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番外編 薔薇色の人生を、乙女たちに!

コミカライズ記念スピンオフ前日譚

ラヴィ・アン・ローズ先生のお話です



 やわい光の降り注ぐ城の図書館。


 蔵書数が国内最大であるこの場所に、自由に出入りする許可が下りたあの遠い日の歓喜を思い出しながら、わたしことラヴィア・アンブローズは……絶望しておりました。


 王女殿下の侍女として、常に手本になる立ち居振る舞いを心がけているわたしですが、無作法にも本棚に額をぶつけ、わかりやすく絶望を体現しております。


 ……ええ、今にも深い絶望に足元から呑み込まれてしまいそうです。


 精神的負荷によって吐き気を催し、慌てて口元を手で覆いましたが、令嬢としての矜持でどうにか堪えました。


 しかし一難去ったところで、依然として、直視できない現実はそこにあります。


 わたしは意を決して、本棚の隙間から、そっと向こう側を覗き見ます。


 そこにいるのは王太子殿下のお気に入り、レオナルド・カレン近衛隊長。


 見目にも才能にも恵まれ、結婚したい若手騎士No. 1の呼び声高い将来有望株。


 窓辺の壁に軽く背を預け、静かに手にした冊子へと目を落とす様は、もう、本当に絵になる尊さです。


 王太子の近衛隊長ともなれば、強さだけでなく豊富な知識も必要な素養となるのでしょう。


 だから彼が図書館にいることはなんら不思議なことではなく、むしろ目の保養なので、普段のわたしならばここぞとばかりじっくりとそのお姿を観察するのですが……。


 そうできない問題がひとつ、わたしの前に横たわっておりまして。


 横たわっているというより、彼のその手の中にあると言った方が正しいかもしれません。


 彼が今読んでいる冊子。それこそ、こうしてわたしを絶望の淵へと追い詰めている元凶そのものなのです。


 ぱらり、ぱらり、と、一枚ずつページがめくられていく度にわたしは生きた心地がせず、立ったまま意識を飛ばしたくなりました。


 ああ……なんで、こんなことになるのかしら……。


 本棚にごつんと強めに額をぶつけるも、残念ながらわたしの意識はしっかりと保たれたままで。


 令嬢ながら頑丈なこの体が、今はとても憎らしいのでした。





 この国の恋愛小説は絶望的につまらない。


 というのが、かねてからのわたしの持論でした。


 お決まりの政略結婚、絵に描いたような従順で貞淑な妻を得た主人公、そこからはじまるのはなぜか立身出世の物語、もしくは領地立て直しの奮闘記、はたまた成り上がり騎士のサクセスストーリー……。


 そんなものがなぜか、本当になぜなのか、恋愛小説の棚に堂々たる佇まいで並べられているのです。


 あなたたち、置かれる場所を間違えていないかしら?


 わたしは常々そう思い続けてきました。


 しかしそれらを一冊ずつ丁寧に引き抜いていくと、悲しいかな、恋愛小説の棚が丸ごとなくなってしまうだろうことも想像にやすく……。


 つまり、置く場所がないから恋愛小説の棚に置かれているだけで、厳密には恋愛小説ではないということなのです。


 愛もなければ憎もない。


 愛欲なにそれおいしいの状態。


 読書は貴族男性の嗜みとされており、読者の層を考えれば男性目線の物語が多くなるのは当然のことで、その点はわたしも重々承知しております。


 だからこそ。


 だからこそ、です。


 他国からの蔵書も多く集まる城の図書館に期待したというのに……現実は残酷で。


 よく考えればわかることなのですが、国の中枢である城の図書館に、わたしの求めるような物語が並んでいるはずがないのです。


 結論。


 この国に、恋愛小説は、ない。


 少なくともわたしの手の届く範囲には存在しません。


 庶民の間で広まる大衆作品の方がまだしも読みやすく、なにより恋愛に重きを置いています。


 別に男女でなくてもいいのです。男同士でも、女同士でも構いません。異種婚姻譚でも全然よいのです。わたしはすべてを愛せる、博愛主義。


 とにかく、心を震わせるような恋愛模様を、きゅんきゅんしたり、ハラハラしたり、憤ったり、涙を流したりしながら追いかけたいのです。


 読了後に自分も恋愛をしてみたいと思えるような、そんな物語が心底読みたいと思うのです。


 作品の登場人物に恋してみたり、現実の恋愛に夢を見てみたり。


 そんな物語を、わたしは読みたい。


 ええ。切実に。


 恋愛小説の棚に置かれた、恋愛小説でない物語もわたしはきちんと読んではいます。読んでは。


 基本親の決めた政略結婚で進むため、どきどきするようなこともなく、当然のように初夜は割愛。


 思いの通じ合ったふたりが一夜をともにする……そんな素敵な場面は当然のごとく描かれず、なぜか三行空けて、チュンチュ鳥が鳴く。


 そんなわけがないでしょう?


 そこが一番大事でしょう?


 もちろんこれはわたし個人の感想であり、そこまでのストーリーが素晴らしければ、愛し合う場面がなくとも脳内補正は可能です。


 常に飢えていたわたしは、その昔、男性向けのその手の本を読んでみたこともありますが。


 あれは論外。


 男性の欲を満たすためだけの物語とも呼べない薄っぺらな話であり、女性に対してのリスペクトが皆無でした。


 そうではない。


 そうではないのです。


 そうして悶々としていたわたしは、あるときふと気がつきました。


 ないのなら自分で書けばいいじゃないの、と。


 自分の望む物語はもう、自分で書くしか道がないのです。


 そうして侍女としての仕事を終えた後、ひっそりと、それでいて情熱のすべてを打ち込み、書き上げた処女作。


 かなり時間はかかりましたが、我ながらいい作品ができたと思います。


 それからは感情の赴くままに、自分の求める物語を書き連ねる日々。


 自己満足でひとり楽しもうと思っていたけれど、書いてみたら誰かに読んでほしくなるもので……。


 そんな気の迷いから、この図書館の本棚の中に自作を紛れさせたのは、もう、本当に、愚かとしか言いようがありません。


 その軽率な行いのせいで、わたしは今、こうして激しく絶望しております。


 わたしの紛れさせた冊子を読んでいるレオナルド・カレン近衛隊長を眺めながら、絶望感に打ちひしがれております。


 その手にあるものが、自分の書いた恋愛小説でさえなければどれだけよかったことでしょう。


 ああ……なんであんな話を人に読ませようと思ってしまったのかしら……。


 いいえ、人に読んでもらう分にはいいのです。それが当初の目的だったのですから。


 自分と同じような、こういう物語を求めている女性が、興味を持って手に取ってくれるのではと期待していたのに……なぜ。


 なぜよりにもよって、彼がそれを手に取ってしまったのでしょうか。


 後数ページで、ヒーローとヒロインの最初の絡みに突入するのを前に、わたしにできることはもはや神頼みのみ。


 それ以上ページを進めないで、と。


 だけど同じくらい、期待もしていて。


 最後まで読んでくれたらどれほど嬉しいことかと思ってしまうわたしは本当にどうしようもありません。


 だけど相手はあのレオナルド・カレン。


 女性関係の噂は聞いたことがないほど清廉潔白な彼。


 ならばそういう雰囲気を察したら、自ずと閉じるはずなのです。


 かすかな希望を見出し、顔を上げたわたしは棚の本に顔を突っ込む勢いで凝視します。


「…………」


 閉じ、ない……!?


 表情に変化はなく、むしろ変わらないことが逆に不安を煽ります。


 わたし、結構好き放題書きましたけれど?


 粘着ヒーローが無垢なヒロインを、ねちっこく体から落としていく場面なのですけれど?


 そうしてさほど長くない分量のそれを最後まで読み切った彼は、一度表紙と裏表紙をさっと確認してから、なにを思ったのか冊子片手に図書館を出て行きました。


 待って?


 待ってくださる?


 それ、持って行くのですか?


 ……な、なんで?


 わたしは自分のものだと名乗り出ることもできず、唖然としながら、その後ろ姿を見送るしかありませんでした。






「ラヴィア、あなた、どうかしたの?」


「え?」


 図書館での絶望と衝撃から立ち直れずにいたわたしにそう問いかけて来たのは、同じ王女殿下の侍女であるアンナです。黒髪の美人で、由緒正しい家柄の令嬢であり、侍女の中でも一番王女殿下に信頼されているのが彼女です。


 王女つきの侍女はとにかく人数が多いのですが、侍女同士の仲はすこぶるよく、わたしがいつもと様子が違うと気づくくらいには、お互いをよく見て知っておりました。


「今日はどこか変よ。元気がないみたい」


「そうかしら……?」


 わたしは頰に手を当てておっとりと返しました。


「……なにもないのならいいのだけれど」


 おそらくなにかあったとバレてはいます。それでも、こちらの気持ちを察して追及してはきません。


 申し訳なく思いつつも、さすがにこの件は口にすることすら憚られます。


 これは墓場まで持って行きたい秘密なのです。


 黒歴史を胸の奥へと秘めていると、ちょこちょこと小動物のようにローズマリーが駆けて来ました。彼女も王女つきの侍女です。


 アンナが少しだけ眉を顰めました。それでも休憩時間中にまで口うるさくはしないらしく、わたしと一緒に黙ってローズマリーの言葉を待ちます。


「ねえ、ねぇ、アンナにラヴィア! 今騎士団の訓練で、あのレオナルド・カレンとセオルド・マクニールが打ち合いしているのですって! ふたりとも一緒に観戦に行かない?」


 どきっ。


 心臓が変な音を立てましたが、わたしは鉄壁の令嬢の皮を被り、困ったように微笑んで見せました。


「わたしはどちらのファンでもないから……」


 しかし訓練とはいえ騎士団で一二を争う実力者ふたりの打ち合い。それはさぞ見ものでしょう。


 いつかあのふたりで物語を書きたいと思っていたので、参考のために見学したい気持ちはもちろんあります。


 ……だけど今は、どんな顔してあの人を見ればいいのかわかりません。


「姫様はセオルドを応援してあげなさいと言うでしょうね」


 アンナが言います。王女殿下の近衛であるセオルドを応援するのは、王女つきの侍女としては当然のことです。


 本人が望むかどうかは別として、騎士と侍女の違いはあれど、わたしたちはセオルドを同僚で仲間だと思っています。


 手のかかる子ほどかわいいとはよく言ったもので、侍女たち全員、彼を手のかかる弟のように思っております。……わたしたちより年上ではありますが。


「せっかく休憩時間なんだから、行きましょうよー」


 屈託なく誘ってくるローズマリーに嫌とは言えず、わたしはアンナとともに、重たい足で騎士団の訓練場へと向かうのでした。






 王太子殿下の近衛隊長であるレオナルド・カレンと、王女殿下の近衛騎士であるセオルド・マクニール。


 レオナルド・カレンを完全無欠の天才と称するのなら、その無敵の彼に食らいつこうとするセオルドは努力の天才と言っても過言ではありません。


 騎士たちの多くがレオナルド・カレンを尊敬している中、彼に食ってかかるセオルドは異質な存在でしょう。


 それでも、本人の資質なのか、みなセオルドを認めて生温かい目で見守っております。


 まぁ、本人は気づいていなさそうですが。


 ふたりの仲の悪さは折り紙つき。それでもそれを職務に持ち込まないというのは、なかなかできるものではないとわたしは思います。


 木刀での打ち合いは、はじめこそ様子見状態でしたが、次第に熱を帯びて激しさを増していきます。


 人は自分には到底敵わない相手と打ち合うとき、はじめる前に無意識に自らの敗北を認めて、食らいつくということを諦めてしまうものです。


 負けて当然。そんな気持ちが伸び代を殺します。


 だからこそ、レオナルド・カレンは訓練をつけることはあっても本気で打ち合ったりしません。……ええ、セオルド以外とは。


 わたしはちらりと周囲を窺います。訓練をつけてもらった騎士たちが、激しく打ち合うふたりを眺めていました。簡単に諦めてしまうから、みな体力も残った状態で呑気に見学していられるのでしょう。


 それに比べて、セオルドときたら。


「午後は使いものにならないわよ、あれ」


 アンナが呆れ混じりにつぶやきます。


 視線の先にいるセオルドは、さすがに息が乱れてつらそうで。


 訓練なのだから、ほどほどにすればいいのにとわたしも思いますが、それができないセオルドは全力です。おそらく午後の仕事のことなど忘れているのでしょう。


 呆れるわたしとアンナの横で、ローズマリーはくすりと笑いました。


「そうだとしても、たとえ床に突っ伏して動かなくても、姫様は許すと思うわ。姫様って、セオルドにはあまいから」


 まぁ、そうですね。あんな姿を見せられたら、応援したくなる気持ちもよくわかります。


 どこから噂を聞きつけたのか令嬢たちが集まって来ました。誰も彼もがレオナルド・カレンをうっとりと見つめています。


 わたしもそんな純粋な目で彼を見つめられたらよかったのに。


 自作を読んでいた彼のことを思い出してしまうと平静ではいられず、赤くなったり青くなったりと忙しなく顔色が変化してしまいそうです。


「いっそセオルドは好きよね、カレン隊長のことを」


 そういう意味の好きではないとわかっていますが、そのアンナのつぶやきに、わたしとローズマリーも深く同意しました。


 いつか書いてみたら、彼女たちは読んでくれるかしら?


 ですがその勇気が出せたら、あんな風にこっそり図書館に紛れ込ませたりはしなかったのです。


 わたしが小さくため息をつくと、それが合図だったかのように、勝敗が決しました。


 これこそがこの世の真理とばかりに、立っているのはもちろん、レオナルド・カレンなのです。


 




「ラヴィア・アンブローズ嬢」


 いきなり声をかけられたわたしは、内心びくっとしながら平静を装い振り返りました。


 そこにいたのはレオナルド・カレンそのひとで、わたしを切れ長の瞳で静かに見下ろしています。


 王女殿下の侍女の中で、わたしは目立つ方ではありません。認識されていたことがすでに驚きでもありました。


「なにかご用でしょうか、レオナルド・カレン近衛隊長」


 楚々として訊き返すわたしの心臓はバクバクです。聞こえないでと願いながら、表面だけは取り繕って微笑むと、


「聞きたいことがある」


 率直な物言いに、わたしは一瞬焦りを滲ませてしまいました。


 まさか、あれを書いたのがわたしだとバレて……?


 いいえ、そんなはずありません。


 大丈夫、だってどこにも、わたしが書いたという証拠は残していないのです。


 それなのに、彼は見覚えのある冊子をすっと差し出してくるので、わたしはその場で卒倒しそうになりました。


「図書館に紛れていたこの冊子は、あなたが書いたもので間違いないか?」


 バレてる!?


「え……? なんのこと、でしょう?」


 わたしはあくまでシラを切り通しました。


 証拠なんてどこにも……、


「筆跡があなたのものだった」


「えっ」


 つい動揺して大きく反応してしまいました。


 筆跡。


 それは盲点、というか、筆跡で人物特定できるこの人がおかしいのですが、


「わたしの筆跡など、どこで……」


「王女殿下の手紙の代筆をしているだろう」


 あ……。


 ありあまるほどの証拠を各所に残していました。城中、筆跡という名の痕跡だらけです。


「見慣れないものだったので、念のため中を確認させてもらった」


「……念のため、ですか?」


「本の中に暗号や符丁が隠されていることはよくある」


 そこでわたしは、はっとします。


 本の中に隠した暗号で、諜報員などが情報のやり取りしている可能性は十分にあり得ます。外の敵しかり、内の敵しかり、です。


 しかも今は、あまり城内の情勢がよくないのです。


 陛下が側妃を寵愛しており、いずれ生まれるだろう彼女の子が、王太子殿下の敵となることは明白でした。


 警戒してもし足りないところに、見慣れない怪しい冊子を見つけたのなら……。


 彼なら読むでしょう。


 それこそ、一字一句、入念に。


 申し訳ないやら、落胆やらで、狼狽えてしまったわたしはもう己の所業を白状しているようなもので、これ以上醜態は晒すまいと潔く罪を認めて謝罪しました。


「すみません……お手を煩わせてしまいました」


「それが仕事だ」


「それに、お目汚しまで……」


 彼は眉根を寄せたまま、わずかに首を傾げます。


「なぜ本を読んで目が汚れる? 内容はあまり理解できなかったが、読みやすい言葉選びがされていて、愛情を込めて書かれているだろうことは伝わってきた」


 わたしは驚いて、はじめて彼の顔を真正面から見ました。


「……」


 え、待って? 顔が良過ぎるのですが。


 直視できずに目線を少し落としました。


 目を合わせると危険です。もう二度と戻れない奈落の底へと転がり落ちてしまいそうです。


「ですが……あまりに…………破廉恥かと」


 自分で言うのも恥ずかしいけれど、言われた彼もわずかに間を置いたので、破廉恥だとは思ってはいたのでしょう。


「……否定はしないが、情景の描写は美しいと思った」


「……」


「それと、手跡も」


 どうしよう。


 普通に嬉しいのですが。


「だが、正規の手続きを踏んでから、図書館に置かせてもらうべきだ」


 注意を受けながら返却された冊子を受け取ります。


 そういうところはあまくないです。


「カレン様は、この内容で出版できるとお思いですか?」


「子供の目に触れない配慮は必要だが、規制をかけての出版なら難しくはないだろう」


「いえ、そういうことではなく……」


 わたしはこれが出版するに値するものなのかと聞きたかったのです。


「できるかどうかではなく、やるか、やらないか、だろう」


 やるか、やらないか。


 なんという彼らしい率直な物言いでしょう。


 ふっと、わたしの肩の力が抜けました。


 やるか、やらないか。


 それならばきっと、わたしはもう、最初の一歩踏み出しているのです。


 図書館に置いた、その時点で。


「一度、友人たちに読んでもらってから考えます」


 まずあのふたりに読んでもらいましょう。


 そして彼女たちが楽しんでくれたのなら……。


 きっとそれがさらなる原動力になるはずです。


 ……そうですね。わたしは本当は、友人たちに読んでほしかったのです。


 そしてわたしと同じ、こういう物語に飢えた乙女たちの日常に、少しでも彩りを添えられたらと思うのです。


「もし、わたしの本が出版されたら、あなたは読んでくださいますか?」


「…………善処は、する」


「あら。よろしいのですか? なにか暗号を隠しているかもしれませんよ?」


 わずかに眉根を寄せてこちらを見下ろす彼に、わたしはくすりと笑いながら謝罪しました。


「……ふふ。ごめんなさい、冗談です」


「不謹慎だ」


「不謹慎な物語を書いている人間ですから」


 彼は一層難しい顔をします。そんな顔もいちいち様になるのですから容姿が優れている人は得ですね。


「わたしを捕まえますか?」


「人の趣味嗜好に口を挟む権利は誰にもない」


 話してみて改めて思いましたが、冗談が通じない人のようです。


 だから余計にでしょうか。からかってみたくなります。


「もし結婚する相手が、わたしのような人だったらどうするのです? それとも、実はもう清廉な乙女をお選びになっている、とか?」


 結婚という言葉にわずかに目を伏せた彼に、これはさすがに踏み込み過ぎたかしらと思っていると、彼は静かに言葉を紡ぎました。


「結婚は……いつかはしなければとは思っているが、今はまだできない。長く待たせることになるかもしれないので、現時点で相手を選ぶこともしない」


「待たせる、というのは……?」


「今も、これからも、殿下のことを最優先に考えたい。それを容認してくれる相手が仮にいたとしてもだ、大切な時間を無駄にさせてしまうということに変わりはない。相手にも、相手の家族にも、申し訳が立たないだろう」


「それは……いえ、そうですね。わかります。わたしも今、実家から結婚しろと言われても、うなずけないかと思います」


 幼い王女殿下のことを思うと、今はそばを離れたくないと思うのは当然のことです。


 似たようなことを考えていたわたしに、彼はほんの少しだけ表情を緩めたような気がしました。仕える相手は違えど、わたしたちは同じ方向を向いています。仲間意識のようなものが芽生えたからかもしれません。


「それに、俺の婚約者など格好の的だろう。可能な限り弱みは少ない方がいい」


 驚くと同時に、確かに、と納得してしまいました。


 王太子殿下を追い落としたい勢力にとって、一番邪魔な存在なのは、間違いなく彼なのです。目の上のたんこぶと言ってもいいほどの。


 レオナルド・カレン自身を討つことはできずとも、彼の大切な者を人質に取ればあるいは……と、よからぬことを考える輩もいることでしょう。


 真面目な人だとは思っていました。だけど、わたしの想像よりもずっと真面目な人のようです。


 今婚約者を選んでしまえば、その令嬢は確実に利用され、最悪殺されることになるでしょう。


 それがわかっているから、あえてどの令嬢たちとも親しくしないのです。


 王太子殿下の地位が盤石にならない限り結婚しないというのなら、彼が結婚をするのはいつのことになるのでしょうか。いざ選ぼうとしたとき、婚約者もいない未婚の令嬢となると、かなり年下になってしまいそうな気もします。ですが、


「婚約者という目に見える肩書がなくとも、待ってくれる方はいると思いますよ」


 なにせ相手はレオナルド・カレン。待ってでも結婚したいという人は大勢いるはずです。


「俺はそこまで器用な人間ではない」


 誠実ではあります。見た目通りに堅物でもありますが。


「待つことが必ずしも不幸とは限りません。わたしみたいに、これから新しくなにかをはじめようとしている相手なら、きっと待っている時間などあっという間のことでしょう。逆に、まだ待って、とお相手に言われてしまうかもしれませんよ?」


 わたしの言葉に彼が軽く目を見張ってから、かすかに表情を綻ばせました。


「それは考えもしなかった」


 わたしは彼を打ち負かしたような気持ちのまま微笑みます。


「わたしはこれからそうなる予定です。同じ趣味の方々に、今度こそちゃんと、読んでほしいですから」


「だがそれは、結婚してからでもできるのでは?」


「わたしもそんなに器用なたちではないのです。あなたがけしかけたのですから、わたしが行き遅れたら、責任を取って結婚してくださってもいいのですよ?」


「わかった」


 わたしと話している間に冗談を言えるようになったのだと思ったら、なんだか少しおかしくなって笑ってしまいました。





 この約束とも呼べない約束が、彼渾身の冗談でなかったのだと気づくことになるのは、もうしばらく先のことです。



**



「ふたりとも、ちょっといいかしら?」


 わたしは意を決して、冊子を胸にアンナとローズマリーへと声をかけました。


 友人たちだからこそ、勇気がいるというものです。


 きっかけをくれた彼に心の中で感謝しながら、わたしは冊子をふたりへと差し出しました。自分でも手が震えているのがわかります。


「これ……読んでほしいの」


 アンナもローズマリーも目を丸くしていましたが、鬼気迫るわたしの表情からなにか察するものがあったのか、なにも聞かずに受け取ると静かに目を通し、そして――……、


「すごい! これ、ラヴィアが書いたの!?」


「……ええ。どうかしら……?」


「素敵だった! ヒーローが粘着質でかっこよくて!」


「わたしも好きよ。ヒロインがチョロくてかわいいもの」


 ふたりの言葉に、わたしの胸には安堵ともに喜びが湧き上がります。


 これです。


 わたしが求めていたものは、これなのです。


「無謀かもしれないけれど、わたし、こういう恋愛小説で図書館の棚をいっぱいにしたいの」


「いいと思う! わたしも手伝うわ! 情報収集なら任せて! アンナのご実家に頼んだら出版はなんとかなるのではないかしら?」


「……そうね。これはとても新しいと思う。やってみる価値はあるわ」


「本当に? 友人だから、気を遣っているのではない?」


「あら。わたしたちはそんなに優しくないって、友人のあなたならよく知っているでしょう?」


 そう言われると自信が出て来るのが不思議です。ふたりが賛同してくれるのなら、無謀なわたしの夢も、ただの夢では終わらないかもしれません。


「だからこそ、ラヴィア。本名だと障りがあるかもしれないから、筆名をつけた方がいいと思うわ」


 筆名。思いつきもしませんでした。さすがアンナ、鋭い指摘です。


「それなら…………ラヴィ・アン・ローズ、はどうかしら?」


薔薇色の人生(ラ・ヴィアン・ローズ)ではなく?」


「ええ」


「あっ、ラヴィア・アンブローズだから?」


 もちろんそれもあります。


 けれど……と思いながら、わたしはアンナとローズマリーの顔を見てから、くすりと笑いました。


 ひとりよりも、ふたりが一緒なら、もっと心強いと思うのです。


 だからわたしは、ラヴィ・アン・ローズ。


 薔薇色の人生を、乙女たちに!


 わたし(ラヴィ・アン・ローズ)の物語は、まだはじまったばかりです。




“ラヴィ・アン・ローズ”は三人体制

執筆担当のラヴィア

印刷出版を担うアンナ

情報収集と宣伝を担うローズマリー

(森の動物たちのお茶会に参加していた、孔雀夫人がアンナ、キツネ令嬢がラヴィア、リスちゃんがローズマリーでした)


そして冗談を言える人ではない兄様

アリッサの花嫁姿を見届け、無事嫁に出し終えたら、求婚に来る予定


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― 新着の感想 ―
なんて読み応えのある大先生爆誕秘話! ありがとうございます!! そしてついに主役の兄様に春が…! (いやだから兄様は主役ではない…) 続き…いろいろと続きを……お待ちしております………!! メリー…
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