008 盗人と裏切り者
ロベールの緩い雰囲気とは真逆の、重く緊張感のある陛下の声が頭上から響く。私は陛下の許しがあるまで顔を上げてはいけない。
しかし、緊急を要するような危険な状態に陥ることを防ぐ為、視界を神獣様と共有しているので、状況はよく見て取れた。これはインペリアルトパーズを持つものだけの特権らしい。
「では、今はその者が神獣の力を操れると申すのか?」
「いえ。ご安心を。彼女の声は私が封じております故、呪文は唱えられません」
「リシャール。危険はないのか?」
「はい。神獣様の力を発揮するには、神獣様のご意思と、巫女の呪文が必要です。ただ、人をひとり焼き払うくらいでしたら、巫女の力を借りずとも神獣様なら可能でしょう」
「なんだと?」
「父上、ご安心ください。念の為、神獣様には力を抑える枷をつけさせていただいております。異世界の巫女の暴力的な願いに侵されたとしても、行使することはできません!」
「そうですわ。……あら?」
クラルテはハッとして隣りにいるロベールに小声で尋ねた。陛下までは届かなかったかも知らないが、私には聞こえた。
今朝、神獣の力を借りたとは、何の話なのか? と。その時、神獣様が力を発揮したということは、枷が無意味であることを示している。
「えっと。それは……」
ロベールは口ごもっていた。自分の失態を隠す為に、クラルテには何も伝えていなかったようだ。クラルテはじっとノエルと神獣様の足に嵌められた無意味な枷をじっと睨みつけていた。
「どうしたのだ? 何か不都合な点でもあったのか!?」
「いえ。大丈夫です。今朝、神獣様のお力を借りた時は枷を外していましたので」
「む? その後に力を奪われたのでは無かったのか?」
「へ? あ、えっと。すみません。昨夜は一睡も出来ず、今朝は記憶が少々曖昧でして。なぁ、クラルテ」
「ワタクシも、この子に指輪を奪われてしまい、その時の恐怖で勘違いしたのですわ」
とりあえず危険はないと判断したのか、クラルテはロベールの服の袖を掴み恐怖に怯えるかのように弱々しく訴えかけた。
しかしネージュは、それを鼻で笑い飛ばし尋ねた。
「本当に勘違いか? 全てこじつけのようにしか聞こえんな」
「何ですって? 盗人は口を出さないでくださる?」
クラルテに盗人呼ばわりされたネージュは、ナーヤに目配せし、後方で待機していたカインさんが前へと足を進めた。
正装姿のカインさんを初めて見た。カインさんは大きな布袋を持ち、中から雅さんのトランクケースを取り出していた。
「陛下。私は盗人ではありません。カイン殿。こちらに」
「ああ」
「こちらは私が浜辺で見つけた鞄です。中身は女性用の衣服ばかりでしたので、陛下がお気に召す物はないと思い、この自動計算機を贈り物に選びました」
「鞄は二つあったのでしょう。我々は盗人ではありません。クラルテは、どうしてもテニエに傷を付けたいようです」
「おお。婚約を破棄された腹いせか?」
ネージュが提示した無実の証拠に、陛下はクラルテへ目を向け嘲笑うようにして尋ねた。
「父上、違います。クラルテは婚約破棄を歓迎しております。クラルテは私と……このロベール=ヴェルディエとの婚約を願っているのですから!」
「お前と、クラルテ=トルシュが婚約だと?」
陛下の顔から笑顔が消えた。元々はテニエの失態をネタにクラルテを自分の婚約者に押す作戦だったのに、策を全て潰されたにも関わらず口にしてしまったのだから無理もない。
クラルテはロベールを一瞬だけ睨んだ後、胸に手を当て、しおらしく訴えかけた。
「ワタクシはロベール様との婚約を願っておりますわ。兄のリシャール様に劣る面は多々あれど、ワタクシはロベール様を尊敬しております」
「お前の気持ちなどどうでも良い。そんな事より、ネージュに謝罪するのが先ではないのか?」
「謝罪? 何故ですの?」
「ほぅ。分からないのか」
陛下が諭そうとしたにも関わらず、クラルテは全く見に覚えのない顔で首を傾げている。ネージュを盗人扱いしたことなど、もう頭の片隅にもないらしい。
ロベールは悪いと思っていたのか、必死に弁解し始めた。
「父上。まさか鞄が二つ存在したなど誰が考えるでしょうか。普段からクラルテを無碍に扱ってきたネージュ殿だからこそ、そう思わせてしまったのです。これはネージュ殿の落ち度でしょう」
「そうですわ。それよりも神獣の巫女であるワタクシが、このヴェルディエと婚姻を結ぶお話の方が重要ですもの」
陛下に口答えをするなんて、クラルテもロベールもある意味ツワモノだと思った。場の空気が凍りかける中、陛下は逆に面白くなってきたと言わんばかりに笑い飛ばして言った。
「はっはっはっ。お前は巫女ではないであろう。今はそこにひれ伏す異世界の少女が指輪の所持者なのだろう?」
「父上、そうなのです! 実は指輪が外せないのです。恐らく、この娘の命を奪いさせすれば、力を取り返すことができるのです!」
「ほぉー。ロベールよ。ワシの晴れの日に、処刑を執り行うと申すのか?」
「は、はい。テニエが本物の巫女を見つけ、父上の前で処刑しようとしていると噂で聞いたのです。しかし、運良く巫女は我々の手に落ちました。これは運命だと思い、テニエではなく私がせねばと思ったのです」
「ほぉー。しかし、巫女はなぜヴェルディエに現れたのだ。我が国も総力を上げて巫女を探しておったのだぞ。如何にして入国したのだ?」
陛下は少々呆れた様子で尋ねると、クラルテはここぞとばかりに前へと躍りでた。
「この子はワタクシと共に参りました。ですが裏切られたのです。異世界の巫女は災いをもたらす。ですから、ワタクシはこの子を守るために側に置き匿ってきました。それなのに……」
「ならばクラルテ殿は、飼い犬に手を噛まれた。と言うことか?」
疑いの目を向けたままクラルテを睨む陛下の代わりにリシャール様が尋ねると、クラルテは空かさずきつい口調で言い返した。
「まぁ。失礼な方ね。でもその通りよ。だから、この子は生かしてはおけないのです。陛下、ヴェルディエに巫女を迎える為の些細な犠牲ですわ!」
「そうだったのか。確かに、トルシュもテニエも異世界の巫女を恨んでおった。クラルテはそれを鑑み、巫女を守ろうとしたのか」
「はい。ですが、この子を罰しなくてはなりません。助けたワタクシを裏切り、神獣の力を独占しようとしたのですから」
クラルテの強い言葉に陛下が納得し同意を示すと、朗らかな笑顔のままリシャール様が一歩前へ出て陛下へと進言した。
「力を独占しようとしたのは。いや。独占しようとしているのは、どちらなのでしょうか?」
「は?」
「あ、兄上? 急に何を……」
「巫女よ。顔を上げなさい。陛下よろしいでしょうか?」
「ああ。面をあげよ」
顔をあげると陛下と視線が交わった。声よりも若く、リシャール様に似た精悍な顔つきをしている陛下は、翠色の瞳に驚きの色を浮べていた。
「く、クラルテそっくりではないか!?」




