008 暗雲 (ノエル視点あり)
まさかこの世界の人から『トルシュの灯』という言葉を聞くとは思ってもいなかった。しかも、言い方は不慣れだけど、乙女ゲームも知っている。
「それは、巫女から聞いたの?」
「さぁ?」
「ねぇ。どうして友好の証を、私に渡そうとしたの?」
「お前に必要なものだと思ったからだ。――後はアジトに着いてから。ここから先は揺れるからな」
カインの宣言通り、急に荒波に突入して会話どころではなくなった。彼は私のフードをグイッと引き下げ、その上から布を巻き視界を奪った。
「きゃっ」
「アジトまでは目隠ししてもらう。おっ、でけぇ波が来るぞ。歯ぁ食いしばっとけ」
カインの手が離れると、頭から海水を打ち付けられた。フードがあるから痛みは少なかったけれど、見えないしずぶ濡れだし結構怖い。
「まだまだこれからだぞ」
波で身体を揺さぶられて、頭上から見えない海水で殴りつけられて、私が意識を手放すのはあっという間だった。
◇◇◇◇
「キュピピ」
神獣様はオリーブを嘴から落とし上空へ飛翔すると、西の海を見つめた。
「どうされましたか?」
「ピィピ……」
「西の小舟に巫女が? あいつなら民家で針仕事中のはずですが……」
いくら街の人々に慣れてきたと言っても、勝手に出歩くような奴じゃない。
まさかヴェルディエの使者と落ち合うつもりか。
しかしダンテさんだっているのに。
考えがまとまらない。
取り敢えず街に戻ってダンテさんと合流しなくては。
「ダンテさんのところに行ってみましょう」
「ピピっ」
「えっ!? ちょっ。神獣様っ」
神獣様は、そっちはそっちで宜しく。と言い残し海へ向けて羽ばたいた。
そっちは。と言われても、神獣様から離れるわけにはいかない。オレは神獣様が向かう先へ走り出した。
でも、神獣様はオレに気付くも速さを緩めてはくれなかった。
神獣様に置いていかれまいと駆けていたら、丘を転がり落ちてしまった。神獣様はそんなオレを見兼ねてか、無言のまま隣を飛んでくれて、西側の海岸近くに数名の漁師がいることを知らせてくださった。
「すみません。船を出せますか!?」
「なぁに慌ててんだい? これから海に出るのは御免だよ」
「どうしてですかっ?」
「嵐が来るからだよ。一体何の用で船を出すんだ?」
「さっきこの辺りから出た小舟に知り合いが乗っていたかもしれなくて」
「はぁ? 小舟?」
「あれじゃねぇか。自称魚売りのあいつだろ」
「あー。あいつには関わるな」
「なぜだ?」
「あいつは、古くから洞窟島に住まう海賊だからだよ。悪いな、坊主」
漁師たちは皆一同に首を横に振り、オレの前から立ち去っていった。
「キュピピピ」
「駄目です。置いていかないでください!」
「ピピっ」
「あっ、待ってくだっ、――くそっ」
嵐が来れば飛べない、先に行く。心配無用。と言われ、今度こそオレは神獣様に置いていかれた。
羽を広げ高度を上げ、海の彼方へと神獣様はどんどん小さくなっていく。
側に居られないなんて。足手まといにしかならないオレは守り人失格だ。
オレは街へと踵を返しダンテさんを探した。
ダンテさんはまだ商人と交渉中だった。
そうだ。オレはダンテさんに巫女を任されていたんだ。
でも、神獣様がオリーブをご所望されて、少しくらいならとその場を離れた。せめて、ダンテさんに声を掛けてから行けばよかったんだ。
「だ、ダンテさんっ」
「……向こうで話しましょうか」
ダンテさんはオレの顔を見ると全て察し、すれ違いざまに軽く肩を叩かれた。
◇◇◇◇
「おそらく。神獣様が、ご一緒なのでしたら心配はいらないでしょう。明日のアレク様の帰還を待ちましょう」
ダンテさんに状況を話すと、即答で待ての状態を指示された。
「相手は海賊だぞ? それに嵐が来るって」
「帰還が遅れるかもしれませんが、多少の雨でもヴェルディエの船なら大丈夫です。しかし、トルシュには嵐に耐えうる船はありません。それに、海賊といっても、あの特殊な海域に住み着いているだけで、周りに危害を加える人達ではありません。それに、その海賊が友好の証を所持しているという情報もあります。ここは」
「駄目だ。今すぐ船をっ」
外は、遠くの空に暗雲を抱えていた。
雨が降れば、神獣様が空を飛ぶのは危険だ。
だからオレは神獣様の側にいなければならないのに。
「少し落ち着いてください。今、私達にできることがあるとすれば、西の空に火柱が上がらないことを祈るだけです。神獣様なら、ご自身の身は守れるでしょう。そんな事も分からないのですか?」
そんな事も……。確かに巫女と神獣様が一緒なら、相手が大国でもない限り危険はないのかも知れない。
「…………アレク様が戻られましたら知らせてください。オレは、外で西の空を見張っておきます」
空はもう日が沈みかけていた。
城の屋根に登り、赤く色づいた西の空を見つめる。
オレは、尻尾につけた友好の証に手を伸ばした。
オレの証はただの白銀色。
ゼクスのように色味を帯びてはいない。
それがとても心寂しく感じた。あいつにも、神獣様にも信頼されていないみたいで、胸が苦しくなる。
今頃どうしているだろうか。
考えれば考えるほど、情けなくて泣きたくなった。




