010 氷漬けの青年
部屋の中は冷蔵庫の中みたいにヒンヤリと涼しく、ノエルの手から伝わる体温がやけに温かく感じた。
「キュピ!」
神獣様は氷漬けの人物の前で嬉しそうに声を上げた。
その人の首飾りに友好の証が輝いていたからだ。
「ノエル。友好の証よ!」
「神獣様のお力で、氷は溶かせるそうだ。だが――こいつ。本当に生きてるのか? もう少し調べてから氷を溶かした方がいいと思うぞ」
「そうね……」
背は高くて細身の男性は、氷越しだけど鮮明にその姿を見て取れた。
ダークブルーの髪は肩より少し長く、トルシュの宮廷魔道士のローブを着ている。私が知っている『トルシュの灯』のゼロフィルド=アングラードにそっくりだ。右眼の下の泣きぼくろもあって、まさに生き写しのようだった。
「なぁ。こいつがゼロフィルドって宮廷魔道士の息子なんだよな?」
「ゼクスと呼ばれていたわね。私が知っているゼロフィルドにそっくりだわ。右目の泣きぼくろまで一緒」
「何でそんなこと知ってんだ?」
「絵で見たのよ」
ノエルは私の言い訳に納得していない顔で氷漬けの青年を凝視して言った。
「……でもよ。ゼロフィルドって五十年前の人間だろ? せめて、孫……じゃないのか? オレだってそうだぞ。お前もだろ」
「あ。そうね。魔道師って長生きなのかしら? それとも、呪いの効力で? それか……この人がゼロフィルド自身とか?」
「おいおい。それは流石に……。お、これ日誌か?」
机の上に、開かれたままになったボロボロの手帳が置かれていた。他の本よりやけに古ぼけたその手帳を手に取りノエルはページを捲った。誰かが何度も読み返したのか、特に擦れたページを見つけるとノエルがそれを読み上げた。
「他は研究資料っぽいけど、ここだけ違うな。誰かに宛てた書き置きみたいだ。――夜になると寂しさが増す。あの暖かな心を、光を求めてしまう。もう二度と触れることのない貴方をどうしても待つ私は何と愚かなのだろう」
「ゼロフィルドか書いたものみたいね」
「ああ。まだ続きがある。――たとえ君が隣りにいてくれていても、私の闇はもう止めることができない。だからせめて、君だけは守れるように。君と、この新しい命だけは、守りたい」
「やっぱり、子供がいたってことかしら」
ノエルは、氷漬けの青年を流し見て、また手帳に視線を戻した。
「そうみたいだな。次で最後だ。――私を置いていけ。暖かな陽の光の下で生きよ。私は幸せだった。君が来てくれて、君に合わす顔がなかったはずなのに、それでも幸せだった。ありがとう。ミラ……」
「ミラ?」
「ここだけ濡れていて字が消えているな。ミラって、まさかさっきの……」
ノエルの顔がみるみる青ざめていく。
「でも、字が消えているのでしょう?」
「そ、そうだな。んな訳ないもんな」
確か、ゼロフィルド=アングラードには、幼なじみの宮廷魔道師がいた。ミラさんそっくりのストレートブロンドヘアーで名前は確かミラ……。
「そうだわ。ミラルドだわ!」
「母の名をご存知ですか?」
「ぅおおおっぅ。い、いるなら声かけろよっ」
私達のすぐ隣にミラさんは立っていた。ミラさんは氷漬けの青年を悲しげな瞳で見上げ、そして私へ頭を下げた。
「失礼しました。あの、巫女様は母をご存知で?」
「ええ。ゼロフィルドの幼なじみだったと記憶……じゃなくて、記録されていたわ」
「そうなのですね」
「ごめんなさい。手帳を勝手に見てしまったの。ミラルドさんは、ゼロフィルドを追ってここに来たってことかしら?」
「はい。そうです。母はとても強い魔力を持っていました。巫女に裏切られ、誰との交流を絶とうとして森に呪いをかけた父を追って、ここまで来たのです」




