2-16 最終的に原作とかどうでもよくなる異世界転生
かつて実の姉弟であったセイラとロイドは、二人揃って『青い薔薇のアイリーン』という小説そのままの異世界へと転生する。読者であったがゆえに原作の流れを意識しがちなセイラとは違い、もとから原作に興味のないロイドはこの世界での登場人物たちの動きを冷静に観察していた。
そしてときめくはずの場面でなぜか歯茎を剥き出しにするヒロインや、やたらとセイラにご執心な様子のヒーローを見て、ロイドはこの世界がすでに原作の手を離れつつあることを確信する。だがそこまで客観的になれないセイラは、いつかくる断罪の日を恐れて今日もなにやら迷走していた。
今世では赤の他人として生まれた元姉弟と、そんな二人を取り巻く小説の登場人物たちが、それぞれ原作とは違う結末を迎えることになる異世界転生ストーリー。
その日、過労死寸前の姉に代わって夜会に参加していた侯爵令嬢のセイラ・オルセンは、見なければいいものをあえて見たことにより無駄な絶望を経験していた。
「ふ、ふふ……やっぱりね。そりゃ原作通り進むわよね。さすがは愛されヒロイン。これでまた破滅へと一歩近づいたわ。おもに私が」
「いや目がやけっぱちなんだけど。一人でなにブツブツ言ってるのさ、姉ちゃん」
横からひょいと顔を覗かせたのは、公爵家次男のロイド・シンフォードだ。彼はセイラが凝視していたバルコニーへと目を向けて、見えた光景に思わず渋面を浮かべる。内心あまり関わりたくなかったものの、ロイドは一応訊いてみた。
「で、なにが原作通りだって?」
「ヒロインと伯爵家の軟派野郎が夜会を抜け出して二人でバルコニーにいることよ。すごいわね、小説の挿絵そのままの光景だわ」
曰く、愛想笑いに疲れた軟派野郎をヒロインが息抜きに連れ出してあげたシーンらしい。ロイドは「へー」とか言いつつ目を眇めた。
「そのわりにはヒロインの形相ヤバいんだけど。あの顔で愛されヒロインとか超ウケる」
「は? ヤバい形相ってなん……待って、あんたこの距離でヒロインの表情見えるわけ?」
なぜかドン引きしているセイラをよそにロイドはさらに観察を続ける。……やはりどう見てもヒロインが歯茎を剥き出しにして相手を威嚇しているようにしか見えない。だというのに、それが見えているはずの軟派野郎がなおもヒロインにデレデレしていて普通に怖い。奴には一体ナニが見えているのだろうか。
愛されヒロインとやらも大変だなとロイドは思った。とはいえ所詮は他人事なので、すぐに飽きて話題を変える。
「ところで姉ちゃん」
「セイラさんとお呼び」
「はいはい、ところでセイラさん。うちの兄上見なかった? なんかセイラさんに急用があるとかって珍しく今日の夜会に来てるんだけど、到着した途端どっかに消えちゃってさ」
キョロキョロと周囲を見回すロイドにセイラは「さあ」と肩を竦めた。彼のことだから、どうせ懸想してくるご令嬢たちと鉢合わせないように上手く隠れているのだろう。未だに婚約者のいない美形の公爵家嫡男なんてそんなものだ。
「でもあの人、原作ではこの夜会に参加していないはずなんだけど。本当に来てるの?」
「来てるよ、姉ちゃんに会うのが目的なんだし。ていうかヒロインとくっつくはずの兄上が姉ちゃんに執着してる時点で、もう原作なんてアテにならないと思うけど」
「執着ってなによ。不吉なこと言わないでちょうだい。だいたいね、細かいところはともかく物語自体は順調に進行してるのよ。あとセイラさんとお呼び」
きっちりと釘を刺しながら、セイラはかつて読んでいた小説『青い薔薇のアイリーン』に思いを馳せた。なにを隠そうこの世界は、その青リン(略した)の世界観そのままなのだ。いわゆる聖女に当たる『青薔薇』に選ばれた主人公のアイリーンが、彼女を守る四人の騎士たちと共に世界を救う物語。
さらにネタバレすると、セイラは物語の終盤で断罪される悪役で、ロイドはその存在が作中で示唆されているだけの完全なるモブである。あまりの仕打ちと羨ましさにセイラが血涙を流したのはわりと記憶に新しい。
ちなみにロイドが性懲りもなくセイラを姉と呼ぶのは、ここではない別の世界では実の姉弟だったからである。いわゆる異世界転生だ。当時の記憶は二人とも保持しているため、赤の他人として生まれた今でもなんだかんだと連んでしまう。
なお両家が良かれと思って持ちかけてきた縁談話に関しては、二人揃って「解釈違いです」の一言で破談にしていた。仲がいいのは否定しないが結婚だけはちょっと無理。
「というわけでロイド、最悪私を殴って気絶させて袋詰めにして適当な船に放り込んで、物語の舞台から強制的に退場させてちょうだい。このままじゃ私は断罪されてブタ箱行きよ」
「え、やだよ。いくら僕でも密航の手引きをするのはちょっと」
嫌な顔をするロイドをどつきながらセイラがバルコニーへと視線を戻せば、ちょうどヒロインと軟派野郎が解散するところだった。しかし二人がバラバラに戻ってくるのを見て不可解そうに眉を寄せる。……小説とは違う展開だ。
「おかしいわね、本来なら二人一緒に戻ってきて友人たちから冷やかされるはずなんだけど」
「姉ちゃんはそろそろ原作を忘れたほうがいいと思う。……あ、どっかに隠れてた兄上みっけ。なんか競歩みたいな勢いでこっちに来る」
「セイラさんとお呼びって何度言ったら分かるのよこの愚弟」
とか言いつつも、間違えたらまずい場面でロイドが言い間違えたことは一度もない。だから未だに姉呼びするのは単に姉に甘えたいだけなのだろう。セイラもそれが分かっているので、ジト目で睨む程度で済ませているわけだが。
「セイラ」
そうこうしているうちに、ロイドの兄であるレイモンドが合流してきた。相変わらずの冷たい美貌で、ロイドとはまるで正反対の雰囲気だ。
「こんな隅にいたのか、探したぞ」
「ご機嫌麗しく、レイモンド様。私になにかご用ですか?」
「急ぎの話が……って、またセイラと一緒にいたのかロイド」
「そりゃいますよ、セイラさんとは親友ですから」
違うのだが、それ以外に説明のしようがないのでセイラも特には突っ込まない。
目を惹く容姿のシンフォード兄弟が揃ったことで、周囲にいたご令嬢たちがチラチラとこちらを気にし始めた。しかし二人の間にセイラが突っ立っているせいなのか、すぐには近づかずに様子見している。
「ねえ、いま公子様に名前呼びされたあのご令嬢はどなたかしら? あまり見かけない顔よね」
「さあ、どなただったかしら。随分と親しいようだけど、婚約者……ではないわね。シンフォード公爵家のご子息たちはまだ誰とも婚約されていないはずだし」
そして漏れ聞こえてくる噂話の内容は、専らセイラの素性に関してであった。確かに彼女は貴族たちからの知名度が低い。断罪に繋がるようなヒロイン絡みの不祥事を避けるため、普段はあまり社交界に顔を出さないからだ。
「あ、でもあの綺麗な虹色の瞳は……もしかしてオルセン侯爵家のご令嬢かしら」
それでもオルセン家のアースアイは有名だったらしい。どこの誰だかバレるまで、そう時間はかからなかった。
「え、じゃあダイアナ様の妹君ってこと? でもダイアナ様と比べるとちょっと、なんていうか……」
「華がない感じよねえ……あのお二方と並ぶと余計に霞むというか浮くというか」
「いやだわ、公子様たちってば……どうしてそんな地味な子と……」
なにやら陰口が聞こえてくるが、それを気にするような繊細さなどセイラたちの誰も持ち合わせてはいなかった。周囲の声を完全に無視してレイモンドが話を続ける。
「喜べ、セイラ。念願だったオリガ島への視察がついに決まったぞ。それでお前も一緒に行」
「は!? お、オオオリガ島ってあのオリガ島ですか!? コーヒー豆の生産地で有名な!?」
セイラはカッと目を見開いた。カフェイン中毒な彼女にとって、オリガ島はまさに聖地のような存在なのだ。即座に食いついてきた彼女の反応に、予想通りだとレイモンドは小さく笑う。
「期間は二週間。同行人数は七名。その頭数にはお前も入」
「おみやげ買ってきてください! できれば焙煎されて二日以内のコーヒー豆を! 多めに!!」
「相変わらずコーヒーが絡むと清々しいまでに図々しいなお前……」
半眼でぼやくレイモンドだったが、実はまんざらでもないのだと弟であるロイドは知っている。
余談だが、この青リンの世界にはなぜかコーヒーがほとんど流通していなかった。そのためロイドは暴れる寸前だったセイラを捕獲して連行し、この世界では数少ないコーヒー愛好家である兄の部屋に問答無用で押し込んだのだ。それがきっかけでコーヒー廃な二人が出会って今に至るわけだが。
「そんなに欲しければ自分で買え。いいか、お前も一緒に行くんだからな。かなり過密なスケジュールだから体調は万全に整えておくように」
「は? 私も? ……なぜに?」
「お前みたいな有識者が必要なんだよ。船に急遽空きができた関係で出発は明後日の早朝になる。迎えに行くから準備しておけ」
「ちょ、支度に時間がかかる乙女になんという無茶振りを」
どうもレイモンドのほうは、自身の嗜好を初めて理解してくれたセイラにかなり執着している節があった。それこそヒロインの存在をガン無視するくらいには。
「じゃあロイド、頼んだわよ」
「へ? なにを?」
急に話を振ってきたセイラにロイドはきょとんと目を瞬かせた。
「だから、私を殴って気絶させて袋詰めにして、オリガ島行きの船に荷物として放り込んでちょうだい。いくら仕事でもレイモンド様と一緒に遠出なんかしたら変な噂が立ちそうだし、荷物に擬態して行くことにするわ」
「あ、その計画まだ諦めてなかったんだ?」
再び持ち出された密航紛いの計画だが、今世でも姉を『義姉』と呼びたいロイドは「普通に嫌だ」と再度断る。変な噂とやらが広まることに関してはむしろ大歓迎なのだ。外堀さえ埋めればあとはどうにかなるだろう。
ふと周囲を見回せば、退屈そうに欠伸をしているヒロインがいた。レイモンドのことなどまったく眼中にないその姿に、やはりこの世界はすでに原作の手を離れつつあるのだと確信する。となると、残る問題は。
「おい、ロイド。セイラにくっつきすぎだ」
兄にライバル意識を持たれていることだろうか。これで無意識だなんてタチが悪いと、単に隣に立っていただけのロイドは肩を竦めてセイラから一歩離れたのだった。





