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013 甘い香り(ノエル視点)

 あいつがオレの手を叩き落した。

 そんなに嫌われることしたか?

 妹の前だかなんだ言ってたけど、何なんだよ。

 神獣様はさっきもオレを避けていたから理解できるが、神獣様よりも自分の怪我を優先するなんてあいつらしくない。


 悶々と考えながら脇目も振らず廊下を突き進んでいると、前方から声をかけられた。


「ノエル殿? クラルテ様はどちらですか?」

「ゼクス? 何でこんなところにいるんだ?」

「あー。狩りとか苦手で、早退しました。それで、クラルテ様は……」


 確かに、森育ちと言っても、生き物のいない呪われた森で育ったゼクスに狩りは出来そうもない。


「あいつなら、医務室だけど」

「な、なにかあったのですか?」

「ちょっとした火傷だそうだ」

「なぜ付き添われないのです?」


 慌てふためいたゼクスは、急にオレの顔を見つめて尋ねた。そして、無意識のうちに弾かれた手を握っていたオレに、ゼクスは、もしかして、と言いながら詮索するようにオレの顔を覗き込んだ。


「喧嘩ですか? クラルテ様にも色々とご事情があるのでしょうから、拗ねちゃ駄目ですよ」

「す、拗ねてなんか……」

「クラルテ様のことを一番近くで守ってこられたのはノエル殿なのですから、周りに遠慮することなんてしなくていいんですよ」 

「遠慮?」

「はい。そばにいたければいるべきです。いつまでご一緒できるかなんて分からないのですから。あっ、それとも、テニエの船がヴェルディエに着いた知らせを聞いてここにいたのですか?」

「な、なんだと? それを早く言えよっ。兄者に会ってくる」

「はい。クラルテ様のことはお任せください。アレク様に直ぐに伝えてまいりますので」

「ああ。頼んだ」


 兄者がもうヴェルディエに着いているとは驚いた。ヴェルディエを敵対視しているから、生誕祭ギリギリで来ると思っていたのに。


 港へ向けて足を急いだものの、オレは兄者に会って何を話すのか決めかねていた。

 レナーテが言ったようにあいつが異世界の巫女で本物だって言えばいいのか。それとも、ミヤビって奴の安全を確認して解放してもらえるように兄者を説得すればいいのか。


 港へ行くとテニエの船が停泊していた。

 兵士に尋ねると、兄者は中で捕虜へ尋問中だと言う。


 捕虜ってミヤビって奴の事だよな。

 尋問中は気が引けるが、助けてやらないと。

 ……あ、オレ。助けてやりたいんだな。 

 兄者の部屋の前で自分の気持ちに気付けて良かった。


 一度深呼吸してからノックしようとして、中から漏れ聞こえる女性の声に耳を疑った。

 兄者は捕虜を丁重に扱う。だけど……。


「ノエル。いるなら入れ」

「は、はい。失礼します」


 扉を開けると甘い香りがした。パンケーキは兄者の好物であるが、ひとりの時にこっそり楽しむ秘密の趣味のはず。

 恐る恐る中へ目を向けると、積み重ねたパンケーキを挟んで、テーブル越しに見つめ合う兄者と女の姿が見えた。


「ノエル。紹介しよう。捕虜のミヤビだ」

「お邪魔してます」

「は? な、何をしているのですか?」

「パンケーキにバターと蜂蜜を乗せると大変美味であることが判明した」

「へ?」


 兄者はいつも通りの真面目な顔で不思議な話を始めた。


「ミヤビの世界にはトルシュを舞台としたゲームがあるそうだ」

「はい?」

「そこに描かれるテニエの王子は甘党らしい」

「……え?」


 ゲーム? テニエの王子?

 一体何の話なのか、さっぱり分からなかった。

 パンケーキを見つめたまま眉間にシワを寄せる兄者を見兼ねて、捕虜が口を開いた。


「ネージュ。弟さん困ってる。説明が足りないと思う」

「ああ。そうだな。ミヤビが言うにはパンケーキには――」

「そこじゃない」


 捕虜の指摘通り、オレが聞きたいのはそこじゃない。

 それに、兄者が誰かに指摘される姿を初めてみた。

 

 オレ、何しにここに来たんだっけ。

 



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