13 最後の巫女
神獣様の鳴き声と共に、全身が炎で覆い尽くされ、赤い炎で周りは何も見えなくなった。胸の中にはまだ神獣様の感触がある。
「灯ちゃんっ」
雅さんの声が何処からともなく響いて、私の旅行バックが足元に現れた。おそらく火に投げ込んでくれたのだ。
鞄に手を伸ばそうとした時、腕の中から神獣様が煙の様に消え、私の腕には赤い血の跡だけが残っていた。
神獣様の怪我は大した事ないって言っていたのに。
「神獣……様?」
「……アカリ? 大丈夫。これくらい。何の問題もない。アカリは心配性だね」
呼びかけたら何処からともなく神獣様の声が返ってきて、そっと抱き寄せられた。炎とは違う暖かな何かに全身が包まれ、耳元で囁かれる。
「でも、元の世界では魔法なんて使えません。本当は、大怪我なのではないですか?」
「気にすることはない。この身体はここでお別れだから」
「へ?」
「アカリに言っていなかったことがあるんだ。私は向こうでは、もう命が尽きた存在なんだ。だから」
身体なんて必要ないんだよ。
優しい口調で残酷なことを言う神獣様の言葉の意味に理解が追いつかなくて、何で、だって、だったら。そんな意味のない言葉ばかりが頭の中を巡っていく。
「そんなの……」
「大丈夫。空の上から見守っているから。――帰らない。という選択肢がある中、私の我儘に付き合ってくれてありがとう。アカリ」
「我儘だなんて。今からでも止めて――」
「これでいいんだ。アカリなら、それなら還らないって言うかと思って黙ってた。それに、私はこちらの世界では神獣としてしか生を得る事が出来ない。それも、異世界から巫女を招いて。それはもう繰り返したくない。だからアカリが最後の私の巫女になっておくれ」
私が最後の神獣様の巫女。なんと光栄なことなのだろう。
神獣様は眼前で微笑み私の手を握りしめてくれた。
「はい。最後の巫女だなんて、身に余る光栄です。無粋なことを聞いてしまってすみませんでした。でも、また会えるんですよね?」
「ああ。必ず会いに行くよ」
「そんなこと……」
無理なのではないだろうか。
心の何処かでは思っていた。
向こうに還れば、神獣様が神獣様では居られないのではないかって。もしかしたら、自分の記憶も、全部消えちゃうんじゃないかって。
私の不安を察したのか、神獣様は私の頭をくしゃっと撫でた。
「こちらの世界では神と名の付く獣だったのだから、それくらいできるだろう。そう信じてくれ。約束だ」
「……約束?」
「ああ。約束だ」
真っ白な光に包まれて、神獣様の顔が見えなくなっていく。頭を撫でた手は頬へと伝い儚く光へと散っていく。
でも、触れられたその暖かさだけは、いつまでも頬に熱を残し消えずに残っていた。
◇◇◇◇
「ねっ姉ちゃんっ! 姉ちゃんっ!?」
騒がしい声と共に肩を強く揺すられて、私は重い瞼を開いた。
ここは、私の部屋。
私はスーツケースを抱きしめたまま眠っていたみたいだ。
何だか、長い夢を見ていた気がする。
「ひかるぅ?」
「燿ぅ? じゃないだろっ!? どれだけ心配したと思ってるんだよっ」
「ん? 心配?」
燿の目は真っ赤で泣き腫らした跡があって、珍しく怒っている。思考を整理しようとしても、頭の中がフワフワしていて何も考えられない。
「心配するに決まってるだろっ。向こうで行方不明になったって聞いて、今、蒼井さんに探してもらってて。俺も今日、向こうに行こうと思ってたんだぞ。なのに、何で部屋に……。あんなに楽しみにしてたのに、行かなかったのかよっ。行かなかったんなら、何で教えてくれなかったんだよ」
「んん? ちょっと話が……えっと。向こうって……」
寝起きに一気に言葉を浴びて混乱していたら、泣きながら燿に抱きつかれた。こんなの何年ぶりだろう。
小さい頃に遊園地で迷子になった耀を見つけた時以来かもしれない。
「ごめん。でも、無事で良かった……」
「燿」
燿にギュッと抱きしめられて、体の感覚が戻ってくるのを感じた。この感じ……さっきまで誰かに抱きしめられていた気がする。
暖かくて優しくて何よりも大切で。
ふと、感覚の戻った右の手の平に、小石のようなものがあることに気付いた。
「これ……」
「ん? 何だそれ。卵? うずらの卵みたいだな」
ダチョウサイズの卵。
じゃなくて、小さくて可愛いうずらサイズの卵。
何でダチョウサイズの卵なんて思ったんだろう。
そんな大きな卵じゃ、大きな鳥が……産まれる?
卵を見つめていたら、ボロボロと涙が溢れ出した。
こんなに小さいけれど暖かい。
手の平に、そして胸の奥に熱を帯びていくのを感じた。
「……私、行ってきたんだ」
「は? 何処へ?」
何処って……なんて話せばいいんだろう。
神獣様の美しさは言葉で言い表し難い事だし、乙女ゲームとそっくりの世界で悪役王女になったなんて夢みたいだし。
燿は不安そうに私と卵を交互に見やり、言葉を探して戸惑う私に痺れを切らして口を開いた。
「顔、ニヤつき過ぎ。良いことがあったのは、その顔見れば分かるけど、話せるんだったら話して欲しい。何でも聞くし……」
「ごめん。何から話していいか分からなくて。少し長くなるし、夢かもしれないんだけど聞いてくれる?」
「うん。――あっ。でもその前に、蒼井さんに電話してくる。まだ探し回ってくれてるから」
慌ただしく部屋を飛び出した燿の背を見送って、私は小さな卵に視線を落とした。
「約束。守ってくれたんですね」
キュピィ。と神獣様の声が聞こえた気がした。
着ている服は何故か出発の時のままだし、本当は全部夢で、この卵も偶然かもしれない。
それでも、思い出す光景は全部リアルで鮮明に色付いている。
「姉ちゃん。お待たせっ。そう言えば、なんか食べる?」
「ううん。大丈夫。初めは質素なご飯だったけど、最後は宮廷の豪華な朝食だったから!」
「…………ん? 本当に、どこ行ってたんだよ。あー。ごめん。お腹空いてんの俺だ。昨日の残りのカレー食べながら聞く。それでもいい?」
「うん。カレー食べたい。モツ煮込みカレーだよね!?」
燿はお腹を抑えて笑い出して、それから台所へと降りていった。曾祖母の作るカレーはモツ煮込みカレーだ。階下から懐かしい香りが漂ってくる。私は卵をデスクの引き出しに仕舞い匂いに誘われるようにして階段を下った。




