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ヘタレ剣道一本勝負  作者: 八雲 辰毘古
入段試験:歴史が継げない僕らについて
8/23

第8話.夜は短し、叩けよ偉丈夫

 練習。練習。練習。それは学校終わりからすぐ、十六時から十七時に掛けて行われる。


 中学一年生はその後に来る十七時二五分の優先スクールバスがある。だからそのために帰れと言われるのだけれど、公式戦のレギュラーになると少し事情が変わる。実はバスの時刻表は十八時がラストである。

 ということは、少なくとも先輩方含めレギュラーメンバーはその時間の一〇分前まで猛練習に励んでいることになる。高等部になると先生がきちんと面倒を見るという前提で、十九時までみっちり稽古をするというのだから驚きだ。


 もちろんこれは公式戦の一ヶ月前、レギュラーのみで、しかも本腰を入れる期間に限っての話──しかしだからと言って非レギュラーが全く無関係というわけではない。


 まず先輩方がピリピリする。さいわい中等部と高等部の公式戦は時期が一ヶ月近くずれているので全員が全員ピリピリしているわけではない。ただ、中等部の練習には高等部の先輩が付き合うわけなので、そこそこの交流ややりとりは起こる。

 次に、一年生は部活動では下働きなので、毎朝最初のバスで登校を強いられる。七時二十分に埼玉の川越付近。ぼくの家からそこまではおおよそドアからバス停までで五〇分近く掛かる。これは人によってまちまちだが、通学者にとってはこの時間はマストだ。もちろんバスはそれ以降も続々と出ており、最後のバスは八時三〇分。この期間、おおよそ一〇分に一本の間隔で車両が出る。


 つまるところ、ぼくにとって学校生活とは朝五時半に起きることから始まるのだ。


 だってご飯を食べなきゃいけないし、パジャマから制服に着替えなければならない。学校では勉強するわけだからそのための道具や教科書ノート一式を用意しなければならないし、忘れ物がないか点検しなくちゃいけない。よく大人のひとが「中学高校時代に戻りてー!」と叫んでいるのをみると、この人たちはどんな学校生活を送っていたのだろうかと目が細くなる。少なくとも彼らが妄想している青春とは、こんなスパルタ式の訓練生活のことではないはずだ。そして彼らが漠然と思うほど、イマドキの学校生活はラクでも楽しくもないのである。


 さる通信教育機関に拠る資料に基づくと、ここ数年の中学生の平均睡眠時間は七時間三十分。だいたい二十三時ぐらいに寝て、六時半に起きるのが平均値らしい。

 ぼくは、しかし五時半起き(もちろんそんなにうまく起きれるわけがない。母親に叩き起こされるのが八割だ)で、寝るのがよくて二十三時である。ということは、平均より一時間少ない。さいわいぼくは東京から埼玉に行くルートなので登下校空いた電車で過ごすことができたが、これが満員電車だとしたらもはや正気でいられるわけがない。もちろんぼくだって、空いているから良かったねというわけにはいかず、これから始まる学校生活に部活動に対して空想たくましくして、鬱々とした登校通路になるわけだ。


 眠気もある。ぼくはさっき寝るのが二十三時と書いたがこれは良ければの話。なにせそれまでやっていた国語算数理科社会、これに加えて英語をやらなきゃいけなくて、おまけに算数が数学に変わっている。部活動がキツいどころか、日々の学校の授業だって追いつけるかどうか怪しい。使う漢字も増えて、考えなきゃいけないことも増えていく。そのくせ時間は待ってくれない。先生方も容赦なく宿題を積み上げる。

 ぼくは最初のうちは宿題をまじめにこなし、定期考査を八割五分の平均点で取ってくる〝良い子ちゃん〟だった。ただ、これでも小学生時代は手抜きで全教科満点だった。シンプルに腕が落ちている。いや、学ぶ教科のレベルが上がったのかもしれないが。


 ところが第二回定期考査を前にして、ぼくは早速やばいなという感じがした。


 ひとつは部活動にめちゃくちゃ勉強時間を取られていること。これは単に稽古で時間が取られているというだけではなく、稽古以外の部活動や、そのためにやりくりしてる時間、そして何より、稽古で疲れて何もできない時間でボーッとしているせいで勉強なんてしようがない、ということが続いたせいだ。

 そしてもうひとつは、授業中、眠くてとても集中できたもんじゃないってこと。なにせ毎日土日祝日関係なく稽古、稽古、稽古である。もし運動部を本腰入れている人間がいても、土日多少勉強すればなんとかなったかもわからない。でも、ぼくのいた剣道部は、それすらもできない。日曜も朝九時から十二時まで稽古、その後掃除と洗濯。帰宅するのは早くて十五時だ。


 もちろん、そんなに早く帰ろうとするほど、ぼくの意識は高くない。帰りに古本屋でマンガを立ち読みするぐらいには、帰宅早々ゲームで時間を潰してしまうぐらいには、水曜午後六時から始まるクイズ番組から次のバラエティーコント番組まで、立て続けに座って見てしまうぐらいには、ぼくはほどほどに娯楽に流されやすくて意志が弱い、ごくごくありふれた中学生だった。なんなら土日はテレビで放送されたアクション映画をかじり付くように観ていた。それが終わる頃には、二十三時である。


 いつしかぼくのボキャブラリーは、学校で習う英単語や漢字の数より、テレビで爆笑したコントネタや吹き替え映画の決めゼリフ、テレビゲーム中にぼやく独り言のほうが増えていった。授業をまじめに受けることがだんだんめんどくさくなり、授業合間のクラスメイトとの会話の方がおもしろくなり、いかに親や先生にバレないで自分だけの、自分たちだけの価値観に染まれるかが大事になっていった。おそらく中学生とはそんな生き物なのである。


 さて、ぼくはそういう繰り返しの中で、すっかり自分がいつ、どこにいるのかわからなくなってきていた。季節の変わり目は雨が多いな、とか、よく晴れてて暑いな、ぐらいの差分でしかなく、授業終わりの稽古は鬱々として始まる。中嶋の面打ちはいつもこぶができているのではないかと疑うほど痛くて、思ったように動かない身体に、まさかの同級生から叱られる始末だった。


 先輩方は「そんなに怒らんでも」と言った様子で中嶋を見ている。しかし中嶋は中嶋で、夏野先生から「動きがトロい!」と理不尽に怒鳴られている。

 顧問の掛ける期待の大きさが、その怒鳴り声の大きさと重なっていた。そしてその重圧を横流しにするように、中嶋のストレスはぼくに向かって叩き込まれた。


 それでも、面白いことに中嶋はぼくの愉快な友達でもあり続けた。


 なにせ同じクラスメイトなのである。ただいつでもどこでも一緒というわけではなく、最初の席替えがあるまではとにかく席が前後ろでくっついていて、話す相手がいないからとりあえず話したというような、そういう距離感にあった。

 趣味も違う、考えも違うというのもあった。ぼくはロールプレイングゲームが好きだったが、中嶋はFPSというシューティングの中でも没入感のかなり濃いゲームの熱烈なプレイヤーだった。なにぶん英語版のゲームをやり込むほどで、ずいぶんあとになって彼のうちで遊ばせてもらったことがあるが、一人称視点でやるためかやたらと目が回った記憶がある。そして彼は大のミリタリーオタクであり、なぜかこれから流行るマンガに対してものすごく敏感だった。


 大木と湯浅は別クラスだったが、このふたりがぼくたちに対して取る距離感もまた不思議なものだった。


 大木はもう隠したって仕方がないのだが、十二分に陰キャでオタクだった。美少女アニメを好き好み、深夜アニメをシーズンごとで網羅し(当時はまだアニメの本数が少なかったのでまだ網羅しやすかった)、そのくせその趣味を決して全開にはできず、部活動になるとあえて寡黙(かもく)に振る舞う。

 ときどきぼくと共通のアニメの話になると、彼は自分がツボに入っているキャラクターのセリフを二重三重に繰り返して無言の理解を求めてるのだが、ぼくはそこまでアニメが好きだったわけではないので妙にチグハグした空気感になってしまう。それをうまくいじって笑いにしたのが中嶋で、気がついたら休み時間中にちょくちょく大木が中嶋の机に遊びにくるようになっていた。なんだお前は、金魚のフンかコバンザメなのか。


 湯浅は湯浅で独特な世界観があって、かなりマイペースである。ぼく自身、好き好んで彼と喋る機会はなく、まだ人柄を掴みかねている部分がある。

 しかし彼は中嶋には謎の対抗意識があるらしく、絶妙な部分で張り合う。例えば、腕の長さとか、腕ずもうの強さとか。


 一時期は朝の洗濯(前日の先輩方の道着袴を洗うのだ)では、「どっちが早く洗濯物を干せるのか」を競っていたし、ぼくや大木を交えて雑巾掛けレースなんかを始めることもあった。中嶋は体格の都合でいつも雑巾掛けが遅い。そしてなぜか、こういう稽古以外の競争ごとになると、大木が強いのだ。


 こんな毎日を繰り返していると、楽しいことも苦しいことも、ごちゃ混ぜになってきて、いつどこで誰が何をやったかなんてことがあやふやになる。そのうちコーヒーに混ぜたミルクと砂糖のように、苦いと思っていた思い出も甘くてコクのあるようなものに勘違いしたくなる。しかしよくよく考えてみてほしい。ぼくはまだ中学一年生の、そしてこれは入部してからわずか二ヶ月程度しか経っていない頃なのである。


 ぼくが稽古をキツくて嫌だなと思っていたのは、単にぼくが運動部嫌いなだけではなくて、そして中嶋の目線が辛かったからでもなくて(それもあるが)、なによりシンプルに稽古がキツかったからだ。剣道部という活動が、その他の学校生活に大きく食い込んで来て、ひたすら竹刀を振り続けたような記憶しか残ってないからだ。


 面を打つ。小手を打つ。胴を打つ。小手面。小手胴。道場の端から端まで打ち込む。掛かり稽古。連続して。とにかく打ち込む。息が切れてもなお──


 先輩方がぜえぜえ息を切らしてもまだ、どこか余裕のありそうななか、ぼくや中嶋はすでに全身が悲鳴を上げていた。息を吸えば肺が痛くなり、息を吐けば声にならずに怒られる。頑張ろうという気持ちは空回りし、うまく動いてくれない身体に鞭打って、それでも苛立ちが勝ってしまう。だからぼくは理不尽に怒鳴る中嶋に対して、逆に怒り返すつもりはなかった。ただふがいない自分を責め、申し訳ない気持ちでいっぱいになっていた。


 こんな自分が、いつか先輩方と同じ目線に立つことがあるのだろうか。そんなこと、夢のまた夢なのだろうか。

 何度もサボりたくなっていた。努力が報われないなんて何度思ったことだろう。それでもとにかく行ってみた。というより、行かなかったあとのほうが怖かったので、サボる勇気がなかったのだけれども。


 ある日の稽古のことだった。それは県大会の一週間前で、追い込みの時期だった。だからもちろん、技練習もひとつひとつに対して夏野先生が「声を出せ」とか「足を止めるな」とか「型を崩すな」と叱咤激励を飛ばしている。それは非レギュラーに対しても容赦がなく、ぼくと中嶋は内心ひいひい言いながら稽古に励んだ。ぼくは弱音が出ていたのだけれど。


「辛いのは誰だって同じなんだぞ」


 中嶋がボソッと言ったことが、ぼくには物凄く深く刺さった。


 十七時になった。夏野先生が全員を集めて掛かり稽古をさせた。


 掛かり稽古とは、「元立ち」という受け手に対して「掛かり手」がひたすら技を打ち込んでいく稽古のことだ。それもひと息で、だいたい十秒から二十秒近く絶え間なく連続して、ありとあらゆる技を叩き込む。面打ち、小手打ち、胴打ち。この三本を基礎として、面から引き面、小手面から体当たり、体を捻って引き胴、面を打って元立ちの身体を通り抜けてすぐ振り返る……と言った動きをし続ける。ぼくはこの時間が大嫌いだった。

 これを大木と、中嶋とでやる。ぼくが大木に打ち込むときは、まあまだいい。ぼくが中嶋の元立ちになるともう大変だ。なにせぼく自身がろくな元立ちにならない。面を打たれてくらくらしているうちに小手面を打たせようと身構えなくてはならないし、その小手面だって小手を外される。体当たりで体は吹っ飛ぶし、そのまま引き胴を打たせようとしてもすでに吹っ飛んでるから中嶋の竹刀は空を切る。これでは稽古にならない。ただ同級生が同級生をいたぶっている構図でしかない。


 当然夏野先生はこれを見逃さない。「星野、もっとしっかりやれ!」「はい!」もうぼくは稽古中はイエスマンになるしかなかった。何を言われても大きな声で「はい!」と言う。それが小さければやり直しになる。


 それが一通り終わると、今度は相掛かり稽古である。これは双方が掛かり手として手を止めない。もちろんぼくは大木と中嶋を相手にこれをやる。はっきり言って、体格差が違うふたりをまともに相手するのは、死ぬ。

 力が入らない。簡単に吹っ飛ぶ。押し潰される。足が棒になる。それでも振るから腕だけになる。それを指摘されて怒られる。うひゃー、もう勘弁してくれよ!


 しかし稽古はこれで終わらない。最後に、夏野先生にみんなで打ち掛かる。そんな日もあるのだ。そうなったらもう、涙が出そうになる。

 実際に出るのは汗だ。涙に割く水分なんて、もう残っていない。ぼくの番になる。とにかく面を打つ。「振りかぶるな!」そう、実戦の面打ちは振りかぶるのではなく、最短距離で相手の面を打ち抜かなければならない。しかしぼくはそんなことをしたら身が持たない。手を抜いてるのがバレそうになってぼくはあわてて振りかぶらずに面を打つ。だが、疲れてるせいで、打ちが浅い。


 打つたびに摺り足は加速し、先生の脇を抜けなければならない。これは実戦でも面を打ったあと、「残心」をしなければ勝ち点にならないからだ。しかし度重なる稽古と雑務でくたびれたぼくの身体は、のっそりと機械的な反復横跳びのような動きしかしない。すかさず夏野先生の竹刀がぼくのお尻を叩く。鞭で打たれた馬や牛のようにぼくは走る。

 振り向こうとする。道場の床は先輩方の汗で濡れていた。ぼくはちょうどワックスの剥けた乾いた床に全体重を預けてしまったらしい。すっ転ぶ。うつ伏せに倒れる。膝小僧をしたたかに打った。それでも立つ。へろへろになりながら、面を打った。


 そして、そこでもう一回、転んだ。


 振りかぶったような軌道を描いた竹刀を、それでもぼくは手放さなかった。面金から下降線をたどって床に落ちていくぼくと、その竹刀の先端。それはうまく夏野先生の面──その首元にある、突垂(つきだれ)に当たった。

 あとで聞いたところによると、これは高等部にのみ許された「突き」という技らしい。しかしぼくは面を打つつもりで、強く押し付けて夏野先生の首を貫いた。おそらくそれを分かった上で「突き!」といえば一本取れたかもしれない。しかしぼくは無我夢中で、いま自分が何をやったのかを理解していなかった。稽古終わりに先輩方から「よくやった!」と言われて初めて自分が何をしでかしたのかを思い知らされたのである。やっぱりみんな先生から厳しくしごかれてばかりなので、ぼくの〝事故〟に内心喝采だったそうだ。


 けど、その時はそんなこと、知る由もない。ぼくがもう一度立ち上がったとき、夏野先生が人一倍厳しい面持ちでぼくの面を叩きつけた。それは中嶋なんかが打つよりももっとずっと痛くて的確な面だった。おかげでぼくは、その日だけありえないほどしごかれたのであった。

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