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梶谷診療所の帝都裏稼業  作者: 林 刺青


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10/16

夜叉 10.

「全く、遺産絡みの話は何度聞いても嫌な気分になるよ。そもそも、葬儀の場でそんな話を大声でするかね」


 三島信一の葬儀で“診察料”の支払いの確約を得た梶谷はさっさと診療所に戻り、応接室で煙草を吸いながら副島に愚痴をこぼしていた。


「まあまあ、無事お金が頂けるなら良かったじゃないですか」


「無事なもんか。どれだけ食い下がられたと思ってる。自分の事を卑しい人間だと思ってはいたけれど、上には上が居るな」


 やけに刺々しい皮肉が混じった梶谷の言葉に、副島は愛想笑いで「随分と気が立ってますね」と答える。


「身内が殺されてるんだぞ。奴らはそんな状況で金の話ばかりだ。ああいうのを同じ人間だと認めたくはないね」


 恐らく本心からの言葉なのだろうが、どの口が言っているのかとは思ってしまう。彼が普段どういう態度で仕事に臨んでいるのかはわからないけれど。

 副島はそんな事を考えながら適当に相槌だけ打って何気なく窓から外を見る。

 それから少しして来客の合図であるベル式時報が鳴った。


「来客の予定、ありましたっけ?」


「ああ、言い忘れていたね。佐伯ハルが葬儀に来ていて、そこで彼女が今日手紙を受け取りに来るという話をしたんだ」


「そういう事は先に言ってくださいよ。掃除もまだですし、お湯も沸かしていないじゃないですか。——とにかく上がってもらいますね」


 副島はそう言って慌ただしく応接室を後にした。梶谷はそれを確認し、吸っていた煙草を灰皿に押し付けて事務机から立ち上がると、煙草と灰皿を両手に持って部屋の中央のソファに移動した。


 少しして扉が開き、副島と佐伯ハルが応接室に入って来た。ハルは副島に促され、ソファに腰を下ろす。それを確認した副島は部屋を出ていった。


 梶谷は改めて対面のソファに腰を下ろしている少女を見た。

 桜柄の着物に葡萄茶袴、何の主張もしない至って普通の女学生の装い。

 しかしそれは寧ろ着用者の圧倒的な美貌を際立たせ、彼女が視界に入るだけで周囲の彩度が下がってしまった様な印象さえ覚える。

 国が傾く。成程、然るべき人物の隣に彼女を送れば難しい事では無いのかもしれない。

 美女に化ける怪物の話がある種のテンプレートになっている様に、人々が度を過ぎた美女を恐れる理由、それが実感として梶谷の脳裏を巡った。


 そんな事を考えながらも、彼は至って冷静に口を開く。


「思ったより早かったね。案外近くに住んでいるのかな?」


「ええ。ここから南に、乗合馬車で三十分程です」


 ハルの言葉を聞いた途端、梶谷の表情は驚きに塗り潰され、彼の冷静はぎこちなさで濁る。


「——ええと、もしかしてお兄さんが居たりしない?」


 ハルは梶谷の問いに不敵な笑みを浮かべた。


「ええ。二人いましたが片方は“病気で”亡くなってしまいました」


「——成程、それなら此処について全て分かっているんだね」


 数年前、梶谷は佐伯という姓の男から依頼を受けた事があった。内容はそれこそ身内殺しの隠蔽で、出来の悪い下の息子を何かのはずみで父親が殺したという面白くも無いモノだった筈である。

 しかしあの家に娘が居るとは初耳で、それに失礼かもしれないが、あの夫婦の外見と佐伯ハルのそれには似ても似つかないと言えてしまえる程に隔たりがある。と、梶谷は思った。


「だから、無理矢理に理由をつけて来たんです」


 梶谷の動揺を他所に、ハルは真っ直ぐな目で彼を見つめた。


「助けて下さい。このままだと、次に殺されるのはきっと私です」


「——それは、どういう事かな」


 応接室の扉が開き、副島が盆を抱えて入って来た。洋服にエプロンを着けており、まるで婦人雑誌の表紙の様だった。

 彼女は二人の真剣な雰囲気に気が付かずに、何でも無い顔でテーブルに湯呑とお茶菓子を置くとハルを見た。


「ハルちゃん、ごめんなさいね。あなたが来る事が伝わってなくて、これくらいしか出せないのだけれど」


「副島君、今大事な話をしているんだ。取り敢えず座って貰えるかな」


 梶谷の言葉の調子から冗談の類でない事を察した副島は、何も言わず盆を脇に抱えたまま梶谷の隣に腰を下ろした。


 梶谷はそれを見て煙草に今一度火を着けて咥え、無表情に指を組んで肘をテーブルに置くとハルを見据えた。


「とにかく、話を聞かせてもらおうか」

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