第十七話 ナクシェ村へ(第一日夜)
私は困惑していた。
ただ、混乱をきたしていたのは私だけのようで、目を丸くした私をよそに、ボルナーは抜き放った刃を手に周囲を伺い、ファルに近づこうものならただちに切り捨てようとしているのが見える。
ファルは、ただ静かに口を開いた。
「『魔神』とはどういう意味か?」
「……?」
ファルの質問に、騎馬隊の一人が逆に困惑を目元に浮かべる。
「そのままだ。『魔神』よ、あなたに会えるのをずっと待ち焦がれていたのだ」
聞いたのはファルだが、その黒装束はまっすぐに私を見ていた。
「彼女が、『魔神』に似ていると?」
「似ているのではない、本人だろう?」
まったくらちが明かない問答に、私はようやく口を挟むだけの理性が戻ってきた。
「黒装束の皆さん。あなたがたの目的は、『魔神』なのですね?そのためにこの村に逗留していると。『東のカシム』を襲った理由もそれでしょうか」
「そうだ。どうしてもこの笛が必要だった。あなたを呼ぶために」
「離宮に入り込んだのも」
「『東のカシム』一味の頭目は、笛をいくつも所持していた。どれが本物か分からなかった。故に、すべて取り上げる必要があった」
「……キルスを狙っていたというのは?」
「彼は『魔神のランプ』を所持している。それを奪うのが一番確実だった」
「……」
顔が歪む。盗みの正当性を訴える人間とは、会話が成立しないのだ。
焦れた私に代わり、ファルが一歩前に出た。
「『東のカシム』一味を襲ったことは不問にできる。盗賊同士の諍いとして。だが、これ以上『魔神』を狙い、無法を繰り返すのであれば、我らはおまえたちを獄につなぐ必要がある」
「そのような権利が……」
「ある」
ファルが目元を隠していた頭巾を取り去ろうとするのを、私とボルナーはぎょっとして見やった。
人数で負けている状態で、正体を見せるなど正気の沙汰ではない。
「ファル、ダメです!せめて応援を呼んで……」
「いや」
頭巾を取り去ったファルの姿を見た黒装束の中に動揺が走った。
「ファルザード王子!?なぜだ!」
「まさか、彼は『魔神』を手に入れて……!」
どこまでも『魔神』から考えが離れないでいる黒装束たちへ向けて、ファルは口を開いた。
「名は、名乗らずにおきたい。今夜のことをお互いに知らぬままで済ませる方法は他にない」
最初に口を開いていた黒装束が、ファルから距離を取るかのように身を引く。
それを黙って見つめながら、ファルは言った。
「『魔神』にかけたい願いとはなんだ。そなたたちは何者だ」
黒装束たちの間には、お互いのアイコンタクトでいくらかの議論が繰り広げられたのだと思う。
最初に口を開いていた人物が、ゆっくりと頭巾を取ろうとするのを、周りの者は止めようとした。それを片手で制しながら、その人物は口を開いた。
片頬に大きな傷のある男だった。顔を隠していなかったら、この印象深い特徴を誰も忘れることはないだろうというくらい。
「我らは、エランの民。戦のために土地を奪われ、同胞を奪われ、放浪を余儀なくされている一族。我らの願いはただ一つだ。我らの手によって治める、我らの土地が欲しい」
「国ではなく?」
「国である必要はない。我らはずっと、先祖代々の土地を守り、馬を育ててきた。だが、50年前、戦のために馬を取り上げられ、働き手を連れて行かれたことで、大地は枯れ果て、耕作さえできなくなった。女子供だけでは土地を守ることも馬を育てることもできない。戦によって荒れた野盗なども襲ってくる。やむを得ず、我らが一族は土地を捨てた」
「その土地はどうなった」
「守る者のいない土地は、枯れて砂に埋もれる。盗賊共が根城にしたところで、すぐに捨てていく。我らの土地は、今や誰もいない」
「その土地に戻ることは可能なのか?」
「……戻ろうとした。だが、土地を蘇らせるのにかかる時間は長い。涸れた井戸から水を汲み上げるのにかかる時間をかけられない」
「その土地が、他に誰も住んでいないのであれば」
ファルは言葉を切った。
「王子ファルザードの名で、そなたたちに返してやることはできる。国から復興のための資金を提供して、井戸水を再び使えるようにするための資材を与えてやることが可能だ」
「……」
片頬に傷のある男は疑り深い目をファルに向けた。
「そなたたちは『魔神』に会えなくて幸いだ。おとぎ話や伝説では、『魔神』はよく国をくれる。何もない砂地に突然宮殿を立て、呼び出した者を王にする。だが、実際はどうだ?エランの土地に突然そのような土地が現れてみろ、誰も『魔神』が作ったなどというホラ話は信じない。この土地は国の物だからと、多大な税金をとるに決まっている。そなたたちが欲しいのは、夢物語ではなく先祖伝来の土地なのだろう?」
ファルの言葉は、実のところ正しい。
もし、『魔神』なんてものが存在して、伝説にあるような黄金の宮殿を建てたりすれば、その国の王は喜んで税金をがっぽり取り立てるはずだ。『魔神』からもらったんだからオレの物だなんていう理屈は、もはや現代では通じない。
真に誰のものでもない土地なんて、そうそうない。そのような土地を求めるなら、海に出るしかないだろう。
「貴様……」
自分たちの行動を頭から否定されて、片頬に傷のある男は気色ばんだ。他の黒装束たちも同様に、各々の武器に手をかけようとする。
「だが、この約定は王子ファルザードが王となる場合にのみ、有効だ」
「……!?」
ファルの言葉に、片頬に傷のある男の顔色が変わった。
「黒装束を着た男たちが、ペテルセア帝国の王女が滞在している屋敷を襲った、という事実がある。王子ファルザードは、これを捕縛しなければならない。かの国との婚約のためではなく、王位継承者としての立場を維持するために」
「……」
片頬に傷のある男は黒装束たちへと片手を伸ばし、絞り出すような声で続けた。
「彼らは、俺の命令に従ったまでだ。首を落とすならば一人でも足りるだろう」
「ちょっ、お頭!?」
「何を……!」
しずしずと進み出た男に対して、ファルは尋ねる。
「名は」
「イマーン」
「そなたたちの馬は、盗んだものか?」
「違う!我らはもともと馬を育てて生計を立てていた。その技術は、土地を失い、放浪の民となってからも変わらない!」
「……ならばその馬を、証拠として差し出せ。黒装束を捕縛した証として、全員分だ」
「……!?」
「そなたたちの首は要らん。約定のための連絡先は教えておく。港街の港湾課に、アラムという男がいる。その男に接触をとれ」
え。思わず目を剥いた私はファルへ抗議しようかと思ったが、今は口を挟むのは止めておくことにした。
「優れた軍馬を育てることができる技術が手に入るのであれば、死刑の演出などよりよほど価値がある。国王にもそれは分かるはずだ」
「……」
「この角笛を吹けば、応援が来る。彼らは馬ごとそなたたちを捕える」
そう言って、ファルは角笛を取り出した。いかにも戦いの際に使ってきましたという、年季の入ったものである。
「……」
さあ、どうする。
時間はないぞという無言の脅しを込めながら、ファルはどこまでも静かだった。
その静かな視線に、片頬に傷のある男……イマーンは馬から下りて膝をついた。
「王子ファルザード。あなたが王になることを切に願う」
「それは、『魔神』ではなく、別のものに願って欲しい」
ファルは口の端に笑みを浮かべると、そのままイマーンたちが馬を置いて消え去るまで待ち続けた。
足跡も残らないほど遠くにいなくなった後、ファルは角笛を吹いた。
おそらくはこの馬を、黒装束捕縛の証拠として持ち帰るために。
□ ◆ □
こんなスピード解決ができるとは思っていなかった。
赤い服まで着て緊張していた私がマヌケに思えるほどだ。
黒装束たちの黒い馬は、遠目からも印象深い。そのため、その場に残っていた五頭の馬が黒装束たちのものであることは国軍もすぐに信じてくれた。それに乗っていたはずの黒装束たちがどうなったのかについては、街に戻ってからファルからじっくり聞かせてもらうということで、村人を怖がらせないよう、彼らはまた夜のうちに去って行ったのである。
「……まさか、一日で済ませることができるなんて」
ホッとして、嵐の去った池のそばに腰を下ろした。
「事前に、滞在一日の予定にしていただろう?」
「そういえばそうですけど」
「もともと、長く時間をかけるつもりはなかった。長くて三日だ」
「そんなに囮に自信があったんですか?」
私の横にファルもまた腰を下ろした。彼も緊張していたんだろう。イマーンたちと交渉していた間は無表情を決め込んでいたようだが、今は穏やかな笑みを浮かべている。
「いや……」
ファルはそう呟きかけて、池の方へと視線を投げた。
「この村は、例の地図に載っていた村だ。あまり長く時間をかけると、危険な気がしていた」
池には再び、少し欠けた月が映っている。
月が消えて見えたのと、女性のシルエットダンスが映りこんで見えたのは、あの笛のせいだったのだろうか。
地下空洞への入り口を開くための道具だと思われる笛だが、もちろん入り口が開いたりはしていない。
「笛は、『東のカシム』一味が持っていたんですよね?ということは、彼らもここで笛を吹いたりしたんでしょうか」
「分からないな。反応しなかったのは、時間か、あるいは曲目が何か関係あるのかもしれない」
「たとえば?」
「時間であれば、新月か満月というのが切りのいい日だろう。日にちであれば、たとえば一年で一番日が長い日や、その逆。新年というのもあるかもしれない。曲目については、……まったく見当がつかないが」
「エランに伝わる曲とか?」
「そうだな。そういう……」
私の発案に、ファルは思わずといった風に顔を向けてきたが、「あ、いや」とばかりにもごもごと何かを言って顔をそむけた。
至近距離で見やった彼の表情は、頬のあたりが赤く染まっているのが見える。
「ラ、ラーダ。君は……唄は、好きか?」
「?そうですね、友人曰く、デタラメおとぎ話というものを、よく歌います」
「デタラメ……?」
「ええ。曲に合わせて、その日の気分で歌うんです。即興ですから、同じ歌をリクエストされても二度と歌えませんけどね」
「その日の気分か。……それは分からないでもないな。即興で歌が作れるほど、オレは芸事には向いていないが。たとえば今なら、どんな歌が歌えそうだ?」
「……そうです、ねえ」
今の気分。
それは、おそらく、この池の表側にもう一度女性のシルエットが見えないかということだ。
シルエットダンスは幻想的で、どんな歌を合わせていいのか分からないけど。
即興でと言われてもそうそう浮かんで来ない。あのシルエットの女性が、何を望んで生きた女性なのかが分からないから。
伴奏はもう決まっている。イマーンたちが吹いていたあの笛だ。
ゆらゆらと、胸の奥に響く願いの音。
興が乗って、そのまま歌い出そうとした時である。
鼻に届くかすかな香りに、私は顔色を変えた。
「……どうした、ラーダ?」
隣にいたファルが、不思議そうに首を傾けた。
「歌ってくれないのか」
その指先が、そっと私の頬に伸びる。冷たい指先は、夜風が冷たいからだろうか。
ファルの瞳が熱っぽい色を帯びている。するりと伸ばされた指先は、そのまま頬から辿って首筋に触れた。
「……日に焼けた肌をしているんだな」
彼の言葉は熱に浮かされたかのようだった。
「君は、美しい……。港湾課の制服姿も凛々しいが、女性らしい服装もよく似合っている。このまま、オレの……」
「?な、なにを……」
自然なしぐさで顔を寄せようとするその顔を遠ざけようと、片手をとっさに振り上げようとした時だ。
ファルの顔色が変わった。
私の首筋に触れている自分の指を、信じられないものを見たかのように凝視し、もう片方の手でガシリと押さえこむ。
「……す、すまない。オレは、何を……」
どうやら自力で我に返ってくれたらしい。
「ファル。声を潜めてください。それと、息をできるだけ吸わないで」
私は振り上げた手でそのまま自分の口元を覆い、周囲を伺う。
「ヒールダードさん!いるんですか!?」
私の咎めるような声に、返答はなかった。
これは媚薬だ。
気づかずに深く吸いこんでいたら、この場所が野外であることも、相手が誰であるかということも忘れて、夢うつつの世界に入り込んでしまう。
池の周囲を探る。
そういえば、先ほどからボルナーの姿がないのはどうしてだ。彼はファルの護衛だし、国軍が黒い馬を連れて行った際にも同行していない。だから周囲にいるはずなのに。
「私は職業柄、耐性のある方です。まして、このような使い方では効果は出ません。ですが……!」
「……う」
私と同じように口元を手で覆ったファルが、苦しそうな声を漏らした。
「すみません、ファル。もうしばらく耐えてください。深く吸いこまなければ大丈夫……。使い手は、どうやら正しい使い方を、教わらなかったみたいです」
「……?どういう意味だ?まさか毒?」
ファルは、自分の異常には気づけても、理由にまでは思い至らないらしい。確かに、濃密な香水と違い、このほのかな香りでは自然の花の香と区別はつかない。
「似て非なるものです」
私はじっと暗がりを睨んだ。
薬の使い手が、何を企んでいたとしても。空中散布させてしまっているため、効果は薄くなっている。
媚薬とは、大きく分けて効果は二種類。一つは催淫剤と言われ、精神を高ぶらせるもの。もう一つは惚れ薬と言われ、恋愛感情を抱かせるものだ。エラン王国ではどちらもご禁制である。ナスタラーン姫が持ち込んだこの薬は後者だ。
また、よく誤解されるが、媚薬というものは無差別である。決して、狙った相手に好意を抱く品ではない。
この手の香水は、密封空間で使用するものなのだ。魅了に落としたい相手と密封空間にいる時に使用しなければ、望む相手に効果が出るとは限らない。香りというものは誰もに影響を与える一方、誰もが影響下に落ちる可能性があるため、危険なのである。
私はいくつか悲劇的なケースを聞いているが、いずれにせよエラン王国では使用が禁止されている薬なので、所持していた時点で投獄対象だ。
ちなみにアラム先輩はもともと港湾課の調査官だったため、耐性があったのと、鼻風邪を引いていたため被害を免れたということがあるそうだ。そのくらい、効果は不安定なのである。
「……え!?」
私は香りがどこから漂ってくるのかを理解して驚愕した。
池だ。よりにもよって使い手は、香水を池にばら撒いたのだ。これではまるで無差別テロである。池の水を体内に取り込んだ者であれば、誰であっても影響下に陥る可能性がある。香りとしての効果がどの程度長続きするかは知っているが、それが水に溶かした場合については知らない。
なぜ、という私の疑問には、すぐに答えが返った。
池の水が湧きあがり、噴水のように大きくなっていく。
そして、そのまま池の中央奥へと水が流れ込んでいくかのように、池の水量が減っていった。
水流が渦を描くかのようにして、水が減っていくのだ。
激しい動きが止んだ時、池の中央には空洞があった。それはまるで、洞窟の入り口のように見える。
「『魔神よ、願いを叶えたまえ』」
いつか聞いたことがあるような言葉を発しながら、その人物は顔を見せた。
「ヒールダードさん……!」
「尋問を受けた盗賊キルスによれば、キーワードになる言葉は、以上のものだそうです。王子殿下をご案内するはめになるとは思っていませんでしたが」
困ったように微笑んだ顔をして、ヒールダードさんは顔を出した。手には開け放った瓶を持っている。
「おとぎ話の主役となるには、あらゆる条件を揃える必要があるでしょう。けれど、もし、その相手を魅了に落とすことができるなら、そのような面倒なことをする必要はないのではないか、というのが、私の依頼人の言葉です」
「では、この香りは……」
誰だか分からないが、この池の中に隠された『何か』を狙ったもの。
「あわよくば、あなたがた二人は夢の中にご招待しておけばよいと思っていたのですが」
「職業柄、慣れているんです」
私に薬が効かなかったことを責めるような言い方に、私もまた非難したい気持ちで答えた。
「この薬はご禁制ですよ。所持はもちろん……人間に使用したなどと報告したら、間違いなく処罰されます」
私は言ったが、ヒールダードさんは堪えなかった。
「人間を狙ったものではありませんでしたので」
事故だ、と言い放つ。
「サンジャルの命令なのか?」
口元を手で覆い、不快そうに眉根を寄せたまま、ファルが尋ねた。
「いいえ。そもそも、頼まれごとはしましたが、命令を聞くような仲ではありませんよ。この薬は別のご依頼人から頼まれたものです」
ヒールダードさんはそう言って、瓶を池の中へと取り落した。
「どうせだから、一緒に行きませんか。王子殿下も気になるでしょう。この先に何があるのか」
薬などに頼らずとも、その言葉には耐えがたい魅力があった。




