007 巫女を知る人
最近、行商の方もトルシュに立ち寄ってくれるようになった。トルシュの刺繍は他国でも人気が高く、女性達はみな刺繍や縫い物が得意だそうだ。
今日は街で一番ご高齢のサァ婆に刺繍を教えてもらっている。曾祖母と雰囲気が似ていて、一緒にいると和む。
ノエルは数分だけ私の様子を見ると、つまらなそうに神獣様とオリーブ畑へ行ってしまった。ダンテさんは巧みな話術で行商と取引中だ。
でも、刺繍を数針刺したところで、街の子ども達が私を呼びに来た。
「クラルテ様~。ノエルくんがね。神獣様のお世話で忙しいからって遊んでくれないんです」
「クラルテ様が一緒なら、ノエル君も僕たちと一緒にいてくれるから……。サァ婆、クラルテ様と遊んでいい?」
多分、子どもの対応が面倒で神獣様の名前を出したのだろう。全くノエルは世話が焼けるんだから。
「クラルテ様。今日は天気が良いので、子ども達をお願いできますか?」
「分かりました。今日はありがとうございました。また教えていただけますか?」
「ええ。夜から暫く雨になりそうですから、また明日にでもいかがでしょう?」
「はい。よろしくお願いします」
私はサァ婆と約束を交わし、子ども達と手を繋いでオリーブ畑を目指した。
今日は快晴。潮風はいつもより強くて気持ちいい。
明日はサァ婆の言った通り雨になるかなんて、私には分からないけれど、街の人々はサァ婆を天気婆さんと呼んでいるのできっとそうなるのだろう。
神獣様のお気に入りのオリーブ畑は城の西側の海岸側にある。小高い丘の上にあるので、海を一望できる癒やしスポットだ。
「ノエルくん、今日は遊んでくれるかなぁ?」
「どうかしらね。恥ずかしがりやだから」
「耳触らせてくれるかなぁ?」
「うーん。あまり体を触られるのは好きじゃなさそうよね」
「そっかぁ。クラルテ様が一緒だと、ノエル君ご機嫌だからなぁ。――あっ。魚売りのおじさんだぁ!」
オリーブ畑と海岸との分かれ道に旅人風のローブを着た大柄な男性が立っていた。彼は子ども達に呼ばれると振り返り景気良く手をかざすが、フードを被っているし、逆光で顔はよく見えなかった。
「よぉ! ガキ共。猫の兄ちゃんだけど、神獣様がお疲れだそうで、城へ帰ってったぞ」
「ええー! そうなの? じゃあ今日は遊べないかぁ。せっかくクラルテ様に来てもらったのに」
「じゃあ。また今度にしましょう」
「そうしておけ。そうだ。海で採れたワカメを分けてやるよ。母ちゃんに渡せ。持てるか?」
男性は子どもたちに足元に置いていたワカメを拾い上げこちらへと近づいてきた。フードからチラッと赤い髪が伺えた。
赤髪といえば……でもまさか。
「わぁいっ。いっぱい! ありがとう~。クラルテ様、街に戻ろう~?」
「ええ。私も――」
「ちょっと待った。あんたには、これどーぞ」
「えっ?」
男性の手に引き止められ振り返ると、私の手には白銀の友好の証が握らされていて、見上げると赤い瞳と目が合った。
「これは……。ねぇ、みんな。私は城に用があるから、みんなだけで街に戻れるかしら?」
「うん! じゃあ、またね~」
「またね」
子ども達はワカメを抱えて街へ降りていき、私はそれを見送ってから友好の証を男性に突きつけた。
「これは、貴方のものですか?」
「いや。これは海で拾ったんだ。あんたに似合いそうだから渡しておこうと思った」
「そうでしょうか。貴方はキャプテン=カルロスの血縁者なのではないですか?」
ローブから覗く真っ赤な瞳と髪は、『トルシュの灯』のキャプテン=カルロスの生き写しだった。
「ほぅ。俺を無法者扱いするのか?」
「さぁ? 今も海賊かなんて分からないわ。もしかしたら、漁師に転職されたのかもしれないもの」
「はっはっはっ。さすが異世界の女はどいつもおもしれぇなっ」
男性は豪快に笑い、私の背中を思いっきり叩いた。
「ちょっ。痛いわね。それと、私はトルシュの王女よ」
「あぁ? 巫女は異世界からってのが普通だろ?」
「いいえ。私の祖先はその異世界の巫女の血を引いているそうなの。だから私は巫女じゃないわ。私は巫女代理なの」
「巫女代理? じゃあ。本物がどっかにいるってことか?」
冗談半分で聞いていた男性は、急に眉間にしわを寄せて真面目に尋ねてきた。
「おそらく。各国が国を上げて探し回っているわ」
「……ふーん。巫女が見つかったらどうなるんだ?」
「保護するわ」
「その先は? 彼女に自由はないのか?」
自由。選ぶとしても、きっと選択肢は限られていて、自由とは言い切れないだろう。
「自由は……分からないわ」
男性は首を傾げると、拳を握りしめてうつむき、その瞳は鋭く怒りを押し殺しているかのようだった。
「ねぇ。彼女って誰かを指しているの? 異世界の女はって言っていたけど、貴方はもしかして」
「だったら、どうするんだ?」
隠そうともせず殺気を私に向けて、男性は威圧的に私を見下ろす。
「ほ、本当に巫女を匿っているの?」
「さぁ? 巫女かなんか知らねぇ。彼女は、俺の女だ」
「……ぇー」
大人なチャラ男って設定なのは知っているけど、俺の女ってどういう意味よ。しかも、俺の女って言う時、ちょっと照れていたし。
「お前、ちょっと俺と来い」
「へ? ま、待って」
「駄目だ。誰かにバラすだろ? 彼女を守るためなら俺は何だってする」
「ひゃあっ」
私は男性の肩に担ぎ上げられ、丘を下り海岸へと運ばれて行った。
これって海賊に拐われてるのよね。キャプテン=カルロスは、女好きのチャラ男で無法者だけど、意外と紳士で女性を粗雑に扱うことはしないはず。
それに巫女がいるなら、会ってみたい。
どうせダンテさんがすぐに助けに来てくれるだろう。
浜辺に停泊されていた小舟に私を下ろすと、彼は予備のローブを船の荷物から引っ張り出して私に被せ、その上から身体をロープで縛られた。
「逃げたりなんかしないわ」
「そういう奴の方が逃げんだよ。言っておくが、この先の海は人食いザメもいる。船から落ちたら死ぬぞ」
私の身体に巻きつけたロープは、小舟の真ん中の帆の柱に巻かれ、これなら大波が来ても海に投げ出されることはないだろう。
「……あの。名前を教えてもらえますか?」
「は?」
「呼ぶときに困るので」
「俺は、カイン。キャプテン=カインだ」
「あ。やっぱり海賊なのね」
「お前。図太すぎねえか? 誘拐されてんだぞ?」
「私の執事は優秀なので」
「はっ。どんなに優秀でも、この先の渦潮は俺の言うことしか聞かねぇ。それに今夜は海が荒れる。誰も助けになど来れん」
「渦潮……。もしかして、イルカがいるの!?」
『トルシュの灯』ではカルロスはイルカと友だちで、イルカ達を指揮して敵船を沈没させていた。カルロスイルカ親衛隊は可愛くて大好きで、イルカのクッション抱き枕のアバターがもらえるイベントは寝る間も惜しんでやっていた。
私の熱い視線に彼はポツリと言葉を返した。
「……イルカ親衛隊」
「ほ、本当にいるの!?」
「お前も、異世界から来たんだな」
「えっ?」
「イルカ親衛隊なんか存在しない。それはオトメゲームのトルシュノアカリって奴の話なんだろ?」




