1-10 宵闇に茅蜩が囀らなければ
大学3年生の矢島遥斗は、母親を突然癌で亡くしてしまう。
家族にすら病気のことを知らせず、1人で末期癌と戦い何も言い残さずにこの世を去った母の真意を探るため、遥斗は同じく難病で余命宣告を受けているという『レンタルカノジョ』の姫川愛梨に接触する。
しかし、愛梨は残された命について独特の考え方を持っているようで──
──カランコロン
という鳴り物の軽快な音色と共に、開いた扉の隙間から吹き込んだ風が初夏の空気を運んできた。
『着きましたよ』
メッセージアプリに表示される文字。
僕は手にしたスマートフォンから視線を外し、顔を上げて喫茶店の入口に視線を向ける。そこには、一人の少女がいた。
シンプルな白のワンピースにつば広の帽子を被り、可憐さとそこはかとない儚さ纏った、まるでお人形さんのような少女。
その少女は僕を見つけると、迷いない足取りで僕の席の前までやってきた。
「えっと、矢島遥斗さんですか?」
「あ、はい……」
「はじめまして、姫川です。お待たせしてごめんなさい」
僕の前で足を止めた少女は帽子を脱いでぺこりと頭を下げ、そう挨拶をする。
「いや、全然待ってないです……こちらこそ、はじめまして」
その容姿に一瞬だけ目を奪われた僕は慌てて挨拶を返しながら、彼女の姿をもう一度盗み見る。
背中まで伸びた艶やかな黒髪に、端正な顔立ち。そしてなによりも惹かれるのが、日本人にしては少し茶色っぽい瞳だった。
その瞳は真っ直ぐ僕を見つめているようでいて、どこかずっと遠くを眺めているようでもある。不思議な雰囲気の少女だ。
「あの……私の顔に何か?」
「あ、いや! なんでもないです! ただ、よくこの席が分かりましたね。喫茶店の場所しかお伝えしてないのに」
失礼なほどジロジロ見てしまったことに気付いた僕は慌てて視線を外すと、目の前の少女はくすりと笑った。
「いやだって、他のお客さんはおじさんおばさんばっかりだったし、消去法で」
「あ、そうなんですね……」
店の中を見回して、それもそうだと納得する。
なんだか恥ずかしくなって顔が熱くなると、そんな僕の様子にまた小さく笑い、少女は僕の向かいの席に腰を下ろした。
しばしの気まずい沈黙の後、彼女は思い出したように口を開いた。
「あ、そうそう。私、今日は遥斗くんのカノジョってことで来てるんだから、お互い敬語はナシにしましょ」
「は、はぁ……」
いきなり敬語ナシの許可、そして『遥斗くん』という呼び方のコンボにさらに顔が熱くなる。
そんな僕の様子にまたひとしきり笑うと、彼女はどのタイミングで注文していたのか、いつの間にか運ばれてきていたグラスに入ったアイスコーヒーを一口飲んで、ふぅと息を吐いた。
「遥斗くんって結構お話するの苦手なのね。ほんとは私に聞きたいことたくさんあるんじゃないの?」
彼女はグラスに突き刺さったストローを細い指で弄びながらそんなことを尋ねてくる。窓から差し込んだ陽の光で逆光になっていて、その表情はいまいち読み取れない。
さて、本人の許可が出たので単刀直入に切り込むべきだろうか。実際、僕が彼女に尋ねたいことは両手の指では足りないほどあった。
まずはどれから尋ねれば良いだろう? 思案の末、ある質問を投げかけてみることにした。
「……姫川さんは」
「愛梨ね。さん付け禁止。私、カノジョなんだよ? よそよそしくない?」
僕の言葉を遮って、少女改め愛梨はそう要求してくる。僕はため息を一つ吐き出して、改めて彼女に向き直った。
「……愛梨は」
「うん?」
「どうして『レンタルカノジョ』なんてやってるんだ?」
「いきなり核心ついてくるね。ん〜、それはね……」
愛梨は言葉を探すようにアイスコーヒーを一口飲むと、真っ赤なストローを指先でくるりと回して僕を見つめた。
「私がやりたいから」
「えっ?」
「ていうのが答えだけど、遥斗くんはその答えを求めてるわけじゃないでしょ?」
「……」
「なら質問を変えるべきね。『なんで余命半年の愛梨がレンタルカノジョなんかやってて僕と会ってくれることになったのか?』ってね」
「……っ!」
思わず息を呑む。彼女には全てお見通しらしい。僕がサイトの愛梨のプロフィール欄に記載されていた余命のことを見て声をかけたことも、その愛梨に興味本位で色々質問してみたくてこうやって『レンタル』したことも、全て。
僕が言葉を失っていると、愛梨はどこか寂しげな笑みを浮かべて再び口を開いた。
「私はね、誰かの特別になりたかったの」
「特別……?」
「そう。だって余命半年の病人なんかと付き合っても何の得にもならないでしょ? 男の人って女の子と付き合う時は大体将来のことを考えてる。でも私にはその『将来』がない。だから『レンタル』なの」
そこで言葉を切ると、愛梨は僕にズイッと顔を近づける。思わず仰け反ってしまう僕をよそに彼女は言葉を続けた。
「遥斗くんは違うでしょ?」
「……え?」
「私のプロフィール欄見て声かけてくれたんでしょ? 初めから恋人として真面目に関係を持つ気がなかった。違う?」
「そ、それは……」
「いいのいいの、私そういう人好きだから」
愛梨はそう言ってカラカラと笑うと、また一口アイスコーヒーを飲む。そして再び口を開いた。
「でもね、ひとつだけ気になってることがあるの」
「……なんだよ?」
思わず身構えてしまう僕に対して彼女はじとりとした視線を向けてくる。僕はもしかして地雷を踏んでしまったのだろうか……? しかしそんな僕の不安は、愛梨のあっけらかんとした一言で消え去ったかのように思えた。
「遥斗くんって私が思ってたよりずーっと鈍感だったんだね」
「え……?」
言葉の意味が理解できず首を傾げる僕に対して愛梨は不満げに口を尖らせる。
「レンタル料って結構高いでしょ? 遥斗くんのプロフィールどおりなら、大学生の君にポイっと気軽に出せるような金額じゃない。お家がよっぽど裕福か……じゃないとかなりの強い動機がないと……?」
愛梨はグラスをテーブルに置いたままストローに口をつけながら、品定めするように僕の目を見つめる。その茶色い瞳は相変わらず僕のずっと背後を視ているようで、まるで心の奥底を覗き込まれているかのような居心地の悪さをおぼえた。
「何が言いたいんだよ?」
「よし、単刀直入に聞こう」
愛梨は僕の質問を遮るようにそう宣言すると、グラスを脇に置いてニヤリと笑みを浮かべた。
「遥斗くんってさ」
「うん?」
「自殺……死のうとしてるでしょ?」
「……っ!?」
思わず息を呑む。そんな僕の様子を愛梨はニヤニヤと見つめていた。僕は慌てて言葉を返す。
「な、なんでそうなるんだよ?」
「いやだってさ」
愛梨はテーブルの水滴を丁寧に紙ナプキンで拭き取りながら続ける。まあ、彼女の射抜くような視線が逸れているのが唯一の救いか。
「余命宣告されて、私も人生見つめ直してね。普段挑戦してみなかったことにも挑戦してみようかなってよく思うようになったの。期限を設けられて、本当に自分のやりたいことが分かったというか……うーん、説明するの難しいな」
「……」
「あっ、別に責めてるわけじゃないからね。引き止めるつもりもないし!」
「あ、うん……」
僕の反応が思ったものと違ったのか、彼女は慌てたようにそう付け足した。そして再び僕を見つめると、紙ナプキンを右手でクシャクシャァと丸めた。
「で! 話を戻すけど」
「え?」
愛梨はテーブルに置いたグラスを手に取ってストローを咥えるとズズズッと残ったアイスコーヒーを啜る。
「私が遥斗くんの誘いに乗ったのは、私も知りたかったの」
「なにを?」
「遥斗くんが余命宣告された人にたくさん聞きたいことがあるように、私にも死にたいと思ってる人に聞きたいことがたくさんある」
そこで言葉を切って、愛梨は僕の反応を伺うように上目遣いで僕を見つめる。僕はその視線にどう反応して良いか分からず、ただ黙って彼女の言葉の続きを待った。
「だから、お互いたくさんお話しましょ。どうせ死ぬもの同士なんだから遠慮なしでいいよね」
そう言うと愛梨は窓の外に視線を投げた。釣られて外を見ると、空に飛行機雲が白い筋を描いていた。二つのエンジンから伸びた雲は初夏の風に乗り、青い大きなキャンバスに二筋のラインをくっきりと残している。
なんだか調子が狂わされた僕はグラスに残ったアイスコーヒーを流し込むと、伝票を持って立ち上がった。
「ごめん、今日はこれで」
「え、もう帰るの?」
愛梨は驚いたような声を上げると僕を引き止める。そして少し寂しげな表情を浮かべて言葉を続けた。
「まだ来たばっかじゃない。時間も余ってるよ?」
「聞きたいことたくさんあったけど、愛梨のそういうポジティブなところ見てたら、なんかどうでもよくなった。愛梨に投げかけるべきなのは、もっと別の質問なんじゃないかって。……だから今日はもういいや」
封筒に入った札を彼女の前に置くと、僕は踵を返して歩き出す。
本当はもっと彼女と話していたかったが、あれほど心の中を見透かされると色々な感情が溢れてきていても立ってもいられなくなったのだ。
気を抜くと、愛梨の前で涙を見せてしまいかねなかった。
「あ、遥斗くん!」
そんな僕の背中に愛梨は声をかける。僕が足を止めると、彼女は言葉を続けた。
「また会いたいな。私も質問いっぱい考えてくるから!」
「……気が向いたら」
振り返らずにそう返すと、僕は馴染みの喫茶店を後にした。
果たして僕は『レンタル』に過ぎない愛梨に何を求めていたのだろうか。自分のことながらそれが今はよく分からなかった。
ふと空を見上げると、先ほどの飛行機雲は風に流されて消えかけていた。





