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012 クラルテ=トルシュ

 異世界の巫女を保管庫に残し、ワタクシはロベールと隣の部屋へと戻った。

 神獣召喚の後、ワタクシはロベールの提案に乗り、未来の無いトルシュを捨てヴェルディエで悠々自適に引きこもり生活を送っていた。

 この部屋を貰い、毎日ワタクシの好きなお菓子も紅茶も求める分だけ用意され、読みたい本もロベールが何でも用意してくれた。

 一応、この生活を保証する為の代償は払っている。ロベールは、ワタクシの黒髪をこよなく愛する変態で、毎日ワタクシの髪をとき結わせてあげている。


「あの子、本当にクラルテにそっくりだな。でもいいのか? さっさと始末して、指輪も神獣も奪ってしまえばいいだろう?」

「それだと、ずっとワタクシが王女をしなければならないでしょう。面倒だわ」

「そうか。それならクラルテの好きにするといい」

「ええ」


 ロベールは自分の意見も言うけれど、何でも最後はワタクシの言葉に同意してくれる。

 だから、本当はずっとこのままで良かった。誰でもない自分で、誰の視線も気にすることなく、自由にただ生きていられれば。


 でも先日、ロベールが婚約を断り続けていることを知った。彼は結婚して、ワタクシと過ごす時間が減るのが嫌で断ったと、そして、本当はワタクシと結婚したいのだと言った。


 その時、ロベールを誰かに取られるのが嫌だと気付いた。自分以外の誰かが、彼の隣りにいることも嫌だと気付いてしまった。

 ワタクシに手を差し出し微笑みかける奇特な人間なんて、この世界に彼ひとりなのだから。


 ワタクシは生まれながらに魔力が高く、コントロールする為に身体はいつも疲弊し空腹に飢えていた。何をしていても苛々して、自ら他人を退け、そして避けられてきた。

 でもロベールだけは違う。だからワタクシは自分の名を取り戻し、彼の求婚を受け入れることを決めた。


「さぁ。クラルテ、手袋をどうぞ」

「久しぶりに弟の顔でも見てくるわ」

「ああ。引きこもり姫の社会復帰訓練開始だな」

「ふんっ。ダンテの報告がどれほど正しいか確認してくるだけよ」


 神獣の指輪をしていないことを悟られない為に手袋を嵌め、レナーテと一緒にロベールと別れて階下に降りると、テニエの仔猫がワタクシを待っていた。


「おまたせ。ノエル」

「別にお前なんか待っていない。神獣様はどこにいらっしゃるんだ?」


 仔猫はワタクシを横目で流し見ると周囲を見回した。

 ダンテからの報告通り、生意気な仔猫だこと。


「神獣様は大好きなオリーブ畑で英気を養われているわ」

「お前なぁ。他国の畑に神獣様お一人で行かせたのか? どこにあるんだ?」


 窓から顔を出し庭を眺める仔猫。

 ワタクシをお前扱いとは、本当にムカつく子だわ。


「さぁ? 窓から飛び出していかれたので分かりませんわ」

「じゃあ、さっさと探すぞ。方角だけでも教えろ。来いっ」


 そう言ってテニエの仔猫はワタクシの手をギュッと握りしめ強く引いた。

 突然の出来事に驚いたワタクシは仔猫の手を振りほどき睨み返すと、仔猫は驚いた顔で私を見つめ、指輪を隠す為にはめた手袋を見ると顔をしかめた。


「お前。怪我でもしたのか?」

「えっ? そ、そうよ。だから触らないで。手当しに行くから貴方だけで探して」


 指輪がないことがバレたかと思ったけれど違う。

 ワタクシを心配している……みたい。


 ワタクシが仔猫の対応に戸惑っていると、レナーテが言葉を添えてくれた。


「お姉様。医務室はこちらですわ。――ノエル。神獣様はヴェルディエの方が護衛をしてくださっていますから、探さなくて結構よ」

「は? お前、何様のつもりだ?」

「神獣様がそう仰ったそうよ。そろそろネージュ様もヴェルディエに着くかもしれないわ。貴方はそっちへ行ったら? お姉様もそれで良いでしょう?」


 やっぱり生意気な仔猫ね。異世界の巫女のせいでお前扱いなのかと思ったけれども違うみたい。レナーテにも酷い口のきき方をするなんて。

 ワタクシは面倒なので適当に話を合わせることにした。


「ええ。そうして頂戴」

「分かった。怪我の手当だけ見届けてから行く」

「はい?」

「なにで怪我したんだ?」


 仔猫はレナーテを警戒しながらワタクシに尋ねた。

 やっぱり指輪がないことに気づいたのかしら。

 意外と抜け目のない子ね。


「こ、紅茶がかかってしまって火傷したの」

「それなら俺の薬の方が……」

「け、結構です! 触らないでっ」


 仔猫は鞄から薬を取り出し私の手袋へと手を伸ばしたので、その手を叩き落してやったら酷く悲しい顔をしていた。


「い、妹の前ではしたない事しないでっ。し、失礼するわっ」

「ま、待てっ。神獣様はどうするんだ!?」

「手当を終えてから参りますわっ」


 私は仔猫に背を向けレナーテの手を取り医務室へ急いだ。

 今まで色んな人を物理的にも踏みつけてきたけれど、あんな顔をされたのは初めて。

 何あれ。ロベールは鼻息荒いバカ犬みたいだけど、猫って可愛いじゃない。


「お姉様。ノエルって生意気でしょう?」

「へっ? そうね。ペットにしてあげてもよくってよ」

「やだ。飼い主を引っ掻きそうじゃない」

「そういう子を手懐けるのがいいんじゃない」

「まぁ。お姉様らしくてなんだか安心しましたわ」

「ふふっ。ワタクシらしい……ね。やっぱり、さっさとワタクシに戻りますわ」


 何も知らない記憶喪失の異世界の巫女のフリをして、楽して過ごそうかと思っていたけれど、そんなことをしなくても良さそうだ。

 巫女を召喚する王女としてのワタクシは、皆から異質なものとして距離を置かれていたけれど、巫女の責を担ったとたんに、ああして誰かに心配される存在になったのね。

 それなら今すぐ、ワタクシはワタクシとして、皆に愛されてあげるわ。

 




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