢はいくつくらいだろう。50歳より若いということはあるまい。ということは、戦争を経験しているのだ。この村は港街からかなり近い。ということは、港から軍艦が出発するための、物資の供給基地などに使われていた可能性が高い。
「申し上げたいのは、シルエットダンスについてなのですじゃ」
「え?」
「サマンから聞きませんでしたかな?この村では、昔からシルエットダンスと言われる女性のダンスについての話がありましてなあ。そりゃもう色っぽいものなんですが。街にはこのダンスはないと旅商人は言うし。それは本当なのかと……」
「……申し訳ありませんが、女性の身ではますます知らないとしか」
「ははは、そうかもしれません」
長老はしわくちゃの顔をさらにしわだらけにして笑う。
「あれは、池のところで見られる怪現象でしてな。男がそばに寄る時だけ、起こるんです。空の月が消えて、池の中で影のような女性が踊りを見せてくれる」
「え……?」
「男たちの間では、それで話が通じますが、女どもに言うわけにはいかんでしょう?よその女子が踊るのを、鼻の下を伸ばして見ているなどということは」
「……まあ、そうかもしれませんね」
私が同意すると、彼は笑った。
「あれは、……戦争期にはじまったのですじゃ。心の荒んだわしらへの、なぐさめでした。ですが、10年ほど前を境にぱったり見られなくなった」
「え?」
私が目を丸くすると、彼は目を細めた。
「残念がる者も多かったですが、わしはホッとしておりました。幻覚が見えるなんていうのは普通じゃない。その精神がまともになったんじゃろうと。それに……これで、もう戦争は起きないのかもしれんと思いました」
「……」
私は彼の目を見ながら息をひそめた。
「昨日、シルエットダンスが出たのじゃないかと、言う者がおりましてな。月が消えた、と」
「……気のせいでは?」
「いいや。最近盗賊なぞも村の周りをウロウロしとりまして、不安がっておりました。物騒なことが続くようなことになるのではないかと懸念しておるのです。軍人さん、どうか……、村を守ってくだされ」
必死な眼差しを、私は黙って見つめ返す。
「長老殿。それは、……どうぞ王子にお伝えください。私からお答えできるのは、『村を守る』なんていう約束ではありません」
「軍人さん!」
「盗賊に関してだけは、昨夜の件を通して、無事に排除されたとお伝えいたします。それと、あなたが心配しておられるのは、戦争ですよね?」
長老の顔から血の気が引いた。
「戦争を回避するために、他国との友好をずっと進めているのです。そのようなことは、起こりません」
私が答えると、彼の顔色はようやく元のように穏やかなものになった。
「……シルエットダンスが見られる時は、月が消えるんですね?」
「え?ああ、はい、そうですじゃ。わしも見たことがあります」
「ではきっと、あの女性は月なんですね」
月が池の中に下りてきて踊るのだ。彼女が黒いのは、月影だからなんだろう。
ふと、私は似たようなフレーズを聞いたことがあるのを思い出した。
バハール様が歌った曲だ。
『月夜の晩に出会った男女。
オアシスの水辺だけで逢える恋人。
夜が明けてしまえば姿はそこになく、ただ花の香だけが残っている。
あの人はどの誰なのか。月が人の姿をして現れたのだろうか』
どうやら男は月の化身、女は花の化身である。オアシスの水に映りこむ時だけ、二人は寄り添うことができる。
夜にだけ逢える二人は、やがて離れ離れになる。お互いを想いながらも住む世界が違うのだ。
違うのだ。実際は男女が逆なのだ。
月が人の姿をして現れるのは女。花の香りをさせて、彼女を呼び寄せるのは男。
だけど二人の生きる世界が違うのも、離れ離れになるのも、おそらくは正しい。
バハール様の唄った歌は、ナクシェ村に伝わる話を歌にしたものだったんだろうか。
『東のカシム』一味は、彼女の謎かけに答えられただろうか?
私の胸の中に浮かんだ質問に、答えられた者はいなかった。




