2-22 甘い秘密を鷲掴み
田舎町の名家の娘、アリス。彼女はひょんなことからある青年とお見合いをすることになる。
相手の名はテイラー、王都の新興商人。随分と羽振りが良いらしく、持参金不要な上、没落しかけているアリスの実家の支援までしてくれるという。
なんとも旨い話。だが旨すぎる。アリスは何か裏があるのでは? と怪しみ、甘党のテイラーを得意の手作りお菓子でもてなしつつ、その真意を探ろうとする。
しかし、相手もやり手の商人。歯の浮くような言葉ではぐらかされて、アリスの追求はなかなか上手くいかない。
「パイにケーキにビスケット。お気に召したら本音を言って?」
さあ、甘い秘密を鷲掴み!
王都から汽車で半日ほど。フラムシャーは山間の小さな街だ。その中心街にある集会所からは、弾むようなフィドルの音色と賑やかな声、美味しそうな匂いが漏れ出ていた。
「いやぁ、シェルディーノさん。まさかこんな片田舎にわざわざお越しいただけるとは。本っ当になーんにもないでしょう? 都会人には退屈ですよね」
「ロバート! 市長自ら街をけなしてどうすんのよ! 確かに退屈な街だけど、良いとこも一杯じゃないーーりんごとかりんごとか……」
「結局りんごだけじゃねえか! ホリー!」
大柄な男とその妻らしき女性はそう言い合って、大きなマグを煽る。一方シェルディーノと呼ばれた細身の紳士は、そんなホリーのマグを握ってない方の手を、軽く握ってみせた。
「まさか!? 空気が美味しく景色も美しい。何よりあなたのような美しい人に出会えるーー素敵な街ですよ」
フラムシャーでは珍しい気障な台詞と行動に、周りの女性陣が黄色い声を上げる。しかしホリーは
その手を振りほどいて、「ガハハ」と笑った。
「ざんねん、私はずぅっとロバート一筋さ。あんたもアホなこと言ってないの。そうだロバート! クランブルを。あれを食べてもらわなきゃね」
「おおそうだ! 確かにこの街の名物だな!」
妻に言われて、何やら大テーブルに取りに行ったロバート。戻ってきた彼の手には皿にてんこ盛りのケーキがあった。りんごの上にぽろぽろの生地を乗せて焼いたケーキーーアップルクランブルだ。
りんごが1個分は乗っているであろう皿はずっしりと重い。そのりんごは軽く煮込まれているらしく、ほんのりとした飴色だ。かすかにだがスパイスも香る。その上には香ばしく、サックリと焼かれたクランブル生地。そして卵色のぽてっとしたカスタードが、これまたどっさりとかけられていた。
突然山盛りのケーキを差し出されたシェルディーノ氏は若干戸惑いつつも、それにフォークを刺す。そして、目を見開いた。
「これは美味しい! ーーそれにどこか母を思い出すようです。お二人は実に素晴らしい料理人を雇っていらっしゃるのですね」
かなり重い菓子だが、フォークが止まらなくなった様子のシェルディーノ氏は絶賛しつつ、ぺろりとクランブルを平らげる。
その様子に市長夫妻はにこにこしつつ、2人で顔を見合わせた。
「ハハハ、確かにプロ顔負けだけどね。これを作ったのは料理人じゃあないよ。アリスという娘だ」
「街一番の名家の一人娘。ほら! あそこで……あぁ、またやってるね」
そう言って2人は少し離れたところにいる成人したてくらいの赤毛の少女と、25歳くらいの銀髪の青年を指差す。彼らは何やら言い合いをしているようだった。
「デービッド……何回言ったらわかるの!? 私はあなたとは結婚しない。他所をあたって頂戴」
「アリス! 意地を張るなよ。アンベルス王立銀行に務める俺の妻に収まれば、あんたの大事なルンベル商会は融資を受けられる。こんな使用人の真似事だってしなくてすむ」
デービッドと呼ばれた青年はそう言って、アリスが持つケーキを指さした。
「あんた、本当に失礼ね。お菓子作りは私の大事な趣味なの! それにルンベル商会だって、あんたの力なしでも立て直せるわ」
「何言ってんだ、現実みろよ? さっさと家庭に収まって両親を安心させた方が良いんじゃないか?」
図星をつかれ、アリスは一瞬固まる。その隙をデービッドは見逃さなかった。
「な? フラムシャー始まって以来の出世株の嫁になれるんだ。光栄だろ?」
得意げなデービッドにアリスは奥歯を噛みしめる。彼女の実家は代々特産のりんごを使ったジャム工場を営んでいる。しかし安い外国産の品に押されて、その経営は火の車だ。
両親は再建を半ばあきらめ、せめて娘には不自由ない暮らしを、と目の色を変えて縁談を探している。その点、デービッドは確かに将来有望な銀行員だ。しかし、アリスは自分のことを「名家のお嬢さん」というアクセサリーだ、と思っている男の元へ嫁ぐ気は、さらさらないのだった。
「さあ! 頷くんだアリス。俺と結婚しろ」
「無理よ! だって私ーーお見合いするんだもの」
「は!?」
その言葉にデービッドが固まる。周りで彼女たちの口論を見守っていた街の人達も唖然としていた。
「あんまり騒がれたくないから黙ってたの。王都でお商売をされている方よ。持参金不要、家業も支援してくれるって」
もちろん嘘だ。そしてそんなこと百も承知らしいデービッドは、「フッ」と彼女を嘲笑った。
「何言ってんだーーもっとマシな嘘つけよ? 本当だと言うならそいつと会わせろよ。俺の方が良い男だって証明してやる」
「おやおや……随分と自信があるようですね」
「誰だ、おま……」
お前、と言いかけてデービッドは絶句する。そこに立っていた男がこの街ではまず見ない、仕立ての良いコートとベストを着ていたからだ。それだけではない。靴、杖、帽子。いずれも王都にしか店がない、それも限られた者しか相手にしない、と噂の高級店の品だった。
「申し遅れました。テイラー・シェルディーノと申します。王立銀行の皆様にはいつもお世話になっております」
「そ、それはどうも……デービッド・ウォリアーです。ところで……どうしてここへ?」
先程までの勢いをすっかりなくしたデービッド。一方シェルディーノ氏は彼へ人好きのする笑みを浮かべた。
「それはもちろん……お見合いのためですよ、そちらの素敵なお嬢さんとの。ねぇ、アリス嬢?」
「え、えぇ! お早い到着でしたのね」
「少し予定が変わりましてね。あなたがこのパーティーに出席すると聞いて、飛び入り参加してしまいました」
そう言って軽く片目をつぶって見せるシェルディーノ氏。ふざけた仕草も、彼にはどうも似合っていた。彼はニコニコとした顔のまま、デービッドへ視線を向けた。
「さて? どちらがアリス嬢にふさわしいか決めなければならないのですか? ウォリアーさん?」
「い、いえ。それは……」
「結構ですよ。カードでも、ダーツでも……それこそ決闘でも。全て身に覚えはあります」
「まさかーー大事なお取引先様とそんなことは。……またどこかで!」
シェルディーノ氏の笑顔に追い詰められ、デービッドは尻尾を巻くようにして会場から出ていく。それを確認してからアリスは小声で彼に話しかけた。
「ありがとうございます、シェルディーノ様。お陰で助かりました」
「いやいや、礼を言われることなど。さてーーでは日取りはいつにしましょうか?」
「はい!?」
先程とは違う、本当に穏やかな笑みをアリスに向けるシェルディーノ氏。しかしその後に続いた言葉にアリスは絶句した。
「日取り……とは?」
「見合いのです。もちろんおっしゃった通りの条件で構いません。持参金なし、ご実家の支援もしましょう。ルンベル商会のジャムは高価ですが、固定客がついてます。やりようはいくらでもある」
「そ、そんな……あれは方便……」
「私はそうは思ってませんでしたよ。あなたのような素敵なお嬢さんとの出会いーーこれは運命だと思いました」
そう言って、シェルディーノ氏はそっと彼女の手を取り、手袋越しに口付ける。
「な、なにをーー」
「おやおやーー王都では普通の挨拶ですよ。りんごみたいに顔を染めて可愛いですね」
さらに彼は言葉を続けるが、アリスはもはや返事も出来ない。と、そこでシェルディーノ氏は不意に彼女が持つ皿に目をやった。
「そうです。りんごと言えば、アップルクランブル! あれは素晴らしかったですよ。りんごの甘酸っぱさとバターの香りが絶妙。生地のさっくりとした食感も最高でした。あれはあなたが焼いたのだとか?」
「え、えぇ。素人が作ったものですが」
急に菓子のことを褒められ驚くアリス。咄嗟に謙遜した彼女だがその内心は高揚する。祖母に教わったお菓子作りは、彼女が唯一自慢できる特技なのだ。
「何をいいますか。あのケーキは本当に美味しかった。王都で売られていても驚きません。そうだ! お見合いの日、また何かお菓子を作っていただけますか?」
「お菓子……ですか?」
「ええ、こう見えて甘党でして」
シェルディーノ氏は少しだけ恥ずかしそうに言う。その表情を、アリスは思わず二度見した。
「お菓子でしたら……いくらでもお作りしますが」
「それはそれは、楽しみだ。さて……ではまずはお父上に話をしなければなりませんね。近いうちに手紙を送りますが、他に御用があればこちらへ。フラムシャーでの滞在先です」
そう言って、彼女にカードを渡す。そこには街に唯一あるホテルの住所が書かれていた。
「ではりんごの姫君、次は見合いの席でーー」
シェルディーノ氏はアリスをなんとも気障な相性で呼び、笑みを投げてから、会場を去っていく。彼の姿が見えなくなったところで、ようやくアリスは現実に戻ってきた心地になった。
(な、何あいつ……怪しすぎるわ)
あまりにもこちらに有利な見合い話。飄々とした笑顔。確かにデービッドの方が地に足をついた選択、と言えるかもしれない。でもーー
(シェルディーノ様は私のお菓子を『美味しい』って、それに『また食べたい』って言ってくれた……だったら責任は取ってもらわないと!)
パイにケーキにビスケット。祖母譲りのレシピはまだまだ無数にあるのだ。
と、なればまずはシェルディーノ様が何者なのかを知らなければ……
そんな決意を胸に、アリスは手にしていた皿の上のクランブルを口に放り込むのだった。





