15話
部屋に戻っても、私と凌太の雰囲気はぎこちなかった。
私が結婚しないと言い切った事によって、凌太は何かを考え込んでいた。
結局、飯島さんとはお礼を言ったあとすぐに別れたけれど、凌太はいつになく静かで、飯島さんの存在を必要以上に重く考えてるように見える。
「弁護士って、すごいな」
距離感のある雰囲気のまま、向かいあったテーブルでシューマイを食べていると、凌太は呟いた。
「ん……?飯島さんの事?」
「そう。格好いいよな、弁護士バッジつけて颯爽としてて。おまけに顔も良かったしな。前もそうだったけどな……」
「え?前?飯島さんに会った事あるの?」
「あ、……いや、ない。会ったことない……」
「そうなの?」
少し慌てている凌太の態度が気になるけれど、私と目を合わさないままの凌太の表情がはっきり読み取れないし、声音からは弱々しい気持ちしか伝わらない。
強気強気で責めてくるばかりの凌太しか知らなかったから、その弱さに驚いて、箸を持つ手も止まってしまう。
さっき、飯島さんに向けた礼儀のできていない強気な言葉にも驚いたけれど、今の凌太の様子だって、どう受け止めていいのかわからなさ過ぎる。
「えっと、飯島さんは、事務所でもやり手の弁護士さんで、将来有望かな。どうしたの?飯島さんの事、気になる?」
「まあ、な。男からみても格好良かったし、誠実そうだしな。おまけに沙耶の事……」
「え?」
「いや、いいんだ。なんでもない」
なんでもないと言いながらも、相変わらず私を見ようともしない凌太。
こんなに力の抜けている凌太を見るのは、再会以来初めての事かもしれない。
俯いて、ただ淡々とシューマイを食べてるだけ。おいしいのかおいしくないのかもはっきりと言わないのも珍しい。
「凌太……?」
思わずそう声をかけてしまうけど、そんな私に気が付かないように、心は何かに奪われているようだ。
「そうだよな。やっぱり、無理だよな」
独り言のようにぽつりと呟いた。
「あの、凌太、どうしたの?そんなに、私が結婚しないって言った事が嫌だったの……?」
思い当る事はそれしかない。飯島さんに言いきった私の言葉に、目を見開いて、息をとめていた凌太は、黙ったままその私の言葉を受け止めようとしていた。
今日の、ううん、再会してからの凌太の一方的な態度や言葉に慣らされてしまっていた私は、飯島さんへの私の言葉を頭ごなしに否定する凌太の言葉が落とされる事を覚悟していたけれど。
凌太は、驚く飯島さんを傍観するように立ち尽くしていただけだった。
部屋に戻っても、私の言葉を問いただす事も再び結婚の事を持ち出す事もなく、不思議に落ち着いた態度でいる凌太にどう接して良いのかわからない。
「沙耶が、あれだけはっきりと言い切るんだから。それが本音なんだろうな」
「……?」
「俺と、結婚しないって気持ち。変わらないか?」
「凌太……?」
「目の前に、沙耶を気に入ってるとまるわかりの男がいて、それが良い男で、おまけに俺は結婚しないなんて言い切られて。俺が言える立場じゃないんだろうけど、へこむ。沙耶の事、好きだから余計にへこむ」
「どうしたの、突然……凌太らしくないよ」
凌太は、箸を置くと。グラスに入っているビールを一気に飲み干した。
そして、ようやく私の目を見つめて。
「俺と別れてもずっと、男の影がない事に安心してた。6年間、他の男と付き合うことも、なびくこともない沙耶は俺だけを待ってるって安穏としすぎてたんだな。……一年前、無理矢理押しかけて抱いて、それでも俺を突き放さない沙耶に対して調子にのってたな、俺」
「あ……あの、凌太……?6年間って……?」
「沙耶を裏切って別れた後、ずっと沙耶の事見てたんだ。千絵さんが協力してくれて」
意を決したように、そう打ち明ける凌太の言葉は、まるで外国語の様に私の耳に入ってきた。
私を見てきたって言ったよね。千絵おばさんの名前も出たよね……?
どういう事?
私を裏切ったのは凌太なのに、どうして別れた後も私を気にかけてたの?
「凌太……?何を言ってるの?」
向い合せに座るテーブル越しに、凌太が体を私に近づけて、そっと手を私の頬にあてた。
優しく撫でてくれる仕草は、高校時代に何度も与えてくれた優しさのように感じて、胸が痛くなる。
目を細めて私に視線を投げる凌太の表情も、穏やかさしか感じられなくて、昔大好きだったそのままの凌太を思い出す。
高校時代の、ただただお互いの存在だけが大切で、周りの雑音もしがらみも何もない、幼い恋愛を楽しんでいたあの頃の凌太が、今目の前にいるような気がする。
「沙耶が俺の部屋から荷物を持ち出して、別れるって言った時にようやく気付いたんだよな。
沙耶の事が一番好きだって。だから別れたくはなかったけど、そう仕向けるような事を俺はしていたから、自業自得だって諦めたんだ。
あの時一緒にいた彼女とは、あれからすぐに別れたんだ。あの彼女は俺の事を本気で好きになってくれたから、かなり傷つけたし振り回しただけで、本当に申し訳なかったんだけど。
俺は、沙耶を取り戻したくて必死で彼女を説得して。何度も泣かれて責められて。
それでも俺の気持ちは沙耶にしか向かないってわかってくれて……本当、傷つけた。
で、彼女と別れた後、沙耶を取り戻したくて、土下座してでもわかってもらう覚悟で沙耶の部屋に行こうとしていた時に……。
沙耶の両親が事故で亡くなったって、千絵さんから連絡が入ったんだ」
わざと感情を含まない声を作っているのか、気持ちの機微を読み取る事はできないけれど、凌太が当時の事を振り返りながらつらそうにしているのはわかる。
あの時……凌太が私を捨てて選んだ女の子をかなり傷つけていたことを聞いて、私も傷ついた。
当時私だけでなく、あの女の子も傷つけ泣かせていたと聞いて、そんな凌太に怒りを覚える。
二人とも傷つけるなら、どうしてあんな曖昧に二股なんてかけたんだと、どうしようもなく切なくなる。
そして、あの不安げに凌太と寄り添っていた彼女の顔が、ぼんやりと浮かんできては悲しい気持ちが溢れる。
最低だ。男として、凌太はどうしようもなく最低だ。
私の中に膨らんだ、そんな落ち込む感情に振り回されて、どうこの気持ちに折り合いをつけていいのかわからないけれど、それ以上に、どうして?
どうして私の両親が亡くなったって、千絵おばさんがわざわざ凌太に伝えたのかが、わからない。
私のそんな疑問を予想していたかのように、凌太は言いづらそうにしながらも、重い口を開いた。
「高校生の時、俺と沙耶が付き合ってた事を、俺の両親も千絵さんも知ってたんだよ。
そして、将来俺たちが結婚する事を望んでたんだ」
「え……?」
抱えきれない、予想もしなかった事実がどっと押し寄せて。
私の全てはいっぱいいっぱいだった。
「俺らの両親や千絵さんが、俺と沙耶の事を知っているってのが、たまらなく嫌で嫌で。
俺は逃げたんだ。子供過ぎて、甘ったれていた俺は、逃げたんだ」
ただでさえ混乱している私に、凌太の言葉は更に追い打ちをかけた。




