020 リシャール=ヴェルディエ
朝、目が覚めると獣型の神獣様がオリーブの実をつついていた。昨夜、人型は疲れるので来客まで力を温存すると仰っていた。やはりずっと人型で過ごすのは相当な魔力を使うらしい。
でも、昨日はいい夜だった。
神獣様が千年前に召喚された時の話を聞かせてくれたり、その時の活躍が書かれた本を読んでくれたり、指輪の宝石に込められた意味を教えてくれたり。
それに、ミヤビさんが無事だって分かったから、安心して神獣様グッズを目に焼き付けることに専念できた。しかも、本人付きなのだから、もう幸せ過ぎ。
窓から見上げた星空は……。あれ? 星空は星空でも、神獣様の瞳に映った星空しか見ていなかったな。
私がボーッとしていると、神獣様は嘴でつついて私に菓子を勧めてくれた。こっちは変な薬が入っていない方だ。
「ありがとうございます。いただきますね」
「キュピィ~」
神獣様はご機嫌な様子で声を上げると、本棚の奥へ飛んでいってしまった。そして、それと同時に二重扉の一枚目が開く音がした。ノエルだろうか。しかし扉はノックされることなく、ガチャリと開錠する音が聞こえ開かれた。
「ん?」
「へ?」
一瞬ロベールかと思ったけれど違う。
衣服は似ているし、髪色も鮮やかな金色だけれど、短髪のロベールと違い、前髪を上げ、サイドで編み込まれた髪は肩まである。それに、翠色の瞳は精悍ながらも穏やかさを兼ね揃え、パッと見ただけで、良く似たロベールとの格の違いが伝わってくる。
私とクラルテを比べたら、きっと同じような印象を受けるだろう。
彼はきっと、いや絶対。
この国の第一王子リシャール=ヴェルディエだ。
「巫女……様?」
「あ、えっと。は、初めまして。わ、わたし……」
戸惑いながらも真っ直ぐに見つめられて問われたものの、自分を何と自己紹介すべきか正解が分からなかった。
「アカリ、大丈夫?」
「あっ。神獣様っ」
「おおっ。人型だぁ~」
本棚の奥から現れた神獣様を目にすると、リシャール王子は急に少年のような笑顔で感嘆の声を漏らした。
「リシャール。……でいいか?」
「はい。神獣様。――それから、巫女様。私はリシャール=ヴェルディエと申します。今後はリシャールと呼んでください」
今までであった誰よりも王子らしく跪き、私の手を取りリシャール様は微笑んだ。
『トルシュの灯』のヴェルディエの王子が目の前にいる。
正統派イケメン王子。その言葉に違わぬ方が存在している。
「は、はい。私は……」
「アカリ。ウサキ、アカリだよ」
「アカリ様ですか。まさかこんなところでお会いするとは。弟のご無礼をお許しください」
「いえ。でも私のこと……」
神獣様は私をアカリと紹介して、リシャール様もそれをすんなりと受け入れてくれた。神獣様とリシャール王子は文通友達か何かなのだろうか。神獣様は、私といらっしゃらない時はノエルと過ごしていたはずだし、ノエルはヴェルディエを嫌っているから、こっそり会っていたことも無いはずだ。
こんなキラキラした人なら目立つし、ひと目で分かるだろうし……。
私の内心を察したのか、リシャール様は優しく微笑むと友好の証へと歩み寄った。
「アカリ様のことは、色々存じていますよ。あ、友好の証。これを取りに来たんです。でも、この部屋なんか変な匂いがしますね。ん? この菓子のせいですね。部屋、移動しましょうか?」
「そうだな。ここはベッドがない」
「ははっ。クッションもないですね」
イケメンな二人が笑い合っている。
しかも息ぴったりで。
「リシャール様は、神獣様がクッション好きな事もご存知なのですか?」
「え? はい。止まり木と台座のクッションはこだわりの品だと、ダンテさんから調査済みです」
「ああ。ダンテさんから……。調査済み?」
そう言えば、昨夜神獣様はリシャール様が国に戻ったらと仰っていた気がする。
もしかして、トルシュにいた?
でも、どこに?
「うーん。寂しいものですね。こうすれば分かりますか?」
リシャール様は前髪をくしゃっと乱して額を隠し、胸元から出した眼鏡をかけ咳払いした。
「どうです。巫女様。えっ。これでも無視とかしちゃいます? そんなに存在感ありませんでしたかね。結構傷つきますね~」
「えっ。この話し方……。ろ、ロイさん?」
「そうですよ。神獣研究家のロイです。国外でだけですけどね」
「ええー」
あの眼鏡は魔法の眼鏡かしら。
掛けた瞬間に見事に王子様オーラが消えてしまった。
リシャール様は眼鏡を外すと髪をかき上げながら部屋を見渡し、私へ向き直った。
「神獣様推しのアカリ様には、ここは天国かもしれませんけど、客人が寝泊まりすべき場所ではありません。私と共にいらしていらしていただけませんか?」
「ど、どこへですか?」
「はははっ。朝食でもご一緒にと思いまして。それに、神獣様の願いを叶えるために私達は友好関係を深めないと」
顔の横で友好の証をチラつかせ、ロイさん……じゃなくてリシャール様は不敵な笑みを浮かべた。
◇◇
案内された部屋は、先程いた棟よりもっと奥まったところに佇むリシャール王子専用の屋敷の客室だった。
今は人型の姿なので必要ないけれど、神獣様の止まり木もあるし、上質そうなクッションもある。朝食はサンドイッチとオリーブオイルやオリーブの実も山のように用意されていた。
「遅くなってすみませんでした。本物のクラルテがこうも早く行動を起こすとは思わず。彼女は何者にも成らず生きてさえいられれば良いだけなのかと勘違いしていました」
「もしかして、クラルテがヴェルディエにいることをご存知だったのですか?」
「はい。ロベールは気付いていませんでしたが、愛人を匿っていることは城の誰もが知っていました。まぁ、愛人自体は絶やしたことのない奴なんですけど、今回は昼間だけ通っているから……」
リシャール様の話の途中で神獣様が私の耳をそっと塞ぎ、その行動に対して首を傾げたリシャール様へ言った。
「あんまりアカリに聞かせたくない話だな」
「失礼。とにかく、ロベールを見ていれば欲しかった物を手に入れたのは一目瞭然。時期的に見てもそれが誰かは直ぐに分かったので。さてさて、愚弟の話はこれぐらいにして、良かったら召し上がってください」
「はい。頂きます」
神獣様と一緒である意味お腹はいっぱいだったけれど、サンドイッチを目にしたら急に空腹に気付いた。
緊張しつつ、ひと口食べてみると、お肉がパストラミ風で物凄く美味しかった。
「沢山あるので、好きなだけどうぞ?」
「ありがとうございます」
「ははっ。でも良かった。ちゃんと会えて」
「へ?」
「これでやっと亡きお祖父様の無念が晴らせる。お祖父様はずっと後悔していたんだ。五十年前、巫女を引き止めてしまったことを」
「そうだったんですね」
「ああ。そして、神獣様の事も」
リシャール様は神獣様へ申し訳無さそうに視線を伸ばし、神獣様は穏やかに笑ってそれに応えていた。
「みんな忘れてしまったけれど、神獣について記した書物を保管していたヴェルディエだけは、私を知っていてくれた。感謝するよ。リシャール」
「身に余るお言葉です」
二人の間には確かな信頼関係を感じた。
私もあんな風に神獣様に見つめられたら……。
「それで、今後の事なんだけど……。クラルテは、アカリから自分の存在を取り戻して、ロベールの正妻の座に付きたいようだ」
「へぇー。そうなんですかー」
「ロイさ……じゃなくて、リシャール様。感情が一切こもっていないのですが……」
「ははっ。そうですか? でも、嫌だな。あの人が妹になるなんて」
あれ。リシャール様、顔は笑っているけど目が笑ってない。何か、怖っ。
「それと、君の弟のロベールは、アカリを亡き者にして神獣の指輪を奪い、クラルテを巫女にして妻に迎えようとしているよ」
「ほぅ。その話、詳しく教えていただけますか?」
何か、リシャール様が怒ってる?
この人、一番敵に回したくない人かもしれない。




