005 腹黒王子?
静まり返った広場には、数メートルの高さになる氷の塊がそびえ立っていた。ゼクスが炎を凍らせたのだ。
街の人々も足を止め、その氷を見上げ驚きで言葉を失っているが、一人だけ喧しい奴がいた。
「なななな何故、貴様がここにいるっ。アレクと帰還したのでは無かったのか!?」
「ロベール。帰還命令はアレクだけに下したのだぞ。――それより、これはなんの騒ぎだ?」
ロベールがゼクスに詰め寄ると、数名の兵士を連れたリシャール様が城門の前から声を発した。
何ともタイミング良く現れたものだ。あの騒ぎで駆けつけたのかもしれないけれど、リシャール様の屋敷は城の奥にある。もしかしたら、この騒ぎもリシャール様の策ではないだろうかと勘ぐってしまった。
「こ、これは……街の者達が悪いのです! あいつ等は楽をしようと、油を炎へ投げ込んだのです。そして炎はそこの魔導師が消し去ってしまいました」
「ほぅ。街の者に罪はない。お前が管轄した時間で起きた事故は、如何なる理由があれど、お前の罪だ」
「そんな……火が消えたことが父上に知られたら……」
「ご安心を。これは神獣様の炎。私の氷ごときでは消えません」
落胆するロベールの肩にゼクスはそっと手を添えた。
ゼクスは誰にでも優しいのだと感心してしまう。
「神獣の炎? 何故、神獣が……」
「明日は巫女を皆の前に晒すのだろう? 見苦しいままでは外には出せない。熱を下げる薬を処方したら、神獣も巫女も、私を味方だと思ったらしい」
「おお。さすが兄上。巫女も神獣も手玉に取ったと言うことですね!」
立ち直り手を握ろうとしたロベールを、リシャール様はサッと避けてゼクスに声をかけた。
「ゼクスといったな。この氷は溶かせるのか?」
「いえ。私は凍らせることしかできません。お湯をかけるか、周りで火を焚くか」
「成る程。ロベール。朝までに氷を溶かし炎を継続させなければ、父上が悲しむ。善処するんだぞ」
「は、はい!」
「ゼクス。君の魔法に興味がある。話を良いか?」
「はい」
「では、後は任せた。兵は引き上げる。街の者と協力して対処してみせよ」
リシャール様がロベールにそう言い残し、ゼクスと兵士をを連れ城へと戻って行った。
リシャール様が見えなくなると、ロベールは大きな溜息をつき、その場にしゃがみこんだ。
「はぁ。最悪だ……。くそっ、街の者共よ。湯を沸かし周りに火を焚べよ!」
「…………」
「聞こえないのか!?」
「薪はあちらに、火はその辺の松明でもお使いください」
「は?」
数名だけ残っていた街の人は松明の場所を知らせると、全速力で走り去り、広場にはロベールだけが残されてしまった。
「ま、待て! 一人にするな! おいっ。おーいっ」
広場にこだまするロベールの虚しい掛け声を背にアレクは苦笑いを浮かべて言った。
「うわぁ。街の人達に逃げられてるよ。さてさて、面白いものも見たし、部屋へ戻りましょうかね」
◇◇
リシャール様の屋敷の談話室にて、私達はお茶に招待された。
リシャール様は紅茶をひとくち頂くと、穏やかに言った。
「ロベールは今頃焚き火でもしているだろうか」
「やはりリシャール様の謀なのですか?」
「いや。いちいち薪を焚べるなど面倒だから、ロベールなりに知恵を絞って行ったものだ。まぁ、何をしようとしているのか、小耳には挟んでいたが。――明日、陛下にこってり絞られるだろうな。楽しみでならない」
「なぁ。リシャール様は正統派王子じゃなかったのか?」
ノエルはリシャール様の笑顔を見て顔を引きつらせながら私に言葉を振った。
『トルシュの灯』では、ヴェルディエの王子は確かに正統派王子だった。でも、国民にも信頼されるリシャール様は、身内の扱い以外はまともな気がする。
「ええ。でも――」
「もはや、腹黒王子だな」
答えようとしたらアレクに先を越されてしまった。リシャール様は面白がっている様子で安心したけれど、ゼクスは納得していなかった。
「そんなことないですよ。身内には厳しいみたいですけど、民を案じ、民に慕われる良い王子ではないですか」
「ゼクス。リシャール様に魔法の腕を褒められて懐柔されたのか?」
「だから、違いますよ。街の人々と手を取り踊る王子様なんて素敵じゃないですか」
アレクはチラッと私を見てから、ゼクスの言葉に頷いた。
「そうだな。どんなに踊りが下手な相手でも、誰とでも分け隔てなく手を取り踊る姿には正直驚いた。ヴェルディエは良い国だな。と思ったよ」
「ふん。トルシュでもヴェルディエでも、耳やら尻尾やら物珍しそうに見てきて疲れる」
「ノエルはトルシュでも人気者だからな。ヴェルディエでもすぐそうなれるぞ」
「別になりたくない」
リシャール様の言葉をノエルが否定すると、ゼクスはそのやりとりを微笑ましそうに見て呟いた。
「トルシュの人も、ヴェルディエの人も、良い人ばかりで、森から出られて本当に良かったと、思っています」
「良い人ばかり……か。ロベールが目障りだが」
「それを言ったら、君のお姉様も目障りだぞ。まぁ同意見ではあるが。しかし、今日の一件でロベールは民の信頼を完全に失い、父の生誕の儀に泥を塗った。首の皮一枚で繋がってる状況だな」
「オレ、兄者が兄で良かった」
アレクとリシャール様の掛け合いを聞き、ノエルがボソッと呟くと、リシャール様は前のめりで応えた。
「ノエルの様な仔猫が弟なら大歓迎だぞ。私だって弟を邪険に扱うなどしたくない。しかし、この様な立場で生まれた以上、兄である私が導いてやらねばならぬのだ。何度も手を差し伸べて道を示してきたのだが、そろそろ己の身を持って知るべき時が来たのだ」
「そうか。姉様に伸ばした手は、一度も握ってもらえたことなど無かったな。……いつしか手を伸ばすことすら、しなくなってしまった」
アレクは姉との関係を省みて、後悔している様子だった。
『トルシュの灯』でも、悪役王女については深く語られていない。悪役だからそうなのだと、私自身考えもしなかった。本人を目の前にした今でさえ、彼女を知ろうという考えには及ばなかったけれど、それではいけない気がして、気付いた時にはアレクに向かって口を開いていた。
「もう一度、手を伸ばしてみたら?」




