015 テニエの事情
緩く結んだと言われたけれど、私にそれを解くことは出来なくて、カインさんの腰の短剣を借りて縄を切った。
でも、何をしても誰も目を覚まさず、雨だけでも避けようと一番近い船室へ皆を引きずって運んだ。
部屋を暖めるにはどうしたらいいのだろう。
神獣様もいない。
私に出来る事を何も見つけられなくて、私はここへ来てから周りに助けてもらってばかりいたのだと痛感した。
これから私に何が出来るのだろう。
いや、何をしなくてはならないのだろうか。
ネージュを説得して、雅さんを解放してもらう。
その為なら、私が本物の異世界の巫女になればいいんだ。
スマホだってあるし、雅さんの鞄もあるだろうから、それを証拠に本物だって言い張ればいい。
そして私は処刑されるか奴隷にされるか。
それとも――。
『弟にまた会えるんだよ?』雅さんの言葉が頭を過る。
自分が灯でもいいって言ってくれる人が居てくれて、今まで考えもしなかった道を示されたら、無性に燿に会いたくなってしまった。
一度想うと止められなくて、ずっと蓋をして押し殺して気付かないフリをしてきた涙が溢れ出した。
「燿……。姉ちゃん、また燿に会えるかな……」
膝に顔を埋めて涙を流すと、燿と二人だけになった日を思い出した。
昨日まで笑い合っていた人がいなくなる。もう二度と経験したくなかった事なのに、今、燿をそんな状況に追い込んでいるのかもしれない。
考えれば考えるほど、嫌なことばかりに思考が埋め尽くされていく。
『――――テっ』
遠くから声がして顔を上げた。
誰か迎えに来てくれたのかもしれない。
立ち上がろうとしたけれど、冷えて硬くなった身体が思うように動かなくて、ぐずぐずしている内に扉が開いた。
「いたっ。大丈夫かっ!?」
「ノエル……。神獣様は?」
ノエルの顔を見たら、苦しいだけだった胸の奥がジンワリと暖かくなった。ノエルは呆れたように息を吐き、船室を見回すと、懐から水の入った革袋を二つ取り出し一つを私に差し出した。
「ったく。第一声がそれかよっ。神獣様は城にいる。こいつらにこれを飲ませば目を覚ます。気つけ薬だ」
「ありがとう。――あっ」
手の震えで、革袋を掴めず床に落としてしまった。
自分の役立たず具合が悔しい。ノエルが代わりに拾ってくれようとしたけれど、先に手を伸ばして拾おうとしたら、ノエルは革袋ではなくて私の手を握り締めていた。
「オレがやる」
「でも、私も」
「いいから少し休んでろっ。邪魔だ」
「ごめんなさい」
ノエルの言う通り、私は邪魔しかしていない。
情けなさ過ぎて、緩んでいた涙腺からまた涙が溢れていた。
「あっ。違う。泣かせたかったんじゃなくて、その……」
「ノエル君っ。巫女様は……。っと、私が皆さんに薬を飲ませておきますから、隣の船室で休んでください」
船室に顔を出したのはロイさんで、彼はノエルから布袋を取り上げると、手際よく倒れた人たちに薬液を飲ませ始めた。
ノエルは気不味げに、座り込んだままの私へ手を伸ばした。
「……お前、ちょっと来い」
「ごめんなさい。立てないの」
「じゃあ、乗れ。それぐらいできるだろ?」
「うん」
ロイさんの手前恥ずかしかったけれど足が動かない。
ここにいては邪魔だろうし、私はノエルの背中を借りた。
「あー。ノエル君。そこはお姫様抱っこでしょ」
「うるさいっ」
ロイさんの言葉を速攻で一蹴して、ノエルはそそくさと部屋を後にした。
◇◇◇◇
暖炉の前に私を下ろすと、ノエルは薪を焼べ、隣に腰を下ろして話を始めた。
「兄者から大体の話は聞いてる。船乗りが友好の証をお前に託すべきか判断する為に、お前と神獣様を船に招き入れたんだってな。……でも、そこに本物の巫女がいた。って」
「ネージュは、本物の巫女をどうするつもり?」
「前に言っていた通りだ。服従するなら奴隷に、しないのなら消す。危険因子は――」
「雅さんは危険じゃないっ。カインさんの事が好きで、ここを彼らと去るつもりだったの。だから」
ついカッとなって声を荒らげると、ノエルは頭を抱えて深くため息を吐いた。
「兄者に逆らったのか? 相変わらずだな。……敵は選べよ。だから兄者は、巫女が勝手な真似をしたから船で反省させているって言っていたのか」
「どうしたら、ネージュは巫女を諦める? ノエル、何か分からない?」
「兄者は、異世界から来た巫女を憎んでいる。そう簡単に諦められるものではないんだ」
ノエルは言うべきか戸惑いを見せたが、暖炉の火を見据えたまま口を開いた。
「オレの祖父は巫女に裏切られ、神獣様を守れなかったことを悔いていた。裏切り者の巫女を召喚し、元祖巫女の血を引くトルシュ王家に対しての怒りも強く、ヴェルディエに対しては、神獣様を奪おうとしているのではないかと疑い敵視していたそうだ。祖父は次第に人間全てを憎むようになり、人間との決別を謳い国交を断ち、父も兄も、人間に復讐するように言い育てられたんだ」
オレは祖父が亡くなってから生まれたから知らないんだけど……と、ノエルは寂しげに呟いた。
「何故、私と婚約したの?」
「幸い、トルシュは自滅状態で崩壊寸前だっただろ。王女と婚約し国に招き入れ、妻としてではなく奴隷として扱い、トルシュの滅亡を一緒に眺めることで復讐しようとしていた。兄者は優しいから」
「少しも優しさが見えなかったのだけれど」
そうか? と首を傾げ、ノエルは言葉を続けた。
「兄者はトルシュの王女を娶ることで、巫女の血を残そうとしたんだ。神獣の守り人として、いつか神獣様をお迎えする為に、どんなに巫女が憎くても」
「そっか……」
「近隣諸国は、トルシュの民の受け入れはしたが、トルシュ王家は受け入れていない。巫女の血なんか、召喚の力なんか、残したくなかったからだ。五十年前と同じ事を繰り返さない為に」
「……ヴェルディエは、トルシュの国王を受け入れてくれているわ。それに、巫女を異世界に返してあげたいって」
「そうやって終わりにしたいんだ。トルシュの王は人質みたいなものだろ? そうやってトルシュに滅びの道を歩ませて召喚の力を失わせたいんだ。そして、異世界の巫女を追い返し神獣様を奪い、二度と自国の脅威となる存在が現れないように。ヴェルディエらしい偽善的な考え方だ」
巫女を帰したいのは、結局のところ邪魔だから?
誰も傷つけていないように見えて、自国にとっての最善策を行使しているということ?
「でも、帰るには神獣様の力が必要で、それは神獣様をまた卵に戻してしまうのではないの?」
「そうかもしれない。ヴェルディエは神獣様すらいらないと考えているのかもな。……本当は五十年前、神獣様が役目を終えて眠りについた時、そのままそっとしておけば良かったのかもしれない」
「そんなこと……」
「どの国も平和だったのに、さらなる恵みを求めて巫女を呼んで神獣様を崇めて……。そしてそのどちらも失い、各国のバランスは崩れてしまった。皆、裏切った巫女を恨み、神獣様に対しては、愚行を働いてしまったことを後悔し、怒りを納め眠って頂けるようにと祈り続けてきた」
「でも、クラルテ=トルシュは巫女を召喚して神獣様を蘇らせた」
「そうだ。国の為とはいえ、お前のせいで各国はまた水面下で動き画策している。兄者はもし巫女が現れたら、神獣様を成長させた後、即処分するつもりでいたらしい。また裏切られる前に。だが、お前が巫女になったから……」
「本物の巫女は、もう必要なくなった……」
「兄者が守り人にもならなかったのは、巫女に入れ込まない為。友好の証をオレに託し、自分だけが手を汚そうとしているんだ。兄者の信念を曲げることは、オレには出来ない……でも」
ノエルが私に目を向け言葉を続けようとした時、廊下からドタドタと慌ただしい足音が響き、扉が勢いよく開いた。
「アカリっ!? 無事かっ?」




