005 良くできた弟
ダンテさんは入念に荷造りを手伝ってくれた。私を送り出すことが心配な様子だ。
「絶対に一人になってはなりませんからね。それから、これとこれと……」
ドレスの下に忍ばす短刀とか、袖に忍ばす眠り針入りの吹き矢とか色々と装着させられたけど、私は忍者なのだろうか。『トルシュの灯』でのダンテさんは暗殺者っぽい投げナイフとかが武器だったから、これはダンテさんの秘密道具なのかもしれない。
カインさんの件の事をまだ気にしているんだろうな。
「ダンテさん。私、ダンテさんがいなくても、ちゃんとやりますから安心してください」
「安心なんてできません」
「え?」
「クラルテ様はダンスは出来ますか? 立食パーティーも初めてでしょう?」
「えっと……」
「記憶を失う前のクラルテ様ですら普通にできないことなのですから、お気にならさず。必ずアレク様とご一緒されるか、最悪仮病でも使って部屋に閉じこもっていてください」
あ。クラルテってダンスもマナーも知らないのね。
じゃあ。ちょっとぐらい失敗しても大丈夫かしら。
◇◇
船酔いを心配していたけれど、旅は快適だった。
アレク達をトルシュまで送ってきてくれたヴェルディエの船には広い客室が完備されていて、まるで豪華客船みたい。
でも出発して少ししてから、ゼクスが船に酔ってしまって、ゴタゴタしていたけれど、今は落ち着いてカインさんがゼクスに付き添ってくれている。
本来ヴェルディエまでは二泊の船旅になるそうだけど、カインさんが秘密の最短ルートを教えてくれて、明日の昼には着くとのことだ。
アレクは溜まった執務をこなす為に、レナーテと船室で軟禁状態。ロイさんは生誕祭は出店がたくさん出てお勧めだと言っていたので付いてくるのかと思っていたけれど、結局街のおばさん達に捕まって船には乗らなかった。
ノエルはヴェルディエに行くのが嫌みたいでいつもよりナイーブになっている。神獣様を頭に乗せて、船首の先っぽに座って海を眺めていて、話しかけても無視だ。
ということで、私はひとり夕陽と海を眺めてボーッとしていた。こうしてひとりで過ごすのなんて、ここへ来てから初めてかもしれない。
遠くにトルシュの城が見える。
あの城のベッドで目覚めてから、どれほどの時が過ぎただろう。
頬を軽くつねってみるが、やっぱり痛い。
この身体は私なのか、クラルテの身体なのかも分からないまま。
でも、神獣様は私をアカリって呼んでくれた。
だったらアカリでいいのだろうか。
「アカリちゃ……っと、クラルテ王女?」
「あっ。カインさん。ゼクスはどうですか?」
「さっき寝た。明日の昼には着くから大丈夫だろう」
「カインさんが、秘密の最短ルートを教えてくれたと聞きました」
「ああ。なるべく早くミヤビの近くへ行きたいからな」
「…………」
水平線を見つめながら力なく笑うカインさんに私はかける言葉が見つからなかった。
「そんな心配すんな。ミヤビはトルシュノアカリをコンプリートしたって言ってたからな。今頃ネージュなんか丸め込んじまってるかもしれないぜ?」
「そうだと良いんですけど」
「そうに決まってる。ミヤビは俺も俺の家族の心も一瞬で掴んじまったからな。警戒心が強くて本当の自分を見せない面もあるが、そんな掴みどころのないところも魅力的でな」
「あ、分かります」
「だろ? 相手を否定したりしねぇし、あれこれ考えて色んな言葉を教えてくれるし、ずっと話していたくなる。――はぁ~。今も、ミヤビの声が聞きてぇ」
「カインさん……」
船の手すりに額を打ち付け落ち込んでるのかと思いきや、カインさんは急に飛び起きて叫んだ。
「ってか、ネージュがミヤビを気に入っちまったらヤベェな。いや。でも、ネージュはアカリ一筋か? あんなとこまで迎えに来るんだしな」
「海に捨てたあげく、縄で縛って置いていきましたけどね」
「あぁ~。そうだったな。アカ……」
カインさんは急に口ごもった。今更だけど、アカリと呼ぶことに警戒を示している。
「アカリでも良いですよ」
「いやいや。駄目だろ。周りには面倒な奴らばっかだからな」
「アカリは知らない人に使う偽名ですから」
「あー。そういやそうだっけか。でも、変に勘ぐられても不味いからな。俺が呼び間違えたら無視してくれ」
「はい。お心遣い感謝します」
「んだそれ。他人行儀っつーか。弟にもそんな感じなのか?」
「アレクですか?」
「いや。そっちじゃなくてだな。ほら」
空を仰いで首を捻るカインさん。
多分、燿のことを聞きたいんだ。
「あー。えっと。――実は、姉の私が言うのもアレですけど、私の弟って、すごく良くできた子なんです」
「ほぅ」
「勉強も得意で学年で一番なんですよ! でも、それは生まれ持った才能だけじゃないんです。家で何時間も机に向かって勉強して……。雅さんと出会ったのは、弟がプレゼントしてくれた旅行の時だったんですよ」
「いい弟だな。旅行には弟もいたのか?」
「いえ。趣味全開のツアーなんで、弟には荷が重いと思います。それに、一人分用意するだけでも、すごくお金がかかるものなので」
「成る程な。俺だったらどこに行くでも家族みんな一緒だ。あ、今はバラバラか」
カインさんは手すりに顎を乗せ、またしょんぼり肩をすくめた。
「カインさん。私がいるじゃないですか?」
「ん? ははっ。だな。アカリちゃん。今はあんま余裕なくてミヤビの事しか考えらんねぇんだけど、ミヤビの次はアカリちゃんの力になるからな。兄貴だと思って何でも言えよ」
「はい。ありがとうございます」
「だからそんな畏まるなって……。ん? お、おぅ。お前いたのか」
振り向くとアレクが立っていて、気不味そうに俯いていたまま声を発した。
「あの、弟という言葉が聞こえたので話しかけ辛くて、こっそり影から聞いていたんですけど……。姉様には他にも弟がいるのですか?」
「あ……アレク。それは」
「すごく良くできた子って言われて気恥ずかしくて。でも違いますよね。プレゼントなんかしたことないし、誰の話を……いや。貴女は、誰なんですか?」
アレクが困ったような笑顔を私に向けると、カインさんが慌てて口を挟んだ。
「アレク。王女は俺の家族の話をしていただけだ。あの日、盃を交わして俺達は家族になった。それで――」
「違ますよね。貴女は、アカリ……って名前なんじゃないですか?」
「それは知らない奴に使う」
「偽名じゃないですよね。顔を見ればわかります。アカリと呼ばれた時の姉様の……いや。貴女の顔が、王女と呼ばれる時よりも自然体でしたよ」
カインさんが何を言おうと、アレクは私だけを見て真剣に尋ねた。
「アレク。あのね……」
「そんな顔しないでください。正直、なんか腑に落ちたっていうか。貴女が姉様と別人って思えば納得できるんですよね。――ん? でもどういうことだ? 見た目は姉様だけど、影武者……には巫女なんて務まらないだろうし?」
じゃあ、誰が誰で誰なんだ? とアレクは首を傾げた。
「それは、私にも分からないの。私、クラルテの記憶は一切ないのだけれど、別の人のっていうか、私の記憶はあって……」
「別の? それがアカリ?」
「うん。私?」
ああ。説明が難しい。雅さんがいたから、カインさんには分かってもらえたけれど、何から話せばいいのだろう。
「ちょっと待てアカリ、アレクは信用できるのか?」
私が言葉を探していると、カインさんはアレクと私の間に割って入り尋ねると、アレクはカインさんの方を掴み、少々苛立った様子で言った。
「カインさん。これでも友好の証で繋がる仲ですよ。それに、呪いの森に侵されたトルシュを救ったのが誰だと思っているのですか? 今更何処の馬の骨とも分からない人間だとしても、彼女の人となりは分かっているつもりです。だから、隠し立てせず話してください」




