22話
私が怪我を負って入院していた時に駆けつけてくれたという凌太。
飯島先生から教えられた過去の事実を信じられない気持ちと、高校時代の凌太だったらきっと駆けつけてくれると思ってしまう私の気持ちがせめぎ合って、もやもやしてくる。
もし駆けつけてくれてたのなら、どうしてそれを言わなかったんだろう。
合鍵を使って無理矢理この部屋に入ってきた時からずっと、何も知らないような顔で私に執着して威圧して。
凌太が思うがままの毎日を私に押し付けてきたんだろう。
そう言えば、刺された時に胸元とお腹に負った傷跡は、今でもはっきりと残っているのに、凌太はその傷跡について尋ねた事はなかった。
かなりくっきりとした傷跡だから、絶対に気づいている筈なのに。
何度も身体を重ねているのに、一度も傷跡の事を口にしたことがない。
愛し合ったあと疲れた私がうとうとしている時に、凌太はその傷跡を、優しく指先で撫でていると感じる事もあった。
はっきりと目が覚めている時にはそんな仕草に気付いた記憶はないから、きっと私が眠っている時を狙っての仕草なのかもしれない。
私が刺されて入院した時も、自らの命を絶とうとして再び病院に運び込まれた時も。
心を痛めて涙を流してくれたという凌太が、どんな思いを抱えて傷跡に触れていたのか。
考えれば考えるほど、煮詰まってくる自分の気持ちの折り合いがつかなくなる。
考えてもどうにもならないと、自分を無理やり納得させて、単調に手を動かして、凌太がリクエストしたピカタを作る事に集中した。
* * *
「五目煮もあるから食べて。お味噌汁も持ってくるから」
キッチンのテーブルに、急いで作ったピカタと冷蔵庫に残っているおかずを幾つか並べていると、凌太が嬉しそうに席について箸をとった。
何度となくこのテーブルに向かい合って、二人で食事をした。
その度に私の料理をおいしそうに平らげた凌太。
「やっぱこの……ピカタ?絶品だな。うまい」
今日も、いつものように、いつものペースで食べている凌太なのに。
向かいに座ってお茶を飲む私の心はいつもと同じと言うわけにはいかない。
飯島先生から聞かされた驚くべき事や、そこから推測してしまった事で心はいっぱいになっている私は、普段とは違う目で凌太を見てしまう。
これまで、凌太を知らないままで、振り回されるままだった自分とは違う自分がここにいて、凌太に向かって何をどう切り出せばいいんだろうかと、ただ悩んでる。
「この週末は来れないけど……沙耶、大丈夫だよな。俺来なくても、平気だよな」
私の作った料理に箸をすすめながら、凌太がそう言った。
私の目を見ず、俯いてる様子からは、その表情は見えない。
「平気……だよ。普段も一人だから、平気」
「だよな。俺が押しかけるまではずっと一人で暮らしてたんだしな」
「……凌太?」
「だめなのは、俺のほうだよな」
自嘲気味に顔を歪める凌太は、単に疲れているだけではないような重い口調でぽつりと呟いた。
だめって……何がだめ?
「きっと俺、次に会える時には沙耶が足りなくて死にそうになってると思う……なんてな」
「凌太……あのね、あの、私が入院……」
ちっとも私を見ようとしない凌太に少し不安を感じてしまった私は、昼間からため込んでいた疑問を口にしようとした、けれど。
部屋中に響く玄関からのチャイム。
凌太と二人して、飯島さんの時と同じようにモニターに視線を向けた。
どうして、こう、いつも私が大切なことを口にしようとする度にチャイムが鳴るわけ?
無視して凌太への言葉を続けようとしたけれど、何度も鳴り響くチャイムの音のせいでそれもできない。
「あー。ほんと、誰だろ」
モニターの前に立つと、見知った顔があった。
「凛花?」
慌ててマイクをオンにした。
「凛花、どうしたの?何か約束してたっけ」
「はあ?様子がおかしいから早退させたって香織さんに聞いたから慌てて来たのっ。
で?何があった?聞いてあげるから早く開けて」
荒い口調と心配げな表情がモニターから伝わってきて驚いた。
そう言えば、自分の落ち込みに落ち込んだ気持ちへの対処だけで精いっぱいだったせいか、凛花には何も言わずに早退したな……。
私が入院した二度の悲しい時を、凛花はずっと付き添ってくれた。
入院中も退院後も、着かず離れずの距離感で、私の心の変化を注意しながら見守ってくれている。
私がまたばかなことをしでかさないかと、絶えず心を寄せてくれる。
今日も、突然早退した私を心配して駆けつけてくれたんだな、きっと。
いつまでも、周りに心配ばかりかけてる自分が情けない。切ない。
「……ごめんね、心配かけて。私は大丈夫だから」
「言葉はいいの。ちゃんとこの目で確認したいからすぐに開けなさい」
低いその声には、固い意思が感じられて、凛花の言葉に従うより仕方ない……。
「開けるけど……驚かないでね」
「は?」
「えっと……それと、いきなり『疫病神』なんて言わないでね」
「……もしかして、そこにいるの?」
「……いる」
私の小さな声には、確実に凛花の気持ちを怒りで染める力があったようで。
モニター越しにも、凛花の顔が真っ赤になったのがわかった。
「なら、尚更早く開けなさい」
「……」
一階の入り口のドアのロックを解除して、凛花をマンションの中に入れた。
と同時に振り返ると、苦笑交じりに見ていた凌太と視線が合った。
「……疫病神って、俺のことだよな」
自嘲気味に呟く凌太は、どこか切なげで、いつもよりも小さく見えた。




