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53.拘束

後ろ手に拘束されている両掌の小指側に僅かに込めていた力を抜くと、手首と縄の間に隙間が生まれる。ギュッと親指と小指の根元を寄せるように掌を縮めて、マクシミリアンはその隙間から手を引き抜いた。パラリと両手首の縄を落としてから静かに起き上がり、続いて脚を拘束する縄に手を掛ける。薬で眠っている筈のマクシミリアンがそのような小細工をしているとは気付かず、縄を手にした者はしっかり彼を縛り上げたと思い込んでいる筈だ。


自由になった脚で音を立てずに立ち上がり扉の向こうの気配に耳をそばだてると、大きな物音はほとんど聞こえない。とは言っても全く人がいないと言う事はあり得ないだろう、おそらくマクシミリアンが拘束されているこの控室の扉の前、若しくは廊下の奥の黒髪の護衛コルベの客室の前には見張り役がいると思われる。薬を盛って手足を拘束している状態だからと、多少油断して一~二名しか配置していないかもしれないが。気配の薄さからマクシミリアンはそう推測した。


腰に佩いていた剣と足元に仕込んでいた短剣は、案の定奪われている。けれどもマクシミリアンは慌てず出入口の近く、厚い敷物の下を探り一振りの細身の短剣を見つけ出した。お茶を零したメイドが足元を拭く振りを装って仕込んだ物だ。そう、そのメイドの示唆で提供された飲食物に薬が仕込まれている事を確信したのだ。

勿論その可能性については彼も既に考慮はしていた。フリーダがライムントを煽った時点で何か仕掛けられるのではないかと。しかし少なくともまだ交渉する余地が無い訳では無い。王都への報告内容が確定するまで様子をみるのではと予想していたのだが―――思った以上にヴァルドール領主は狭量で堪え性が無い性質らしい。それとも真面に査察を受けられない理由が多過ぎるのか……。


拘束を受けた後の隣室の気配から察するに、実際に少量でも薬を摂取してしまったフリーダはつい先ほど部屋から連れ去られてしまった可能性が高い。理解し難いが、彼女はわざとそうしたのだ。しかしマクシミリアンもただ手をこまねいていた訳では無い。客室に移動した直後に黒髪の護衛騎士、コルベに言伝を頼み騎士団へと渡りを付けて貰った。おそらく騎士団から助勢が駆け付けている筈だ。何を起こすにしても、領主館の客室やそのほかの部屋で犯行に及ぶとは考え難い、もし彼女に害を為すなら領主館から外で起こった物と装うだろうと考えている。だから騎士団には領主館から連れ出された場合、そちらを追うようにお願いしてあるのだ。

外敵が領主館を襲ったと装いフリーダに害を為す事も考えられたが、物音からそう言う展開に至らなかった事は分かっている。その場合は、マクシミリアンも黙ってはいないだろう。直ぐに制圧する構えであったが、たぶんそうはならないだろうとも考えていた。領主館内で大事な査察担当官が害され、しかも領主が無事だと言う状況はあからさま過ぎて疑念を抱かれる。なら何かしら細工が必要だと考えるだろう……例えばフリーダ自身がお忍びで自ら外に出て、その場所で野盗などに害されるなど。これも冷静に考えれば無理があるのだが、おそらくライムントは不自然な部分は無視してその論理で押し通すつもりなのだろう。

一番拙いのは領主館の別室にフリーダを連れ込まれ監禁や拷問を行われる事だが、その場合王立騎士団に見つかれば言い訳が効かない。何より其処まで豪胆な男であれば、『小娘』であるフリーダに賄賂を贈りこびへつらう真似を最初から選ばないであろう。それに館内であれば、おそらくあの『メイド』が何等かの対処する筈だ。だから彼は先ず、敵を油断させる方法を選択したのだ。


マクシミリアンは気配を消して扉の取っ手に手を掛けた。一気に飛び出て見張りを捕らえ、黒髪の護衛を連れてフリーダを攫った者達を追うつもりだった。

短剣を構えバッと廊下に飛び出した。が、足元を見ると既に気を失い、捕縛された領主館付きの騎士が壁際に打ち捨てられているのを発見した。




「遅い!」




低い声が背中に掛かり、ゾワリとマクシミリアンは背を震わせた。クルリと振り向くとメイドのお仕着せを脱ぎ、動きやすい男装に身を包んだコルドゥラが剣呑な視線を彼に向けて立っていた。捕縛した護衛騎士から奪ったらしい剣を、ベルトごと彼の目の前に突き出している。


「姉上……」

「そいつを控室に放り込んで。行くわよ」


メイド服を纏っていたのはマクシミリアンの恐ろしい姉の一人、コルドゥラ=コリントであった。最初似合わないメイド服を纏って楚々とした態度で頭を上げた彼女を目にした時は思わず嫌な汗が背中を滑り落ちた。扉越しの声で気付かなかったのは、分厚い扉の所為ばかりではない。いつもの威圧感のある声音と全く違う柔らかな口調は別人のようだった。しかし目を合わせた時、その瞳の奥に宿る殺気にも似た迫力に、蛇に睨まれた蛙のような気分になった。まさか姉がこの辺境に現れるとは考えていなかったが、現れたと言う事はそう言う事なのだろう。彼女もカー、若しくはその周辺の者から命じられた協力者なのだ。


「待ってください」


説明も口にせず歩き出そうとする彼女に、マクシミリアンは言った。


「奥の部屋に査察担当官の護衛が」

「コルベ様はもう後を追っているわ。グズグズしている暇は無いわよ」

「……」


それならば何も言う必要は無い。マクシミリアンは芋虫のように転がされているヴァルドール領の護衛騎士を控室に放り込み、大人しく彼女に続いてひと気の無い廊下を走ったのだった。




※誤字修正 2017.10.10(和様へ感謝)

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