014 議論と結論(ノエル視点)
兄者の前にいる捕虜は、足枷も手枷も何も付けず、平然としている。
「兄者。本物の巫女は捕虜なのでは……?」
「ああ。昔の巫女についてミヤビと議論を重ねたのだ」
「議論?」
俺の疑問に頷きながら、兄者は瓶に入った蜂蜜をこれでもかとパンケーキに掛け始めた。
「そうだ。俺とミヤビは、神獣様の意志に従う。と結論付けた」
「神獣様の意志?」
「ああ。もしかしたら、裏切ったのは巫女ではなく、我々だったのかもしれないからな」
「は?」
「ねぇ。冷めちゃうけどいいの? バター溶けなくなっちゃうわよ。蜂蜜かけ過ぎだから。ふふっ。欲張りなんだから」
「だから笑うなっ。先にバターを乗せることを言わなかったミヤビが悪いのだ」
さっき扉の前で聞こえてきたのと同じ、女の笑い声。
聞き間違いでは無かったようだが、兄者の前で笑う捕虜なんて初めて見た。
「蜂蜜に目がくらんだネージュが悪い」
「くそっ」
「大丈夫よ。今ならまだ、パンケーキの間にバターを挟めばちゃんと溶けるから」
「なにっ」
いそいそとバターをパンケーキに挟む兄者。
何か可愛い。じゃなくて何だこの状況は!?
兄者がパンケーキを頬張る姿を満足そうに見守ると、女はオレへと目を向けた。
「あ。えっと……名前、何だっけ?」
「ノエルだ」
「そうそう。ノエル! あのね。簡単に説明すると、巫女の意志だけで異世界へ帰ることができるのかって話になって、やっぱり、神獣様の意志がないと出来ないって結論に至ったの。だから、五十年前巫女を送還させたのは神獣様。巫女は何も悪くない」
「俺は憎む矛先を間違えていたようだ」
あんなに巫女を憎んでいたのに。
兄者は捕虜との議論で憎むべき他の対象を見つけたのだろうか。でも、それは一体誰だ? 兄者が平然としているということは、ヴェルディエだろうか。
「テニエが許せないのは神獣様が卵になってしまったことよね。これは神獣様が望んだことなのか。……でも、友好の証が残されたってことは、また巫女が必要ってことになるから、巫女を送還したのに矛盾を感じる。そうは思わない?」
「あ、ああ」
「だから、神獣様が卵になったのは、この世界の誰かの仕業ってことで話は進んだの」
「誰かって、誰だ?」
「それが分からないの。神獣様が分かっていて巫女の為に自身を卵にしたのか。神獣様の力が邪魔で敵対する国によって封じられたのか。それか巫女を失ったことへの腹いせか」
「結局分からず詰んだ」
詰んだと言う割に、兄者は落ち着いていた。
オレの知る兄者は、いつも何かを欲する飢えた獣の様だったのに、この捕虜は兄者に何をしたのだろうか。
捕虜は自信満々に兄者に尋ねた。
「でも、巫女が悪くないって事は証明できたと思うのだけれど?」
「そうだな。巫女には召喚の力は無い。もっと言えば、神獣様に強制的に魔法を使わせる力も無い。守り人なら知っていて当然の知識ではあるが、テニエは神獣様を守れなかったことを、巫女のせいにしたかっただけだったのだろう」
それはオレも分かっていた。でも、神獣様なら自身のことより巫女を優先するんじゃないかとも思った。だから、巫女の帰還は、巫女と神獣様、双方の意志なのではないかと。
でも、またそれを繰り返して、何になるのだろうか。
「では、もし本物の巫女が異世界って所に帰りたがって、神獣様がまた卵になってしまうとしたら、兄者は送還を許しますか?」
「……守り人であるなら、神獣様の望みを叶えるまで。その選択に、自身の心を置いてはならないぞ」
「神獣様は、帰るべき場所に帰るのは当然だと仰ったんです。これって――」
「勘繰るな。ノエル」
「えっ?」
「聞けばいいじゃない。神獣様に」
捕虜が当たり前のように言い、兄者もそれに頷き同意を示した。
「俺とミヤビは、神獣様の意志に従う。と結論付けた。初めに言ったぞ」
「でも、俺は巫女にも神獣様にも信頼されてない」
「そうなのか? 守り人失格だな。ミヤビからは、少なくともアカリは、お前を信頼していると聞いたぞ」
「ついさっきまで、アカリって名前すら教えて――あ、兄者。アカリの事もご存知なのですか?」
「ああ。ミヤビは全て話してくれた。アカリの事も、アカリの家族のことも」
「アカリの家族?」
「そうよ。アカリちゃんには弟がいるの。でも、両親はいないから、今ひとりで待ってると思うの。唯一の肉親である姉のことを」
「……弟」
あいつに弟? それも他に家族はいないのか。
そんなこと、考えもしなかった。
この捕虜の女は、あの一晩の船上で、あいつとそんなことまで話をしたのか。そんなに信頼できる人物なのだろうか。
まぁ、兄者の顔を見れば分かるけれど。
「神獣様なら五十年前の事も、知っているかもしれない。ノエル、聞いてこい。ミヤビと賭けをしているのだ。誰が神獣様を卵にしたのか」
「よろしく。ノエル」
「賭けって……。兄者、この人、どうするおつもりですか?」
「赤髪の賊のところに送り届けてやる。俺は短気でな。捕虜にした巫女に死を願われ、陛下の生誕祭まで待てずに処分してしまったのだ」
「そう……ですか。あいつ、喜ぶと思います」
「早く知らせてあげて。それから、賭けの結果もちゃんと聞いてきてね」
「分かった」
兄者が笑顔でオレを送り出してくれた。
あんな顔、初めてだ。いつもの何倍も足が軽く感じる。
でも、神獣様はオレに話してくれるだろうか。
そう言えば、兄者とミヤビさんは誰に賭けたんだろう。
聞いておけばよかった。
船を降りると、カインさんが物陰からこちらを見張っていて、俺に気づくと手招きしていた。
「おいっ。ミヤビに会えたか?」
「ああ。多分、カインさんも会えるので、今から兄者に会って来れば良いかと」
「は?」
「オレ、早くあいつに伝えたいんで。あ、誰に賭けたかだけ、聞いておいてください」
「……は?」
「じゃ」
「えっ。おいっ」
オレはカインさんの言葉を無視して城へと走った。




