28.糾弾
「可哀想に。君が不躾にジロジロ見るから、逃げたんだよ」
「―――」
「分を弁えるって事を知らないのかい?子爵家出身の見習い騎士如きじゃ、そんな簡単な事も判断できないようだね。全く嘆かわしい限りだ―――彼女が言った通り、確かに私達の縁談はまだ本決まりでは無い」
アロイスは優雅に目を細め、微笑んだ。
「勿論彼女に縁談を持ち掛けているのも、私だけじゃない。『アドラー家の至宝』を手に入れたいと訴える条件の良い男はこの王国にはごまんといる。けれども私は確信しているよ―――彼女はその並みいる候補者の中から―――確実に私を選ぶ、とね」
マクシミリアンは高慢に言い切る、不遜な男を訝し気に見やった。
「それは己惚れ過ぎと言うものだろう」
クラリッサを誰にも渡さないと、マクシミリアンは決意を固めたばかりだった。その気持ちに揺るぎは無いし、何としてもカーの条件をクリアし断行しようと考えている。その前にクラリッサに求婚し、同意を得なければならないが―――先ほどのクラリッサのよそよそしい態度には正直不安しか煽られない。だがその不安も自分の決意も、目の前の得体の知れない男にわざわざ明かしてやるつもりは無かった。
しかしまるでマクシミリアンの胸の内まで見透かした、と言うかのような薄ら笑いはどうにも気味が悪くてしょうがない。
「君には気の毒だが、これは確実な話だ」
「何故そんな事が言える?」
「婚姻後の交友関係に口出しはしないという条件を出した」
「……条件?」
マクシミリアンの眉根を寄せた怪訝な表情と対照的に、アロイスの薄ら笑いは至極楽しげにも見える。
「あれほど美しい令嬢を娶ったならば、男色家でも無ければ政略結婚だと割り切れる男は滅多にいまい。例え彼女が単なる友人だとしか思っていなくても、自分の魅力的でこの上無く美しい妻に気のある男を近づける間抜けはいないだろう」
口元だけ余裕の微笑みを湛えたままアロイスは射るような鋭い視線をマクシミリアンに投げ掛けている。その視線は、その男がつまりはマクシミリアンなのだと告げている。マクシミリアンはその視線を受け止め、ほぼ殺意に相違ない物を込めて睨み返した。
「彼女に私はこう提案したんだ―――彼女の交友関係に口出しはしない、と。見習い騎士でも何でもただの友人であれば、お茶に呼ぼうがダンスをしようが構わないって。なんなら、そうだなぁ……彼女専属の護衛騎士に雇ったっていい。そうすればその愚かな男は、ずっと彼女の傍にいられて実に幸せな一生を送る事だろう―――まあ、男として指一本彼女に触れられはしないだろうけどね。優しい彼女は自分の崇拝者を切り捨てられないからねぇ……多くの飼い犬のうちの一匹だと思えば―――駄犬が混じっていても何ら支障がある訳では無いと思ってね」
まるで酩酊しているかのように滔々と語る男の話を、マクシミリアンは目を逸らさずに聞いていた。そして冷たい表情のまま―――ツカツカと歩み寄りその胸倉を掴んだかと思うと、そのまま無言でググッとアロイスの体を持ち上げた。
「……!……」
マクシミリアンよりアロイスの方が少し背が高い。しかしマクシミリアンはじりじりと彼の胸倉を持ち上げ―――アロイスの脚がついにバルコニーの床から浮いた。
苦し気な表情でマクシミリアンを睨みつけるアロイスを、冷静に睨み返し―――次の瞬間、マクシミリアンは相手の体を突き放す様にして手を離した。
よろめいて後ろに下がったアロイスは、かろうじて床に膝をつかないよう何とかその場に堪え、手摺に身を寄せる。
「っげほ!……くっはぁ……この馬鹿力が……」
暫く詰まった肺と喉を正常に戻そうと荒い息を繰り返し―――それから息を整えてゆっくりと姿勢を元に戻す。それでも未だ苦し気に喉に手を当てて、呼吸を何とか制御しようと努力しつつ顔を上げた。
マクシミリアンを正面から見るアロイスの顔には、既に余裕の表情は失われていた。
憎々し気にマクシミリアンを睨みつけると、吐き捨てるように言い放つ。
「少し煽れば直ぐに身分の隔たりも忘れて、実力行使に走る―――これだから俺はお前が嫌いなんだ」
袖口でグイっと口元を拭う仕草は、これまでのアロイスに見られないような粗野な物だ。
「仮にも身分制度に身を置くなら、本来の家格に合った爵位を得てしかるべき地位を得るべきだ。コリント家の扱いは我が王国で例外でしかない。王家の信任が厚く、有事には将軍職も任じられ―――だと言うのに見合った爵位も受け取らず、事が終われば王から賜った将軍職でさえ簡単に返上してしまう。お前達は面倒な責務は果たさずに、気分次第で権利だけは一丁前に行使しようとする。だから私は―――お前達、コリント家のやり口が気に入らないんだ」
其処には彼が常に湛えている、奇妙な自信や余裕は見られなかった。
アロイスは先ほどからずっと浮かべ続けていた薄ら寒い微笑みをかなぐり捨てて、マクシミリアンを殺意すら籠めて睨みつける。
「コリント家の人間は自己満足で実力を誇示しておきながら、義務を放棄する―――王国の貴族制度を愚弄する卑怯者の集まりだ」




