015 クラルテ=トルシュ―2
神獣を召喚したワタクシは熱にうなされ、目を覚ました時には記憶を失い、異世界の巫女に体を乗っ取られてしまっていた。
そして今度は、その逆をするの。
巫女であれば皆から大切にされる。
ワタクシはワタクシとしてそうなるの。
体温を一定期間上昇させる薬を飲んで私は医務室のベッドに横になった。
あの時の様に高熱を出し、それをアレクに知らせて、目覚めた時にはあの子の人格が消えてしまったことにすればいい。
アレクはどんな顔をするかしら。
身体が熱くなってきた時、医務室の扉がバタンとうるさく開き、懐かしい声がした。
「ね、姉様っ。……えっ。火傷ではなかったのですか!?」
「クラルテ様……」
アレクがベッドにかけより私の手を握る。
ワタクシを慈しむような目を向けて。
その後ろにいるのは宮廷魔導師のゼクスだろうか。
二人共心配そうに私を見下ろし、アレクはワタクシの頬に冷たい手を添えた。
たかが火傷でここまで飛んできたのだろうか。
光熱のことはまだ知らせていないのに。
あのアレクに限って、そんな事はありえない。
「長旅で疲れたのですね。あ、神獣様は……」
ワタクシがレナーテへ目を向けると、アレクはレナーテに駆け寄り神獣様について尋ね、ワタクシの手を今度はゼクスが握った。
「クラルテ様。申し訳ありません。怪我なら治せるのですが、熱を下げることは出来ないのです」
悔しそうに頭を垂れ、ゼクスは額に置かれた布を水で濡らし、絞り直してくれた。
まるでお姫様扱いだわ。本当にお姫様ではあるけれど、ワタクシはこんなことをされたことがない。
やっぱり巫女は特別なんだわ。
あの子に押し付けるんじゃなかった。
そうすればワタクシは今頃……。
暫くすると仔猫も医務室へ戻ってきた。
私は薬を服用した為、既に熱は下がっていたのだけれど、アレクが高熱で倒れたと説明すると動揺していた。
でも、私の額に触れるとホッと頬を緩め安心している。
それから仔猫は、ネージュが捕らえた異世界の巫女についてアレクに説明していた。ネージュは異世界の巫女を解放してくれるとか話しているけど、本物は私の身代わりをしていたのだから、そんなのどうせ偽物。ネージュはそのことに気付いたのかしら。ネージュの拾ってきた女をどうやって偽物だと明らかにしてやろうか楽しみにしていたのに、残念だわ。
でも、横になっているのも飽きてきたわね。
お昼寝は好きだけど、起きているのに目を瞑っているのは疲れたわ。
そっと瞳を開けると、ダークブルーの瞳と目が合った。
「クラルテ様っ。お加減はいかがですか?」
「……ゼクス?」
「姉様。ミヤビさんの件は大丈夫だそうです。安心してください」
「……ミヤビですって?」
「えっ?」
ワタクシと目が合うとアレクから笑顔がサッと消えた。
ミヤビを知らないのが不味かったのか。
しかし、ミヤビとは誰のことだろう。
ダンテの報告にも無かったのに。
ワタクシはアレクの視線を阻むように、額を手で覆い隠した。
「頭痛がするわ。部屋で休みたい」
「大丈夫ですか? ヴェルディエの方に部屋が何処か聞いていますね」
「ゼクス。ヴェルディエ城は不慣れですよね。レナーテ、付き添ってやってくれ」
「どうして私が?」
「姉様の為だ。なるべく日の当たる風通しの良い部屋を頼んできてくれ。早くしろ」
「分かりましたわ。ゼクス、行くわよ」
「はいっ」
二人が出ていくとアレクはワタクシの手を取り視線を合わせた。
「大丈夫ですか。起きれますか、姉様?」
「ええ」
アレクに手を引かれ、背中を支えられて身体を起こす。ワタクシを毛嫌いし、触れることすらしなかった弟なのに、巫女だとこんなにも態度が違うのか。
アレクへと視線を伸ばすと、瞳の奥を優しく覗き込まれる。
そしてアレクは一瞬微笑んだ後、無機質な視線をワタクシへ向けた。
「あの。アカリはどこですか?」
「…………なぜ聞くの?」
「貴女がアカリじゃないからですよ?」
「おい。アレク。それってどういう意味だ?」
仔猫の鳴き声なんて軽く無視して、アレクはワタクシから目を離そうとしなかった。アレクはワタクシだと気づいたみたい。でも、自分で明かす前にバレるのは癪に障るものね。
「どうして、ワタクシがアカリではないと思うの?」
「目付きと声色ですよ。目が合っただけで、吐き気がしました」
「随分な言いようね」
やっぱりアレクは駄目ね。
他人には当たり障りなく接する癖に、ワタクシに対してはいつも冷たい。それは巫女だとしても変わらないのね。
「姉様。アカリはどこですか?」
「…………アカリは、ここにいるわ。多分だけど」
胸に手を当てそう告げると、アレクはキツくワタクシを睨み返した。
ああ。懐かしい。
やっぱりアレクはこっちの顔の方がしっくりくる。
でも、どうしてか胸が痛む。
さっきまで、アレクらしくない優しい顔をしていたからかしら。
「嘘をつくな。どこかに隠したのか? 神獣様はどこにやったっ!?」
「痛っ。ワタクシが痛いとアカリも痛いのではなくって? ワタクシはアカリを通して見ていたのよ。全てではありませんけれど」
アレクはワタクシではなく、おそらくアカリを想って手を離し、先程よりも冷静に尋ねた。
「嘘は止めてください。神獣様が姉様の魔法を解いて、瞳の色を戻してくれました。アカリはアカリの筈なんです。貴女とアカリは別々の人物です」
「アレク。こいつが、本物のクラルテ=トルシュなのか?」
さっきまで優しかった仔猫の瞳まで、冷たくワタクシを見つめていた。どうして、こんな扱いを受けなくてはならないのかしら。ワタクシはワタクシなのに。
「はい。姉のクラルテです。トルシュでダンテに囲われているのかと思っていましたが、まさかヴェルディエにいるなんて思いませんでしたけど。今更出てきて何がしたいんですか?」
「……クラルテ=トルシュはワタクシよ。今までも、そしてこれからも」
「違う。トルシュを救ったのも、神獣様の巫女を努めたのも姉様じゃない。アカリをどこへ隠したっ!?」
「…………だから、ここだって言ってるでしょっ!?」
胸に手を当て言い放つも、アレクは一歩も引き下がる様子はなく、もう一度ワタクシの肩へ手を伸ばした時、扉が開きレナーテが戻ってきた。しかも、ロベールを連れて。
「アレク。ロベール様が……。お、お姉様に何をしているのっ!?」
「別に。……レナーテ。姉様はロベール殿とは合わないと思うのだが、他の方はいなかったのか?」
アレクはロベールが嫌いだ。初めて二人が顔を合わせた時、アレクの黒髪を褒めて触れようとしたロベールの手を叩き落としてから、二人は犬猿の仲だ。
「はははっ。アレクは相変わらずだな。義兄に対して失礼だぞ」
「は? 義兄だと?」
「そうだ。クラルテをテニエになどくれてやるものか。初めて出会った日から、彼女は私のモノさ」
「ロベール。気持ち悪いわ」
「おおっ。気分が悪いのかい?」
「気持ち悪いのは貴方のことよ。――でも良いわ。アレクといるよりはマシ。早く部屋へ案内なさい」
「ああ。とびきり豪華な部屋を用意させよう」
「当たり前よ」
本当にロベールは調子のいい奴だわ。
私とロベールの会話を聞いて、アレクは呆れたように深くため息をついた。
「近づくことも避けていたロベールと、どこへ行くのですか? もしかして、神獣様を召喚された後、姉様はロベールとヴェルディエにいたのですか?」
「何を言っているの? アレク。今の貴方が彼以下だから、ワタクシはロベールについていくの。ただそれだけよ。認めたくはないでしょうけど。そんなに不審がるなら見張りでもつければ?」
「それなら私がお姉様に付き添いますわ」
「勝手にしてください」
「ふんっ。では、ごきげんよう」
アレクは信じたかしら。まぁ、どちらでもいいわ。
どうせヴェルディエで自由に動けるはずがないのだから。
部屋を出てすぐワタクシはロベールに耳打ちした。
「あの子。もういらないわ。今すぐ消して」
「アレクを?」
「違うわ。あの子よ。――異世界の巫女のことよ」




