2-13 青賀探偵事務所調査録
都内で探偵事務所を営む青賀哲斗には、二十年前、養父母に引き取られ名前をもらうより前の記憶がない。
探偵を生業としたのは、何かの拍子にその欠けた記憶の一部なりとも、見つけられるかもしれない。そう思っての事だった。
そんなある日、青賀のもとへ連絡してきたのは、数か月前、人探しの依頼をしてきた女性、北宮藍。
再び彼女からの依頼を受けることにした青賀は、それに関わるであろう、なくした記憶を調べることを決意する。
それが、二十年前のある事件を引っ張り出すことになるとも知らず。
東京、江東区。平成半ばから高層マンションが乱立するようになる中で、今も昭和の街並みとその頃からの住人が残る下町に、青賀哲斗の自宅兼、事務所はある。
築三十年の洋室二間、風呂トイレ別のアパートで探偵業を営むが、一人細々とやっていることもあり、探偵の仕事はあまりなく、月のほとんどを近隣に住む老人たち相手の何でも屋や、養父母の営む居酒屋の手伝いをして生計を立てていた。
今日も、顔なじみの買い物代行を引き受け、養父母の店を手伝い、自宅へ帰りついたのは日付の変わる頃。
そういえばスマホを確認していなかったと、カバンの底から引っ張り出し、表示された不在着信の多さに首を傾げた。
二十時ごろから三十分置きにかけてきているのは、北宮藍。数か月前、人探しを青賀に依頼した女性であり、今も個人的に付き合いのある相手だ。
折り返すべきだが、時間的に躊躇していると、決めるより先にスマホが鳴った。
「もしもし?」
「哲斗君……? 北宮です。ごめんね、何度も……」
「いえ、大丈夫ですけど……。どうしたんですか?」
スマホ越しの藍の声はひどく沈んでいて、明るく朗らかな彼女しか知らない青賀は、内心驚きつつも用件を尋ねる。
しかし、藍はなかなか用件を口にせず、かといって急かすわけにもいかず、しばらくの間沈黙が流れた。
「……あの、ね……その……」
「用件を言ってもらわないと、何もできませんよ」
「う、うん……少し、哲斗君と話したかったのと、ちょっと、徳島から離れなくちゃいけなくなって、明日東京に行くんだけど……また、頼ってもいい?」
「それはもちろん、来ることも、仕事も歓迎しますけど、ずいぶんと急ですね?」
「うん……そうだね……」
なおも歯切れの悪い藍に、机に転がっていたペンをクルリと回す。やっと用件を告げた彼女だが、それもやはりどことなくはっきりしない。
そんな藍の態度に、青賀はスマホを耳に当てたまま首を傾げた。
二週間ほど前、青賀は浮気調査の依頼を受けた際、徳島に行き藍と会っている。その時、東京へ来るようなことは一言も言っていなかったので、本当に急な話なのだろう。
それに、青賀への最初の着信は二十時を過ぎてからで、直感的に何かある、と思った。
思いはしたが、藍が来ることを拒否するつもりは全くない。
「迎えに行きますから、どこに行けばいいか決まったら連絡ください。朝一の新幹線が岡山出るくらいには起きてます」
「ありがとう。……ごめんね」
「ううん。大丈夫、まってるね」
「うん……じゃあ、おやすみなさい」
「おやすみ」
通話を切ると、青賀は椅子に座って天井を見上げた。
以前、藍が持ち込んだ依頼は人探し。
二十年前に行方不明となった友人、青原雄哉を探してほしい、との依頼だった。
徳島や西の方は警察が当時調べているだろうからと、仕事で東京へ来たのをきっかけに、探偵事務所を数か所当たったと言っていた。
情報が皆無に等しいことから断られ続け、失意の中藍が立ち寄ったのが青賀の養父母の店。そこの常連たちから青賀の事を聞いたとか。
結局、この探し人は青賀だった、というオチがついている。
青賀自身、二十年前に墨田川近くで倒れているところを保護されており、それ以前の記憶がない。
年齢だけはなぜか覚えていたが、名前も何もわからず、青賀哲斗の名前は引き取った養父母からもらったもの。
そういったことから、今も個人的に、友人として連絡を取り、徳島へ行った際には通っていた小学校などを案内してもらった。
もしかすると、青原雄哉を探し出したことか、青賀が徳島へ行ったことが、よくなかったのではないか、という考えが、ふと頭をもたげた。
実父母は二十年前、心中したといわれている。記憶のない青原雄哉が保護されたのはその一週間後。
当時八歳の少年が一人で徳島から東京まで移動し、一週間もの間、誰にも見とがめられないなど、あり得るだろうか。
藍の依頼を終えた際にも思いはしたのだが、やはり実父母の死も含め何か裏があるのかもしれない。
今まで何もなかったのは、自分が徳島に近づかなかったから、といえば筋は通る。
「……一度調べてみようかな」
自分が何者か分かったとはいえ、記憶は戻っておらず、四半世紀近く青賀哲斗として生きている。
その為、青原雄哉であるという自覚や意識はどうしても薄く、自ら東京にいた理由を調べようとは思っていなかった。
しかし、何かそれがかかわるならば、調べないわけにはいかないだろう。
なんにせよ、明日藍から話を聞かなければ、と青賀は椅子から立ち上がった。
****
「ごめんね、哲斗君。気を使わせちゃったよね……」
「まぁ、勝手にそうかなと思って、行動してはいますね」
翌日午前八時半。青賀の運転するレンタカーは、藍を隣にのせ首都高を走っていた。
黒のスーツを着た藍は化粧と童顔も相まって、就活生にも見え、始発の新幹線に乗っていても、目立ちはしなかっただろう。代わり、荷物はビジネスバック一つと、しばらく東京にいるには心もとない。
新横浜の新幹線改札で落ち合った二人だが、周囲を伺い落ち着かない様子の藍に、やはり何かあると察して、青賀はラッシュ時間の人ごみに紛れながら、彼女を車まで誘導した。
無言だった藍が口を開いたのは、首都高に乗りしばらくしてからの事。
時折ミラーで後ろを見ていた青賀が、ついてくる車がないことを確信したタイミングだった。
「……実はね、一週間ちょっと前から、ストーカーとか、職場に私宛で無言電話がかかってきたりとか、そういうことが続いてるんだ。それで、一昨日は、空き巣に入られたみたいでさ。盗られたものはなかったけど、部屋の中物色されたみたいで。さすがに怖くなって、上司と相談して、しばらく徳島を離れることにしたの」
「警察には?」
「もちろん相談したけど、あまり期待はできないかなって」
「……そう」
藍の話を聞きながら、前を見ている青賀の目が眇められる。視野や可能性を狭めるのはよくないが、やはり徳島に行ったことが何か関係しているような気がしてならない。
黙り込んだ青賀をどう思ったか、藍は慌てたように顔の前で手を振る。
「あのね! 哲斗君に頼みたいのは、そのことじゃなくて。こっちにいる間、過ごすホテル探すのとか、ちょこっと買い物付き合ってほしいなって。東京の事、わからないから……」
「え、ああ、うん。もちろんいいですよ。こっちにいる間は、何か予定は?」
「何もないんだ。でも、じっとしてるのは性に合わないから、宿泊費稼ぐのに一日限定とかのバイトでもしようかなって。上司には許可取ってあるんだ」
「……それなら、僕の仕事、手伝ってくれませんか?」
「え?」
にこりと笑う藍だったが、それがかなり無理をしているように見えて、思わず青賀はそう口にしていた。きょとんとする藍に、彼自身も自分が口にした言葉に、困惑する。
藍がそこまで求めていない、ということはわかっている。それでも、彼女を元気付けたいと思ったし、このまま都内を案内して別れるのは、なんとなく嫌だった。
そんなことを思う自分に戸惑いながらも、青賀はちら、と藍に視線を送る。
「手伝いと言っても、普段は買い物代行とか、何でも屋のようなことをしてるので、その手伝いとか。もしくは、僕の親の店の手伝いも紹介できます」
「……そこまで、哲斗君を頼っていいの?」
「北宮さんが、僕を頼っていいと思うなら」
「哲斗君以上に頼れる人、今の私にはいないから……お願い、仕事手伝わせて? 哲斗君のご両親のお店の手伝いも、やってみたい」
青賀の問いに、藍は微笑みながらそう返す。その言葉と、笑みにドキリと青賀の心臓が跳ねた。
慌てて視線をしっかりと正面に戻し、ハンドルを握りなおすとバレない様に深呼吸する。幸い、藍は気づかなかったようだが、何故か嬉しそうにしてる。
理由はどうであれ、多少なりとも彼女の気が晴れたならよかった、と青賀は車を走らせ続けた。
****
同日、午前十時
「被害者の身元は目下捜査中。部屋の住人は北宮藍、二八歳。数日前にストーカーの被害届を出しているが、昨日一九時過ぎに職場を出た後の足取りがつかめない。もともと、今日からしばらく休みを取っていたみたいだが、行先はわからず、家族や職場からの連絡もつかないらしい」
徳島県警捜査一課。小会議室で捜査会議をしているのは須崎隆二警部率いる須崎班の面々
彼らに今朝方回された殺人事件は、奇妙なものだった。
事件としては女が一人殺された、という単純なものだったが、発見されたのは全く無関係の女性の部屋。ドアが半開きになっていることを不審に思った隣人が玄関で倒れている被害者を発見し、通報したのだ。
当然ながら、この部屋の住人である女性が疑われたが、現時点で被害者との接点も見つからず、何より、死亡推定時刻には職場にいたためアリバイがある。
そして、その女性、北宮藍の行方が分からない。
「警部、それに関してなのですが」
「なんだ、阿久条」
「実は、現場の捜索をした際に見つけた名刺の名前が、カレンダーに時刻と一緒に書かれてまして、この人物に関して調べてもいいでしょうか? この名刺だけ、別に保管されてまして」
「個人的に、深い付き合いがある可能性もあるか。いいだろう、お前に任せる」
「はい! 住所が東京なので、警視庁に協力を頼もうと思います」
そういって小会議室を出ていく阿久条の手に握られた名刺には、『青賀探偵事務所 青賀哲斗』の名前が書かれていた。





