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003 婚約者(ノエル視点)

 停泊するテニエの船へ兄を尋ねると、部屋へ通された。

 オレは兄に誘われるがまま、久方ぶりの朝食を共にすることになった。


 朝食はテニエの朝食の定番料理の蒸かした芋と魚介スープだ。トルシュでまともな物を食べられるようになったのはつい最近。慣れ親しんだ香りに自然と手が進む。

 しかし兄者は食事に手を伸ばさず、珍しく落ち着かない様子でオレを見据えていた。


「ノエル。俺はトルシュの王女との婚約を破棄することに決めた」

「へ?」

「もう必要のないことだ。それに、クラルテ=トルシュは、本物の悪役王女だそうだからな」


 兄者はフッと微笑んで言った。そこには何が別の決意を感じた。


「そうですか。実は今日、こちらにクラルテの妹が来るそうです。姉のクラルテは、偽物の巫女を捕らえた兄者を笑い者にし婚約を破棄するつもりで、妹はそれを兄者に知らせて自身の株を上げ、兄者と婚約したいそうなのです」

「……ふっ。俺と婚約だと? 変わった人間がいるものだな」


 兄者は満更でもない様子で……。これって、もしかして。


「こっ、婚約を受けるおつもりではないですよね!?」

「そのことで、話しておくことがある」

「へ?」


 兄者は畏まった様子で咳払いし、思いもよらぬことを口にし始めた。


 ◇◇◇◇


 昼下がり、兄者は船上にテーブルを用意し、明日の生誕祭の為に緑の旗やリボンで飾られた街を見ながらお茶会を開こうとしている。

 それはもちろんレナーテが来るからだ。レナーテは大事な話があるので、お茶の時間に訪ねたいと使者を遣わせてきていた。


 レナーテの為に、兄者はお茶会なんてしたこともないのに、ミヤビさんに手伝ってもらい準備を進めた。

 テーブルにはカップが三つ。兄者の大好物のパンケーキに、テニエで採れたフルーツや、出店で買った菓子が並んでいる。


 そして、レナーテは予定通りの時刻に現れた。


「まぁ。ネージュ様が用意してくださったのですか?」

「ああ。おかしいか?」

「いえ。嬉しいですわ」


 レナーテはテーブルと兄者を何度も見比べて、喜び勇んで席へとついた。


 オレはうるさいおっさん。……じゃなくてカインさんと一緒に物陰から様子を窺っている。


「ノエル。やっぱり俺は納得いかねぇな」

「しつこい。兄者の決めたことだ。黙ってみていればいい」

「だけども……」

「嫌なら船室で寝てればいいだろ」

「そんなことしてて、もしも――ぅおぅ……似合いすぎだ……くそっ」


 カインさんは船上に現れたミヤビさんを目にすると、顔を隠してしゃがみ込んでしまった。

 よし。このまま静かにしていてくれることを祈ろう。


 兄者に手を取られ船室から現れたのは、黒い三角の垂れ耳を頭から生やし、背中に長く先の丸い黒い尻尾を揺らすミヤビさんだった。

 黒いドレスが大人っぽくより女性らしさを際立たせている。


 あれは兄者の使い魔の力を憑依させた状態だ。

 ミヤビさんの思いつきでこうなった。


「ね、ネージュ様。その獣人は、どなたかしら?」

「彼女はナーヤ。俺の幼馴染だ」

「幼馴染……。わ、私はトルシュの王女ですのよ。貴女はどこの姫様かしら?」


 お。第一声からマウント取ろうとしてる。

 ナーヤことミヤビさんは、悪意のあるレナーテの言葉に動じることなく言葉を返した。



「私はテニエの姫になるの。あ、姫とは言わないかしら。次期王妃? それとも」

「ななな何を言っているの!? それじゃあまるでネージュ様と……」

「そうだ。俺はナーヤを妻に迎えるつもりだ」


 ミヤビさんの肩に手をかけて引き寄せ、兄者は断言すると、隣りにいたカインさんが目を開けたまま放心状態に陥った。因みに、ナーヤは実在する黒猫の獣人で、オレ達の再従妹であり幼馴染で、兄者が心を許す数少ない女性の一人だ。


「そ、そんな。ネージュ様は、お姉様と」

「婚約は破棄だ。ノエルからクラルテの話を聞き、テニエにトルシュの人間を入れるなど危険だと判断した」

「ノエルは、自分だけ認められないからって、ある事ない事漏らしているだけですわ!」

「貴女、ノエルを愚弄するの?」

「へっ?」


 ミヤビさんの鋭い言葉と瞳に、レナーテは言葉を失っていた。

 怯んだレナーテに追撃とばかりにミヤビさんは兄者に言葉を重ねた。


「ネージュ。やはりトルシュの人間はこの程度。奴隷すら務まらないのではなくて?」

「どっ奴隷ですって!?」

「人間なぞ、所詮それしか務まらぬだろう」

「ね、ネージュ様の奴隷なら……大歓迎ですけれども。私は――」

「まだ分からないのか?」

「えっ……」


 兄者の言葉に戸惑いを見せるレナーテに、ミヤビさんは溜息をついた。


「はぁ……。ですから、その程度の知能しかないからネージュに名前も覚えてもらえないのよ。早くお家へ帰りなさい」

「な、なんですって!? ネージュ様っ。こんな失礼な物言いの女にネージュ様の隣なんて務まりません。私の方がっ」


 レナーテは兄者の冷めた瞳を見て口を噤み、瞳からボロボロと大粒の涙を流した。やっと兄者に求められていないことが分かった様子だ。


「床が汚れた。片付けておけ。ミーヤ。邪魔者はお帰りだ。君の好きな物を用意したぞ」


 ネージュが兵に命を下し、ナーヤをミーヤと呼び間違えた時、呆けていたカインがやっと意識を取り戻した。


「ハッ!? あ、あいつミヤビの肩にっ。――オラァァァっ。テメェ、いい加減にしねぇと」

「きゃぁぁぁぁっ。嫌っ。来ないでっ。自分で歩けるわっ。触らないでっ」

「は?」


 突然目の前に現れた赤髪のおっさんに叫び声を上げたのはレナーテだった。レナーテなど全く眼中に無かったカインさんは、また驚いて固まってしまった。


「こんな仕打ち、酷すぎますわっ! 私はネージュ様の側にいたかっただけなのに。だから」

「姉を手に掛けようとし、そして今も裏切ろうとしているのか? 身内を欺き陥れようと奴を、俺は一番軽蔑する。二度と顔を見せるな」 


 兄者の威圧をまともに受け、レナーテは立つこともままならないまま震え泣き、テニエの兵士に引きずられていった。


 レナーテが見えなくなると、兄者はミヤビさんの肩から手を離し一歩距離をとった。カインさんへの配慮だろう。


「カイン殿。終わったぞ」

「はっ!? み、ミヤビっ。大丈夫かっ!?」


 駆け寄るカインさんに、ミヤビさんは猫耳に手を添え、尻尾を振って無事をアピールして言った。


「どこをどう見たら大丈夫じゃなく見えるのかしら? 猫耳嫌い?」

「いや。大好きだ!」

「ふふっ。じゃあもう少しこのままでいようかしら? ネージュ、いい?」

「別に俺は構わないぞ」

「んなこと言って、ミヤビに惚れたりしない保証あるか?」

「ああ」

「ネージュは本当に幼馴染のナーヤさんって言う黒猫さんをお嫁に迎えたいのでしょう?」

「お。そうだったのか? んだよ。それも言っておけよ」


 カインさんに背を叩かれると、兄者は俺に目を向け微笑んだ。


「ノエルに確認を取っていなかったからな」

「へぇー。それは大事だな。……ん? そういやノエルは何のために来たんだ?」

「別に、用は済んだ。ついでに面白いものも見れたな」

「何を言っているのかしら。本番は明日でしょ?」


 ミヤビさんはヴェルディエ城を見据えて言った。

 本番は明日。その通りだ。

 明日はあのクラルテ=トルシュを欺き、あいつを……神獣様の願いを、叶える日なのだから。



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