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ヘタレ剣道一本勝負  作者: 八雲 辰毘古
入段試験:歴史が継げない僕らについて
18/23

第18話.おれ、天井に手がついちゃうタイプだからさ。

 ところで、初心者にとって試合練習と錬成会の区別ほどわかりにくいものはない。


 一般的に、中学なり高校なりの全日本剣道連盟が主催する大会を公式戦(または公式大会)と呼ぶ。年二回、春と秋の二回開催で、秋の方は時期的な都合から「新人戦」とも呼ばれている。これはトーナメント形式で、国内最強を競い合う晴れ舞台だ。高校生のものについてはインターハイとも言う。

 いっぽう、全日本剣道連盟以外の学校や道場、地方の剣道連盟が主催する稽古会を「錬成会」と呼ぶ。ここで注意したいのは、必ずしも大会ではないということだ。あくまで複数の道場や学校を巻き込んでの練習試合や合同練習のことをそう呼ぶこともある。


 とはいえある種の錬成会においては、ほとんど公式戦に負けず劣らずの真剣なトーナメント戦を行うものもある。

 玉竜旗(ぎょくりゅうき)はその好例だ。


 しかしぼくらが参加する「錬成会」というのは、そこまで大仰なものじゃない。


 十数校を一堂に集めての総当たり戦──もちろん、一軍と二軍を分けての参加である。言わずもがなでぼくや中嶋、大木は二軍。新人戦レギュラー陣は一軍として、この場に臨んでいる。


「ようやく試合、かあ」


 中嶋は、感慨深そうに胴垂れを付けて、体育館を見下ろした。


 二階、と言っていいのか、とにかく、体育館の内側の階段を登った先、ステージすらも高く俯瞰するエリアにぼくらは位置する。

 東上線志木駅に現地集合してやってきたそこは、地下道場付きの複雑な構造の体育館であった。


 すでに先着している複数校がウォーミングアップアップを始めている中、ぼくらタマキタも場所取り合戦をするかのように練習スペースを確保する。縦横合計十人。補欠なしのギリギリのメンバー構成だった。

 切り返しをして、技練習をやって、地稽古もして、自分の自信のある技も自信のない技も自分で選んで、それであっという間に三〇分が経った。時刻はまだ九時。すでに肌から汗が浮き立っている。


 でも、これからだ。

 これからなのだ。


 形だけの集合とあいさつがあって、試合場の割り当てと、チーム構成が決まった。一軍は言わずもがな、二軍の構成については次の配役で決まった。


 先鋒:大木

 次鋒:星野(ぼく)

 中堅:中嶋

 副将:佐伯先輩

 大将:窪田先輩


 まあ、妥当ちゃ妥当である。実力的にも、経験的にも。

 とはいえ緊張でガチガチだ。ふだんすごい試合を見ているだけに。いや、目だけ肥えているだけに。


 自分がその舞台に、非公式とはいえ、立つなんて。


「ま、まず声出して、おもっきりやればいいよ。おれらの勝ち負けなんてそこまで重要じゃないしね」


 佐伯先輩が励ますように、そう言った。


 メインの体育館は一軍の総当たり戦用だった。試合表はあらかじめ決められた時間・場所で、三チームを単位に順繰りにやってくるようにできている。

 例えば第一試合場ではタマキタをはじめとした三校の主力チームが、一、二、三と番号を割り振られ、一番と二番が戦い、三番が審判という形で最初は始まる。この試合が終わると二番と三番が戦い、一番が審判、そして最後に一と三、二の組み合わせが終わると、次のコート割当に進む。


 一試合が延長や代表戦を抜きにすると、基本的にひとり三分、それが五人相当。つまり十五分と考えると、それが三回──四十五分強で一巡する。

 もちろん時間は有限だ。開始を九時とすれば、昼休憩を挟んでも、だいたい十七時か十八時で終わる。いろいろ計算すると、だいたい八周すれば終わり、ということになる。


 十六試合。それがこの錬成会におけるぼくらの試合回数だ。


 二軍でもそれは変わらない。唯一異なるのは、参加校のうちで二軍まで連れてくる学校が多くないため、同じ相手と何度か戦う予定が出てくると言うだけのことだ。


 十六試合。いくら途中に休みがあれ、気の遠くなるような回数を、ぼくらはいきなりやらなければならない。


「やることはたくさんあるからな。ちゃんと覚えてけよ」


 試合表を見る。紅白タスキを付けてちゃんと審判にわかるようにする。試合結果を記録する。相手校の名前、相手の名前をきちんと見て書き込む。ほかもろもろ。

 こういうことを、先輩方はふだんからやってきていたのだ。ぼくは稽古しか知らなかったから、いまさら新しいことばかりで目が回った。そのうえ、自分で自分の試合をしなければならない。


 緊張する。


 二軍は、地下の剣道場だった。コートが二つしかない。その片隅に陣取りながら、最初の組み合わせで当たる学校名と、自分たちのコートの場所を探す。

 ふと、中嶋が渋い顔をして上を見た。


「天井低いな、ここ」


 手を伸ばすと届いてしまいそうだった。身長一八〇強のこの男の前に、防音のための穴ボコだらけの天井が立ち塞がる。窪田先輩がそれを茶化した。


「ぶつかったら笑えるんだけどな」

「いや、冗談にもならないですよ」

「ほんとかあ」


 隣りで大木がボソボソ言って笑った。また座敷わらしと会話でもしているのだろうか。


 とにかく、ぼくらの錬成会はこのような感じで始まった。


 まず先鋒大木は振りの小さい小手、面で攻めて早くも一本。相手はあまりトーナメントでも名前を聞かない中学の、それも二軍で、申し訳ないけどぼくから見てもずさんな剣道をする人だった。

 なにせ面を打つのにわざわざ振りかぶるのである。そんな大ぶりな、しかも教科書通りの動きしかしてないようではさすがに大木とて舐められたと感じるだろう。二、三の鍔迫り合いがなされたと思ったところを、大木は引き胴。しかし打ちが弱く、同年代の審判の旗がなかなか上がらない。


 もはや痺れを切らしたのか、それとも破れかぶれになったのか、大木はすかさず小手を打つ。きれいに音が鳴る。

 ところが──後から振りかぶった面が、大木の頭を叩いていた。旗は相手側の色に振り上げられている。


 まさかの一本取られる。これには誤審と文句を言いたくなる気持ちすら湧く。


 剣道は礼儀のスポーツだ。しかしだからと言って、こうした事態に平静でいられるほど、選手全員が紳士であるわけでもない。


 二本目。すかさず小手、面。大木の一本が高らかに上がる。

 ぼくらは拍手で応援する。むろん、ぼくひとりは面をつけて次の試合を待つばかりなのだが。


「なろー、最初からそれぐらいちゃんとやれってんだよ」


 ぼそっと佐伯先輩が言った。怖っ、と思った。


 結局試合はそこで時間切れ。正式な試合ではないので、部屋の片隅にあるタイマーは無情にも三分を切り始めた。


 ぼくの番だ。


 剣道の試合は、そのコートの外側から入る際に一礼する。その後、左手で持った竹刀を腰に帯び、三歩進む。一、二、三。その最後で竹刀を抜き、両手で持って構え。そしてソンキョの姿勢に移る。


「はじめっ!」


 中学二年生の主審の声が、耳に入るか入らないかの瞬間に、立ち上がる。

 相手はぼくと同じか、ちょっと背が高いかの体格だった。向き合う。その面金から覗く目は、負けん気の強そうな、しかしどこか的はずれな険しさを帯びている。ぼくはと言えば、とにかく声を出すしかなかった。「イヤーッ!」「グォーッ!」側から見ればこっけいなぐらいの奇声が飛び交い、ぼくは剣道の基本のキの字すらど忘れして立ちすくんだ。


 まるでそれを見てとったかのように、相手が飛び込んでくる。しかし振りかぶって下す面。ワンテンポずれた攻勢に、むしろ隙だらけの胴がむざむざと晒される。

 ぼくも可能だったらそこに胴、と打ち込んでやりたかった。しかし悲しいかな、胴の動きはちっともキレが悪いまま、まるで真横の竹刀で撫でたようなかたちになる。抜けきらない。打ち込んだ手応えもない。頭は常にパニックに陥っている。


 次は。次は? 次は!


 すり足もする。抜ける。いや、相手の身体が押し寄せる。鍔迫り合いに持ち込まれ、相手の身体の中心線を奪い合う。


 剣道の試合では、構えている竹刀が相手の中心の縦線を捉えているかどうかが重要だ。まず面、小手、胴。すべての実技が身体の中心を前提としている。小手だからと言って横に逃げるなんてことはない。あくまで眉間、鼻、あご、のど、みぞおち、そして股間に至る大切な身体の部位がまとまっているラインを狙い、そして守るのだ。

 ぼくが狙っていたのは、その中心線を奪い返すことだった。


 いま、ぼくと相手のあいだで交わされているやりとりは、互いにブレブレの中心線の奪い合い、のはずだった。


 しかし相手はすきあらばすぐに振りかぶり、ぼくはそれを守るように動いてしまう。もし経験者がこれを外から見たらただ攻められているだけに見えるので、とてもイライラさせられることだろう。ぼくが打つとそれが逆になるだけ。まるでターン制バトルでもしているかのように、あっちが打って、こっちが打って、という感じなのだ。


 もしかすると──いや、もしかしなくても、ぼくも相手も初心者なのだろう。一年そこそこ素振りから頑張って、今回が初試合なのかもしれない。同じぐらいぼくと緊張して、基本を忘れないように一生懸命なのかもしれない。ひょっとすると、先輩方に「お前は面しか打てないんだから、とにかく面でいけるだけやってみろ」と言われてきたかもわからない。

 けれども、残念ながら、一度稽古の世界から一歩外に出てしまえばそれは勝負の世界なのだ。勝負の相手は決して待ってはくれない。打たせたいと思って的を見せてくれるわけではない。


 むしろ逆なのだ。打たせるわけにはいかないし、勝たなくてはならない。負けても挫けてる場合じゃないし、確信がなくても勝負しなくてはならない。


 このことを確信したのはこの時ではなく、もっとずっと後になってからなのだが、それでもぼくはいつしか怒りにも似た衝動を感じていた。同情している場合でも、相手のペースに付き合うわけにもいかない。ただ、ぼくはこのいま目の前の相手と向き合って、一本持ち帰るべきなのだ。


 パッと出た。まるで我慢していたのを吹っ切るような飛び込み、そして面と打つ。


 まるでためていたゴムがぷちんと切れて弾けるような一瞬、ぼくは初めて試合で一本を取ることに成功していた。

 それは夢のようにふわふわした体験だった。でも、試合は続いていた。


 ブザーが鳴る。一本勝ちで、圧勝とはいかなかったが、とにかく勝った。これがぼくの初めての他校試合の記憶である。


 続いて、中嶋だったが、これには想定外のハプニングが起きた。


 一八〇センチメートルの巨体に向き合うのは、一五五センチ相当のやや小柄。身長差は圧倒的で、相手が中嶋の面を狙うのはほぼ不可能。だからひたすら小手に逃げていた。中嶋はその小手に逃げようとする相手の面を、引き面の要領で打ってやれば、クリーンヒットするはずなのだ。


 いや、そこまではちゃんとできていた。


 引き面は、その打ち方の性質上、打ったら振りかぶる姿勢になる。残心に移るとそのまま後退し、発声で打った部位の名を叫びながら、距離を空けて、構えなおす。これが一連の動作だ。

 ところが中嶋の引き面は、そのまま天井に刺さった。


 どん、という妙な音がしたかと思ったとき、その事実が発覚した。「あっ」という声が間抜けにも聞こえた気もした。

 そしてそれを見逃すほど、相手も甘くはなかった。すかさず胴が飛び込んで、きれいな音が道場に通った。旗が三本上がる。ついでに押し殺したような笑いさえも聞こえた。


「まじかよ」


 窪田先輩は怒るよりも笑っていた。


 その後、佐伯先輩は堅実な戦い方で一本勝ちし、窪田先輩は二本勝ちした。さすがにレギュラーほどではないとは言え、タマキタでやってきた練習がしっかりと成果に結びついてくれたのだった。

 ただ、ぼくのその後の戦績はイマイチで、十六回あった戦いのうち、ちゃんと勝ったのはせいぜい二回、引き分けが六回、あとは一本負けか二本負けかの違いしかない。


 打った本もすべて面。まだまだ、全然弱っちいことがわかりきっただけなのだった。

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