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014 冷ややかな笑み

「メル。小舟を降ろせっ」


 カインはメルに指示を出し、灯を追って海に飛び込んだ。

 海に飛び込む兄を呆然と見送った後、メルは反射的に指示された通り急いで小舟を海へと放ち、ネージュを睨みつけた。


「何てことすんのよっ。あんたっ、婚約者なんじゃないの!?」

「アレは俺の奴隷になる人間だ。どうしようが俺の勝手だ」

「はぁっ!? 最っ低っ!」

「どうとでも言え。――邪魔は消えたな。船員を全て捕縛しろ。それから、海上の人間も回収しておけ」


 罵倒するメルを鼻で嗤い退け、ネージュは兵士に指示を下した。


 ◇◇◇◇


 震えが収まらず濡れた体を抱きしめ、私は神獣様が入れられた鉄籠を抱えた兵士を睨み付けた。雨が降り頻る甲板の隅で、私はテニエの兵士に見張られている。神獣様は薬で眠っていただいただけなので、大人しくしていてください。と兵士は言った。


 海に投げ出された時は死ぬかと思ったけれど、水面に叩きつけられて気を失いかけた直後にカインさんに腕を捕まれ、小舟に乗せてもらい助かった。


 小舟を甲板に上げてもらうと、メルさんは両手足を縛られ帆柱にくくりつけられていて、船内にいた船員達は全員、デッキの手すりに縄で括り付けられ並べられていた。船員の中には、頭にターバンを巻いて男装した雅さんも混ざっていて、カインさんは無言のまま両手を挙げて投降し、テニエの兵士に捕らえられた。


 ネージュは剣を抜き、カインさんに切っ先を向けると尋問を始めた。


「海へ飛び込むとは殊勝な男だな。心に決めた者とは、俺の婚約者のことだったのか?」

「んな訳ねぇだろ。荒れた海に人が落ちたら助けに行くのが海の男だ」

「そうか。認めぬのならば、船ごと全てテニエに輸送しよう。船員は死ぬまで奴隷として面倒を見てやる。お前は処刑だ」


 淡々とした口調に冷めた瞳。ネージュは本気だ。

 なんの迷いも感じさせない落ち着いた物言いに、ゾッと寒気を感じた。

 しかし、カインさんはネージュにも剣にも物怖じせずに大声で反論した。


「ふざけんなっ! 気に入らねえなら俺だけ連れて行けっ。お前の婚約者を無理やり連れてきたのも、ネックレスをやったのも、この俺だっ!!」

「ほぅ? この場で即刻死にたいようだな」


 ネージュは剣を持つ手に力を込めゆっくりと振り上げた。


 このままでは駄目だ。カインさん達の誤解を解かなくては。

 私は冷え切った心を奮い立たせて神獣の指輪を掲げ声を上げた。

 

「ネージュ様っ! その方に罪はありません。私は自ら彼について行きました。そして、この神獣の指輪を見ていただければ分かります。アレクとノエル。そして宮廷魔導師のゼクスの宝石しか顕現されていません。あとの二つはまだ透明な水晶のままです。カインさんと友好関係がない証拠です!」

「嘘ではないようだが……」

「はい。ですから、その方たちは国の行く末を案じて友好の証を譲渡してくださろうとしただけですので、どうか解放してください!」


 ネージュは私の指輪を鋭い瞳で睨み付け、つまらなそうに視線を反らし甲板を見回すと、不気味な笑みを見せた。


「……分かった。解放しよう」


 意外と素直に返答すると思ったら、ネージュは踵を返し船員たちの方へと足を進め、その中のひとりのバンダナを乱暴に奪い取った。肩にハラリと濡れた黒髪がこぼれ落ち、俯く雅さんの顎に手を添えネージュは無理やり顔を上げさせた。


「黒髪に黒い瞳。お前はどの国の出身だ?」

「ネージュ! 俺の家族に触れるな!!」

「ふっ。家族だと? お前は異世界から来たのか?」

「答えなくていいっ!」

「反抗的な目だな。気に入らん」


 ネージュが睨みを利かせると、雅さんは意識を失い首をもたげ、ネージュは乱暴に雅さんを肩に担ぎ上げた。


「やめろっ! 俺の家族を返せっ」

「解放するって言ったのに。嘘つき!」

「全員とは言っていない。この女以外は解放してやる。――他の奴らの縄を増やし、眠らせておけ」

「てめぇっ」


 ネージュが指示を出すと、縄を解こうと暴れるカインさんに数名の兵士が囲い、縄を巻き付けて布で口を覆う。

 私は立ち上がりネージュの行く手を阻むと、彼は満足そうにほほえみを向けていた。


「良かったな。これで唯一無二の神獣の巫女になれるぞ」

「その人を、どうするつもりですか!? 雅さんは――」

「それは巫女次第だと言ったはずだ。己が召喚した手前、罪悪感でも覚えたか?」

「お願い。雅さんを離してっ」 

「人間の分際で指図するな!!」


 掴んだ腕を振り払われ怒鳴りつけられて、恐怖で身体が竦み、私はその場に崩れ落ちた。怒りと悲しみが入り混じったような覇気を浴びて、全身が震え身動きが取れなくなった。


「来週、ヴェルディエ国の王の生誕祭がある。その時、この人間の処遇を余興として発表しよう。死か、俺の奴隷か。二択しかないがな」

「……めて」

「まだ声が出るのか? 彼奴等は仲良く眠っているぞ? そうだ。あいつらにも教えてやれ。ヴェルディエで家族とやらと最後の別れができることを」

「そんな――」


 先程の怒声で、カインさん含め船員は皆、意識を失い倒れていた。船員だけではない。テニエの兵士ですら、数名倒れていた。


「どうせ何も出来ずに失うのを見るだけだからな。来ない方が己の為かもな」

「やめて。貴方、私を奴隷にするって言ってたわよね。私が今すぐ奴隷にでも何でもなるから、雅さんは離して」

「…………なぜ庇う?」

「えっ?」


 ネージュは紫色の瞳で私を見つめ問う。その問いかけは私の心の内へと向けられ、初めてネージュが私の心に触れようとしたように感じた。


「お前はなぜ俺に逆らう。なぜ口答えばかりする? 俺はそれを無性に腹立たしく感じる」


 そう言ってネージュは私を突き飛ばし船首へと進む。

 そして海面の小舟へと降りるロープの前でこちらへと振り返り、冷ややかな笑みを向けた。


「お前の顔など見たくない。国へは自力で戻れ」

「待って、私は――」


「失礼します」


 兵士の一人は、ネージュの目配せで私に近づくと謝罪し手早く縄で私の手を縛りながら小声で言った。


「ネージュ様は、あなたを助けにいらしたのですよ。次にお会いした時は、お礼くらい言ってください。緩めに結んでおきましたから、後は頑張ってください」


 兵士は神獣様は先に送り届けておきます。と付け足すと、船首へと消えていった。


 テニエの軍勢が去り、雨音だけが耳に響く。

 ネージュから放たれた怒りと寂しさに身体が震え、私は暫くその場から動くことができなかった。



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