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きずな君の記憶③【喧嘩とすれ違う想い】

 月日はあっという間に流れ、俺達は高校を卒業した。

 地元を離れ、俺達は二人そろって東京の大学に進学する。けれど、学校は別々だった。



「さすがにわたしの学力じゃ、きずな君と同じとこには行けないよ」



 逢璃がそう言うから、俺は自分の志望校を変えるつもりだった。二人で同じ大学に通うために、と。

 けれど、逢璃は物凄く怒った。怒って、しばらく口を利いてくれなくなった。これには物凄く困った。このまま別れると言われるんじゃないか。そう思うと不安で、胸が痛くて堪らなかった。



「ごめん、逢璃」



 何度も何度も、俺は謝った。けれど、逢璃は険しい表情を浮かべたまま、俺から目を背ける。正直言ってお手上げだった。けれど、逢璃を諦めることなんてできない。めげずに声をかけ続けたある日、ようやく逢璃は俺のことを見た。



「きずな君――――わたしがどうして怒ってるのか、分かってる?」



 問われて俺は驚きに目を見開いた。



「そ……れは…………」



 正直言って俺は、逢璃が何故怒っているのか、その理由をきちんと考えていなかった。彼女に許してほしいと、そのことばかりを考えていた。逢璃はそんな俺の考えを見透かしていたのだ。



「わたし、きずな君には自分自身の人生を大事にしてほしい」



 逢璃はそう言って俺の手を握った。久々に感じる逢璃の温もりに、目頭がグッと熱くなる。



「きずな君がわたしのことを大事に思ってくれてるのは分かってる。だけど、わたしのために何かを諦めたり、変えたり――――そういうのは嫌だよ。ちゃんと、きずな君自身を大事にしてほしい」



 気づけば逢璃はポロポロ涙を流していた。



「ごめん……ごめん、逢璃」



 今ここに誰もいなくてよかった。泣きじゃくる逢璃を抱き締めながら、俺はそんなことを思う。



「ちゃんと考えるから――――だから、俺と仲直りしてほしい」



 逢璃はしばらく悩んだ挙句「うん」と小さく呟いた。

 喧嘩らしい喧嘩をしたのなんて、あれが初めてだった。




「きずな君のお家、すごく広くて綺麗だね」



 引っ越し作業が終わったばかりの俺の部屋を見て、逢璃はそう言った。

 当然だけど、家は別々に借りた。逢璃の家は彼女の大学から徒歩五分。対する俺の家は、自分の大学から5駅程離れた場所にある。逢璃の家から徒歩十五分程のマンションだ。この距離ならいつでも逢璃に会いに行ける――――そう思って借りた。



「物が少ないからそう感じるんだと思う。多分、逢璃の家とあんまり変わらないよ」


「そうかなぁ~~? あっ、わたしの家にも沢山遊びに来てね! きずな君をお家に呼ぶの、夢だったんだから」



 逢璃はそう言ってニコリと笑う。俺は逢璃に手を伸ばし、ギュッと抱き締めた。

 ここなら誰に見咎められることも無い。人目を憚ることなく、逢璃を抱き締められる。

 時刻は22時。俺達しかいない室内に、時計の針の音が響く。



「――――そろそろ送るよ。あんまり遅くなると危ない」



 俺はそう言って逢璃を撫でる。逢璃は少しだけ目を丸くし、それから唇を引き結んだ。不満がある時の、彼女の癖だ。ちゅっ、と触れるだけのキスをして、俺は逢璃を腕の中から解放した。これ以上は危険だ。俺の理性がもたない。



「――――――もう少し、一緒に居たい」



 言いながら、逢璃は俺をキツく抱き締めた。心臓がバクバクと鳴り響く。喉の奥が熱く、何かがせり上がってくるような感覚がした。



「明日も会えるよ。今度は俺が会いに行くから」



 大学が始まるまであと数日ある。それまでは互いの家の片づけや、逢璃のバイト探しをしながらゆっくり一緒に過ごせば良い。



「そっか……分かった。好きだよ、きずな君」



 逢璃が俺の胸に顔を擦りつけながら呟く。心臓と身体が燃えるように熱い。



「俺も、逢璃が好きだよ」



 どうしようもないほど、君が好きだ。




 大学生活が始まって以降は、お互い忙しく過ごしていた。逢璃は大学の合間、週五日アルバイトをしている。慣れない一人暮らし、学校生活を送りつつも、少しでもご両親の金銭的負担を減らしたいのだと言う。



「社会勉強にもなるしね」



 そう言って逢璃は笑うけど、逢璃の世界が広がることは、俺にとって恐怖の対象だった。

 天真爛漫で可愛らしい逢璃のことだ。大学でもバイト先でも、男たちの気を引くことは間違いない。もしも俺ではない、誰かを好きになってしまったら――――そう思うと不安で仕方なかった。


 俺は毎日、バイト帰りの逢璃を迎えに行った。名目は『夜遅くて危ないから』だけど、当然目的はそれだけじゃない。逢璃には俺がいるのだと、他の男に牽制を掛けたかった。



「こんなに毎日、大変じゃない?」



 俺が迎えに来るたび、逢璃はそう言った。



「ちっとも大変じゃないよ。ここに来れば逢璃に会えるし」



 欲を言うなら、いつでも何処でも、俺は逢璃と一緒に居たかった。当然、それが叶わぬ願いだと分かっているけれど、それでも。



「ねぇ、今夜は家に上がって行ってよ」



 逢璃の部屋の前まで送り届けると、いつものように彼女はそう口にする。



「送ってもらったのに、お茶の一つも御馳走できないなんて寂しいもん」



 俺の服の裾をギュッと掴んで、逢璃は上目づかいで俺を見つめる。その途端、胸を掻きむしりたくなるような強い欲望が俺を支配した。



「――――――明日提出のレポートをそのままにしてきたから」



 苦し紛れの嘘だった。そんなもの、本当はとっくの昔に終わっている。



「そっか……分かった。ごめんね、わがまま言って」



 逢璃はそう言って寂しそうに笑う。本当はこんな顔をさせたい訳じゃない。けれど俺は、彼女を傷つけることが怖い。傷つけて、幻滅させて、俺から離れて行って欲しくない。

 自分でも信じられないほど、醜くて浅ましい欲。



(逢璃がほしい)



 逢璃に俺だけを見てほしい。俺だけを求めてほしい。彼女の全部に触れて、キスして、俺の名前しか呼べないように、めちゃくちゃにーーーー自分だけのものにしたかった。


 逢璃が俺との関係を進めたいと思ってくれていることは分かっている。けれど、それはきっと俺と同じ気持ちじゃない。

 臆病者の自己保身だと分かっていても、どうしても踏み込むことができなかった。



 そんなある日のこと。知らない携帯番号から俺に電話が掛かって来た。怪訝に思いながらも出てみると、相手は同じ高校に通っていた同級生だった。逢璃と同じ学校に通っている。



「おまえ、このままじゃ彼女盗られるかもよ?」



 彼は俺に向かってそう言った。一瞬で世界が崩れ落ちるような心地がする。

 なんでも、逢璃は同じ学部の年上の先輩から気に入られ、日々アプローチを掛けられているらしい。人目も憚らず好意を言葉にし、逢璃もまんざらでもない様子だと。心配した同級生が、気を利かせて連絡してくれたのだ。



(逢璃が俺の側からいなくなる?)



 煮え切らない俺の態度のせいだろうか。それとも、逢璃の気持ちがいつの間にか薄れていたのだろうかーー俺が気づかなかっただけで。


 居ても立っても居られなかった。急いで逢璃の大学に向かい、彼女の姿を探す。講義中かもしれないとか、友人と一緒かもしれないとか、そういうことはどうでも良かった。

 逢璃に会いたい。会って、俺がどんなに彼女を想っているか伝えたかった。



「逢璃!」


「――――きずな、君?」



 散々走り回った挙句、俺は逢璃を見つけた。ちょうど休み時間だったらしく、数人の友人たちと一緒に中庭に腰掛けている。その中に、件の先輩がいるのかは分からないが、俺は急いで逢璃の側に駆け寄った。逢璃は目を丸くしつつ、友人たちから離れて俺を出迎える。



「どうしたの? そんなに慌てて……」


「好きだよ、逢璃」



 俺はそう言って逢璃を抱き締めた。逢璃は「へ⁉」と素っ頓狂な声を上げ、オロオロと視線を彷徨わせている。



「きずな君、急にどうしちゃったの⁉ 恥ずかしいよ……皆、見てる」


「ごめん。でも、言わせて。好きだよ、逢璃。好きだっ! お願いだから、俺以外の奴の所に行かないで――――」



 逢璃を抱き締めながら、俺は懇願する。逢璃が目を見開いた。

 後から思えば、この時の俺のこの行動で逢璃に嫌われる可能性もあったというのに、俺は馬鹿になっていた。逢璃のことしか見えない、本当に大馬鹿者だ。



「行くわけないよ」



 だけど逢璃はそう言った。怒気を孕んだ声音。見れば唇を真一文字に引き結び、ポロポロと涙を流している。



「こんなに――――こんなにきずな君が好きなのに。きずな君だけが好きなのにっ。他の人の所に行くわけない。好きになるわけない。きずな君の馬鹿!」



 そう言って逢璃は俺を抱き返した。身体が小刻みに震えている。俺と同じかそれ以上に熱い。小声で何度も「きずな君が好き」と繰り返し、逢璃は俺に縋り付く。



「ごめん、逢璃」



 言いながら瞳から涙がこぼれ落ちた。

 俺はきっと、逢璃のことをちっとも理解できていない。逢璃はちゃんと、俺のことを想ってくれてる。きっと俺と同じかそれ以上に。怖がって、ずっと知ろうとしなかったのは俺の方だ。



「ねぇ……今夜、逢璃の部屋に泊めてくれる?」



 囁くように問えば、逢璃は耳まで真っ赤に染めて俺を見つめる。

 己の欲を見せる怖さが完全に無くなった訳じゃない。けれど逢璃ならきっと受け入れてくれる。



「――――うんっ! 楽しみにしてる」



 そう言って逢璃は泣きながら笑う。あまりの愛おしさに、俺は彼女と一緒になって笑うのだった。

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