第8話 好きな人
「美香ってさぁ、好きな人でも出来た?」
ある日の昼休憩。
購買にパンを買いに行く途中で、突然千沙がそう言って来た。
彼女の言葉に、私は「は?」と聞き返した。
「急にどうしたの?」
「いや……なんか最近、美香可愛くなったなって」
「はぁ~?」
「ホラ、ヘアピンとか付けちゃって」
そう言って、前髪を留めているヘアピンを突かれた。
咄嗟に手でそのヘアピンを隠すと、千沙はフッと笑って、少し身を乗り出す。
「誰々? 私が知ってる人?」
「べ、別に千沙には関係ないでしょ!?」
「何さその言い方」
不満げな表情で言う千沙に私は「ごめんごめん」と謝りつつ、前を見る。
好きな人、か……。
確かに、仔犬お姉ちゃんを意識して、最近少しオシャレをするようにしている。
まぁ、同じ家に住んでいるし、今更オシャレなんてしても意味ないことは分かっているけれど。
「……千沙はさ、女が女を好きになるのってどう思う?」
「はい!?」
突然聞いたからか、千沙は裏返った声で聞き返してくる。
まぁ、確かに唐突過ぎたか……。
私はコホン、と一度咳をして、続ける。
「だから、その……同性を好きになるのって、どうなのかなって……」
「ま、まさか、アンタ……好きな人……女……」
「うッ……」
つい呻くと、引きつった笑みを浮かべた千沙が頬をポリポリと掻いた。
「まぁ、そういう趣味は否定しないけどさ……うん……私は別に構わないと思うよ」
「本当!?」
「うん。別に同性愛なんて珍しいことじゃないよ。だから、美香は自分の気持ちを信じれば良いんじゃない?」
「そっか……じゃあ好きな人が同性でもイトコでも良いんだ!」
「……美香の好きな人って……」
苦笑いを浮かべる千沙に、私は口を手で押さえる。
すると、千沙は呆れたように笑いながらもため息をつき、歩いて行く。
「まぁ、私は美香が誰のことを好きでも止めないよ」
「ちょ……そんなんじゃないってば……」
「……そういえば、頼巳に行った先輩から、頼巳は同性愛の宝庫って聞いたけど」
「え、何それ怖い」
私の言葉に、千沙は笑みを浮かべる。
その時購買に着いたので、欲しいパンの名前を言い、お金を払って買う。
教室に戻るまでの道で、千沙が口を開く。
「まず有名なのは野球部の男カップルだって。今エースのピッチャーとバッテリー組んでるキャッチャー」
「ねぇもうそういう話止めようよ」
私が言うと、千沙は「え~なんで?」と聞き返してくる。
いやなんでじゃないよ。聞きたくないよそんな話。
「あとは、割と最近の話なんだけど、彼女が出来た女の先輩がいるんだって。すっごい美少女で、相手は大学生!」
「もう……そういうの良いから」
「後はそうだなぁ……あ、これはそのカップルよりも最近の話なんだけど……―――」
その続きを、なんとなく察してしまった。
耳を押さえたかった。
けど、その言葉を聞いてしまった。
「―――最近転校してきた白い髪の美少女と、いつも無表情の美人な先輩のカップルだって」
世界が、白黒に染まった気がした。
笑顔で固まる私を無視して、千沙は続ける。
「白い髪の先輩はすごい幼い感じで、綺麗っていうよりは可愛いって感じなんだって」
やめて……もう、やめて……。
「で、いつも無表情な先輩は、なんていうか、必要最低限にしか表情を動かさない感じなんだって」
聞きたくない。
しかし、千沙の口は語ることを止めない。
私の意志に反して、動き続ける。
「でも、その白い髪の先輩の前ではすごい表情豊かになるとか……」
……聞きたくなかった。
仔犬お姉ちゃんと、お姉ちゃんの噂なんて。
もちろんそれは噂だから、根も葉もない噂という可能性もある。
でも……。
「千沙、ごめん。食欲無くなったから、これあげる」
「え、ちょ……」
困惑する千沙を無視してパンを押し付け、私は走りだす。
忘れたかった。
今視界の隅で後ろに流れていく景色のように、この記憶も流れて消えてしまえばいいのに。
しかし、記憶も、この胸の痛みも消えることなく、私の心を蝕んでいく。
「何だよこれ……何だよ、これ……!」
そう呟きながら私は立ち止まり、呼吸を強引に整える。
胸に手を当てて、もう一度息をついた。
片思いって……こんなに苦しいんだ……。
切なくて、悲しくて……寂しい……。
誰か……助けてよ……。
私は……どうすれば良いの……。




