2-19 手前味噌ですがうちの五平餅は効くんです
伊吹山の麓、岐阜の山奥にある味噌蔵を営んでいる糀谷 伊吹28歳独身は店先で五平餅を焼いている。唯一の肉親である父親が大豆先物で借金をこさえ、マグロ漁船に乗って金を稼いでくるといなくなってしまった。
何とかしないと月末の支払いもやばいが途方に暮れても仕方がないので五平餅を焼いていると「おかあさんをたすけて」とたぬきが来た。たぬきに五平餅を渡すと今度は母親だという小さなお雛さまを連れてくる。
そのお雛さまは自分と妹の怪我の治療代だと見たこともない金色の貨幣を渡してきた。質屋で見てもらったらそれが純金製だと判明。売れるよひゃっほい。
渡した五平餅が病気やら怪我やらを治すようで、動物とか見たこともない物の怪が身の上話を土産に五平餅を求めてやってくる。
「五平餅を売ったら金ゲット。うまくいけば借金も返せるかも?」
伊吹は借金を返すために五平餅を売っていく。
「ぼぼぼぼくのおかあさんを助けてぇ!」
五平餅を焼く屋台の前に現れた小さくてモコモコなたぬきが五体投地で懇願してきた。山のふもとにあるこの辺ならたぬきなんて珍しくもないけどしゃべった上に土下座してくるたぬきは初めてだ。
夢でも見ているのだろうか。
私こと糀谷 伊吹二十八歳独身は焼いてる途中の五平餅をかじってみた。
「熱ッッッィけどおいひー!」
夢でも幻覚でもうちの五平餅は旨い!
「ぼくのおかあさんが、熱がすごくて、たおれたままで、うわぁぁぁぁん」
たぬきが泣き出した。たぬきとはいえ店の目の前で号泣されるのは体裁が悪い。てか、泣くんだ。
「えぇと、たぬき君でいいのかな。私はここで味噌を作って五平餅を焼いてるお姉さんなんだけど、病気なんて治せないよ?」
「だってだって、ぼくがそれをたべたら頭がいたいのがなくなったんだもん!」
たぬきは私の手にある五平餅を前足でさした。器用だ。
「五平餅の拾い食いはおススメしないけど、うちの五平餅で痛いのが治ったって?」
「きゅうに頭がいたくなって、近くのおじぞうさまの足もとにおいてあったそれをたべたら元気になったんだもん」
「あー、お供えをねー」
五平餅をかじった。うむ美味じゃ。
伊吹山のふもとの神社に行く途中にお地蔵様があって毎朝五平餅をお供えしてるんだけど、それを食べたのかー。私の名前の伊吹てのはこの山から取ったらしい。
動物が食べるだろとは思ってたけど、まさか食べたご本人が来るとは。
「ぼくのおかあさんはすごい熱で、それをたべたら元気になるとおもって、うわぁぁぁん」
たぬき君がおいおい泣き出した。うーん、うちの五平餅は秘伝の味噌で絶品だけどお米は近所の農家から買ってるやつだし病気を治すはずがないんだけどここで追い返すのも可哀そうだし。困った。
どうせ売れ残りも出るし、ま、いっか。
「わかったからもう泣かないの。食べかけだけど、これならあげられるよ?」
「ほんとう? やったぁ、これでおかあさんがたすかる!」
たぬきはすぐに泣き止んだ。ウソ泣きぃ!?
あげると言っちゃった手前取り上げるのもかわいそうだしあげてしまおう。屋台の横から歩いていくとたぬきが見上げてくるからしゃがんでかじった五平餅を差し出す。
「はい、落っことさないようにね」
「ありがとう! ぼくポタっていうの! おかあさんがなおったらまたくるね!」
前足で五平餅を受け取ったたぬきは二足歩行で山のほうへ駆けて行った。知らなかったよ、たぬきって二足で走れるんだね。意外と速いし。
「なんだろう、疲れてるな。うん、あんなことがあれば疲れるはずだよって、五平餅!」
慌てて焼いてた五平餅を皿に移したけど焦げてて黒くなってる。やっちゃったー。
焦げて売り物にならなそうな五平餅をかじった。苦かった。
「あーあ、朝もついてないなぁー」
昨晩はひどいことがあったばかりなのに。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆
「やばい。つぶれそう」
夕飯後のまったりしてる時間にお父ちゃんが切り出してきた。いつもは上半身裸族のねじり鉢巻き姿で笑いながら味噌をこねくりまわしてるお父ちゃんが真面目くさった顔してる。この顔をしている時のお父ちゃんは職人ではなく商人なので「あ、ヤバタンなんだ」と無意識に正座した。
「じつは、借りてる金が返せないっぽい」
「ちょ、ちょっと待って。うちって細々と暮らすだけの売り上げがあったんじゃないの?」
うちは岐阜の山奥で代々ひっそりと味噌を作ってる家族経営な味噌蔵だ。お母さんは早くに亡くなってて、お父ちゃんと私のふたりしかいない。
始まりはもぉのすごぉぉい大昔らしいけど記録がないからまぁそこそこな老舗だと自負してる。秘伝の味噌だけでもやっていけてたけど店先の屋台で五平餅を焼いて売ってもいる。
客はほとんど地元の人。たまーに温泉マニアとか秘境マニアが来る。五平餅は秘伝の味噌を使ってるからか評判はいい。
「金を借りたって、なんで借りたの?」
「味噌の材料を安くしようかと思って大豆先物に手を出したら大暴落とか食らっちまってな」
「素人が手を出していいものじゃないでしょよ。いくら損したの」
「三億円」
「さささんおくぅ!? ムリムリ。うちの売り上げの何年分よ! 私を身売りしたって、田舎産アラサーなんて内臓を売っても金にならないんだから!」
思わずちゃぶ台を叩いた。
うちの貯金はいくらあったっけ?
確か月末に払う大豆の代金くらいはあったはず!
「すまん、貯金は全部使っちまった!」
「塞がれた!? 来月の味噌はどうするの。毎月コツコツ作っていかないと売る分がなくなっちゃう!」
味噌は熟成が大事だ。その期間が重ならないように毎月作ってた。熟成中の味噌は売れるけど、それはタコさんが自分の足を食べちゃうことと同じ。五平餅の味噌は別仕立てたからそれも作らないと!
「お父ちゃんどうするの。味噌を作るお金がなかったら蔵もおしまいだよ。! ひっそりとだけど味噌マニアには大評判なのに」
「お父ちゃんな、船に乗ってマグロを獲ろうかと思ってる」
お父ちゃんの顔は真剣なままだ。本気でそう思ってるらしい。あかん。
「お父ちゃん、ここに海はないよ?」
「でも、稼ぐなら船なんだ!」
お父ちゃんは「取り立てくるかもスマン」って書き置き残して朝にはいなくなっていた。置いてけぼりの私は朝から黄昏てたけど泣きわめいても事態は変わらないからいつものように五平餅を焼いてた。そうしてたらポタが来たんだっけ。
「はー、やめやめ。五平餅を焼くの中止。味噌のお世話をしよう」
その日は五平餅を焼かなかった。
翌日。
お父ちゃんがいないからひとりで味噌の世話をしなくちゃいけない。それで午前中が終わって疲れちゃったから午後は五平餅を焼くことにした。焼ける味噌の香ばしさがたまらないし、焼いてる間は無心になれるからね。
「五平餅の肝は味噌よ味噌。うちの味噌は特製なんだから」
豆麹の割合を増やしてるから味噌のうまみ成分がドカ盛りでお米とのマリアージュは凸凹のごとしだ。かじると焼けた味噌がじゅわっと襲ってくる。うちの五平餅は日本、いや宇宙一だ。
「すみません」
おっとお客さんだ。「いらっしゃいませー」と営業スマイルになった私の前には、たぬきそれと同じくらいの大きさの着物姿の小さな女性が立っていた。十二単みたいなカラフルさで、まさにお雛さま。
「おかあさんが元気になったんだ、ありがとう!」
たぬきはポタのようだ。うれしそうな声のポタの横にいる小さなお雛さまがぺこりとお辞儀した。
「ポタの母の鼎と申します。昨日は素晴らしい薬膳をありがとうございます。おかげで熱も下がりました」
お雛さまが上品に微笑む。
あれ、また幻覚かな。ショックな借金のせいかな。焼いてる最中の五平餅をかじる。
「熱ッぉいひー!ってこれ現実!?」
たぬきの母親が小さいお雛さまって、どこに血のつながりが?
ってか小さいお雛さま!
なにがどうなってるのぉぉ!?
「今日はお礼を言いたくて、不躾ながら参った次第でございます」
「こここれはご丁寧にどうも、伊吹と言います」
「実はわたくしの妹が酷い怪我で伏せておりまして、その素晴らしくも美味な薬膳を賜れないかと。もちろん対価はお支払いいたします」
鼎さんは胸元から四角い金色の板を取り出した。一〇円玉くらいの大きさだ。
「これはわたくし共の貨幣でござります。これでわたくしの病気と妹の怪我の治療の対価としていただければ幸甚の至り」
お雛さまがふわっと浮かび上がって五平餅を焼く私の顔の横に並んだ。シミ一つない白い肌でしかも左目の下に泣きぼくろまである美人さんだ。同じ女性ながら胸がときめいちゃう。お内裏様はさぞかし素敵な方なんだろうな。いーなー。
なんてことを考えていたらお雛さまがその貨幣を差し出してきた。
「対価には程遠いかと存じますが、何卒、何卒お納めいただきたく」
「あ、はい」
あまりに真摯なまなざしに思わず受け取ってしまった。指にかかるのは五〇〇円玉ちょっとな重さ。見かけより重い感じ。四角い板に何か模様のような文字のような何かが書かれてる。見た感じ金色だけどメッキかもしれないし、そもそもこんな貨幣は知らないなあ。
でも、うちの五平餅で満足してくれるならいいかな。買おうとしてくれてるお客さんに違いはないし。
「えぇ大丈夫です。これで五平餅一本分でよろしいですか?」
「はい、ありがとうございます。これで妹も助かることでしょう」
焼きあがった五平餅を渡すとお雛さまは嬉しそうに目を細めた。そのままふよふよとポタのわきに降りて、こっちに向かって丁寧に頭を下げた。上品な振る舞いで所作に華があるって感じ。ステキ。そして可愛い。
「妹の怪我が癒えた暁にはまたお礼を述べに参りたいと存じます」
「おばちゃんまたねー」
「お、おばちゃ……」
私はまだアラサー! まだ、まだ若い、若いの!
「ポタ、年上の女性はみな【おねえさま】と呼ぶことと教えたはずですよ?」
「あ、そうだった! おねーさんまたねー!」
たぬきとお雛さまは山のほうに歩いて行って、途中で消えた。手元には一枚の貨幣。おもちゃみたいだけどそれにしては金ぴかで精巧にできてる。
「これって、売れるかな?」
町の質屋さんに聞いてみよっと。





