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004 ネージュ=テニエ

 コリーヌ山の火口付近には祭壇がある。そこには、かつて神獣が生まれ際に地表に現われたと云われる大きな花こう岩が祀られている。

 五十年前に神獣がたまごに戻り凍りついた時、神獣はその身に纏う氷が溶けるようにと、花こう岩の上に安置された。


 レナーテは巫女探しの為に祭壇周辺に手掛かりがないか捜索しに来ていた。


「これといった物は何もないわね」


 前に来た時との違いと言えば、氷漬けの神獣のたまごがないだけだ。祭壇へ手を伸ばそうとした時、レナーテは足音が聞こえ、咄嗟に柱の裏に身を忍ばせた。


 足音の主は、祭壇の間に入る前に足を止め、一礼してから歩みを進めた。レナーテはこっそりその様子を覗き見ていたが、紫色のローブを着た人物だと分かると柱の裏から姿を表した。


「ネージュ様?」 

「またお前か。今日は……。た、たまごはどうしたんだ!?」

「姉が巫女を召喚し、たまごの氷を溶かすことに成功したのです。今日は、ご挨拶でいらしたのですよね? 真っ直ぐに城へ向かわれると思っていました」 


 レナーテは、ここでよくネージュと遭遇していた。

 テニエ家は神獣の守護者として仕えている為、ネージュは月に一度、コリーヌ山の麓の入江に船を止め、人知れず参拝していた。

 ネージュから誰にも言うなと口止めされていることもあり、この事を知っているのはトルシュの民ではレナーテだけだ。


「今日は祈りの日だ。婚約者の顔を見に来たのはそのついで。――そんな事より、神獣様はどこにいらっしゃるのだ。それから巫女は」

「巫女は行方知れずです。巫女の代わりは姉が務めております。神獣様は姉と共に城にいらっしゃいます」

「そうか。巫女は行方知れずか……。急用が出来た。俺は国へ帰る」

「お、お待ち下さい。神獣様には、お会いになられないのですか?」


 ネージュは足を止めると、切れ長な瞳で冷たくレナーテを睨みつけて命令口調で言った。


「勿論、挨拶はしてからだ。案内しろ」

「は、はい」


 ◇◆◇◆


 中庭を後にし、私は謎の青年の話をダンテさんに尋ねてみた。ダンテさんは、先程アレクが港へと迎えに行ったが入れ違いになってしまったのではないかと心配し、様子を見に城外へと出て行てしまった。


 私は貴賓室で待機中。神獣様は部屋の中央に位置する長テーブルのど真ん中に置かれたクッションの上でお昼寝中だ。


 そのテーブルには、胡桃のマフィンが並べられている。

 とても美味しそう。食いしん坊設定だからか、妙に食べたくなってしまう。

 でも、これを食べに来るのは一体どんな人なのだろう。

 さっきの青年も来るのかな。

 彼の話によると、私は奴隷扱いされる予定なのよね。

 本当かどうか分からないけれど、一体、ネージュとはどんな人物なのだろうか。


 あれこれ考えていると、急に神獣鏡様がムクリと身体を起こし、眠気眼をパチクリと瞬かせた。

 寝起きも可愛い。目が合うと私の元へと飛び立ち、また頭の上に拠点を構えられた。身体は大きくなったはずなのに、雛の時と同様、存在感は在るものの羽のように軽かった。


「キュピピっ」 


 神獣様の鳴き声と同時に部屋の扉が開いた。

 神獣様に夢中で全く気配に気付かなかったけれど、扉の向こうにはアレクと紫色のローブを着た男性がいて、その後ろにも護衛なような人が数名見えて、私は慌てて椅子から立ち上がりその場に直立した。


 アレクにエスコートされてフードを被ったままの紫のローブ集団が入室すると、急に空気が張り詰めて息苦しさを感じた。

 さっきの青年と同じローブを着た人なのに雰囲気が全く違う。その威圧感は、先頭に立つ一番大きな男性から感じた。


 アレクの目配せで彼らの方へと歩み寄るが、身体が思うように動かなくてぎこち無い動作になってしまう。ニコニコしていれば良いと言われたけれど、緊張でそれどころではなかった。


「姉様。テニエのネージュ様です」


 アレクが紹介した男性は、やはり先頭の人だった。

 フードを取り現れたその顔は、さっきの青年に似てはいるが別人だ。

 紫色の猫目は光を宿すことなく冷たく私を睨みつけ、猫耳は小さな垂れ耳タイプだった。

 強面のクセに垂れ耳。苦くて甘いその容姿に困惑していると、彼の後ろでアレクが挨拶をしろと身振りで訴えていた。


「あ、あの……。わたちっ」


 終わった噛んだ。恥ずかしんですけど。


「……ちっ」


 ネージュはそんな私に舌打ちしたが、隣りにいた護衛の人が何か耳打ちすると、急に瞳の色を変えた。

 憂いを帯びた紫の瞳は、宝石のアメトリンの様に微かに黄色みががり私を見下ろす。


 クラルテに好意を寄せているという話は本当だったようだ。一歩ずつ前へ進み、彼は私へと距離を縮めてきたけれど、さっきまでの威圧感は消え、圧迫感はない。


 私より頭一つ分背が高い彼からは、柑橘系の果物の香りがした。近過ぎて見えなくなった彼の顔が気になって上を向こうとした時――。


「動くな」

「ぇっ?」


 冷たい声のすぐ後に、身体が縮まってしまう様な威圧感が復活した。彼のすぐ後ろにいるアレクも顔が引きつり、私はどうしたら良いのか分からず、そのまま身体を硬直させて立ち竦んだ。


「こちらが神獣様か。まだまだ未熟だな」

「えっ?」


 彼が見ていたのは、私の頭の上に鎮座する神獣様だった。


「おい。台座。お前がクラルテか?」

「そ、そうよ!」

「俺はお前の主になる男だ。本物の巫女は行方知れずの為、巫女の代わりを務めているそうだな。しかし、変わりなどつまらんだろう? 俺がお前を本物の巫女にしてやろう」



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