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「逢璃」



 きずな君は笑っていた。泣きそうな表情で、けれど優しい眼差しで、わたしを見つめて笑っている。



「お別れの時間だ」


「そ、んな……」



 その瞬間、周りの景色が一気にぼやけ、わたしたちは真っ白な空間の中、二人ぼっちになった。



『アイリス』



 遠くから旦那様の声が何度も何度も、響いている。その度に世界がぐわんと揺れて、上に押し上げられている感覚がした。



「待って、きずな君!」



 わたしはそう言って首を横に振る。きずな君は困ったような笑顔を浮かべ、わたしを思い切り抱き締めた。だけどその時、気づいてしまった。きずな君の身体が、足の方から少しずつ透けて消え始めている。



『アイリス』



 旦那様の声が真っ白な世界に木霊する。涙が止め処なく溢れた。

 きずな君は笑っていた。わたしを好きだと言ってくれた、いつもの、あの温かい表情で笑っている。



「やだよ……わたし、きずな君とずっと一緒に居たい」



 わたしはそう言ってきずな君に縋りついた。きずな君の身体は、もうお腹の辺りまで透けてきている。ついさっきまでリアルに感じていたきずな君の存在が、どんどん遠ざかっていくのが分かる。怖くて嫌で、堪らなかった。



「俺はいつだって逢璃の側に居るよ」



 きずな君はそう言ってわたしを抱き締めた。気づいたらわたしは『逢璃』じゃなくて『アイリス』に戻ってしまっていて。それがあまりにも悲しくて、何度も首を横に振って涙を流した。



「違うよ……ここを出たら、きずな君はわたしの側に居てくれない! わたし以外の人と結婚して、わたし以外の人を愛するんだもん! わたしはきずな君が――――旦那様のことが大好きなのに! 旦那様にも大好きだって思って欲しいのに! ダメなんだよ。わたしじゃ、ダメなの」



 こんなこと言ったら、きずな君にまで嫌われるかもしれない。そんなの嫌だって思うのに、気持ちが押さえられなかった。止め処なく流れる涙と言葉。だけどきずな君は、それら全てを受け止めてくれた。



「……逢璃は、俺が逢璃以外の人を愛するなんて、本当にそう思うの?」


「…………思うよ。だって、きずな君と旦那様は別の人間だもの」



 呟きながら、胸がギュッと軋んだ。

 わたしだってそう。『逢璃』と『アイリス』は魂が同じなだけで、別の人間だ。たとえ記憶を引き継いでいたとしても、絶対そう。だから、記憶のない旦那様は猶更、きずな君とは別の人間だ。



『アイリス』



 旦那様の声が木霊する。絶え間なく、わたしの名前を呼び続けるその声に、わたしの心臓は揺らぎ続ける。



「ねぇ、逢璃」



 きずな君はそう言ってわたしを優しく引き剥がした。アイリスに戻って、身長が低くなったわたしに合わせ、きずな君は屈んでくれる。



「君の言う『旦那様』は、確かに俺とは別の人間なのかもしれない。だけどね、もしも生まれ変わったら……俺はまた逢璃を探すよ」



 きずな君の黒い瞳が、旦那様のエメラルドみたいな瞳とダブって見える。白銀のサラサラした髪の毛が靡いて、わたしの心を大きく揺さぶる。大好きな旦那様の姿が、きずな君の向こう、目の前に見えた。



『もしも生まれ変わったら、また一緒になろうね』



 前世でわたしがそう口にしたとき、きずな君は困ったように笑っていた。返事は無かったけど、わたしはそれを承諾の意味と捉えた。

 だけど、現世で旦那様に婚約者がいるって知って。きずな君は生まれ変わってまで、わたしと一緒にいたくなかったんだなって思った。全部わたしの勘違いだったんだって。だけど、そうじゃないのだとしたら。



「本当に? 生まれ変わっても、わたしと一緒に居たいって思ってくれる?」


「当然だろう? 逢璃のいない世界なんて耐えられない。だから俺は、生まれ変わっても絶対、逢璃を探す。もう一度、逢璃に俺を好きになって欲しい。逢璃を俺のものにしたい。逢璃が毎日笑顔で、幸せだって思ってもらえるように頑張るから」



 きずな君はそう言って、わたしを優しく撫でた。

 ここにいるきずな君は、わたしの記憶が写し出した『夢』なんだろう。だけどそれでも、これはきずな君の本心だと思った。そう信じたいって強く思った。涙でぐちゃぐちゃになったわたしの顔を拭いながら、きずな君――――旦那様が優しく口づける。抱き締めあった身体が、とても温かった。



「逢璃――――俺はいつも、君に先を越されてばかりだ。だけど本当は、凄くせっかちな男なんだ」



 わたしに先に告白をされたことを言っているんだろうか。きずな君はそう言って少し悲し気に眉を寄せる。



「だから今、逢璃の隣に生まれ変わった俺がいるなら、それは、逢璃に少しでも早く会いたくて、待ちきれなかったんだと思う」



 きずな君の言葉に涙が止まらなかった。



(そうなのかなぁ)



 旦那様は、わたしに会いたいって想ってくれていたんだろうか。だからまた、出会うことができたんだろうか。

 ついこの間までのわたしなら『自分の願望』としか思えなかったけど、今は違う。他でもないきずな君の言葉だから。信じたいと強く思った。



「ねぇ、きずな君……わたしが大人になるまで、旦那様、待っててくれるかなぁ?」



 ポロポロと涙を流しながら、わたしは笑う。きずな君がせっかちだって言うなら、旦那様だってせっかちなはずだ。わたしが大人になるまで、あと五年。その間待っていてもらえるのか、不安が無いっていったら嘘になる。

 すると、きずな君はわたしと同じように笑って、強くわたしを抱き締めた。



「大丈夫。俺が逢璃以外を好きになるなんてあり得ない。俺のお嫁さんは、逢璃以外いないんだよ」


「……そっか。だったらわたしは、可愛いお嫁さんになれるように頑張らなきゃだね」



 わたしはそう言って笑った。

 わたしの額や頬、唇を、きずな君の唇が撫でる。



「好きだよ、逢璃。ずっとずっと、逢璃の側に居る。逢璃だけを愛してるよ」



 きずな君の言葉に、わたしたちは顔を見合わせて笑う。



「わたしも、ずっと、ずーーーーっと、きずな君が大好き!」



 きずな君は少しだけ目を見開いて、それから潤んだ瞳で微笑みながら、わたしを抱き締めた。



(ありがとう、きずな君)



 温かい気持ちに包まれながら、小さな声でわたしは呟く。涙があふれて前が良く見えない。旦那様ときずな君の影がさっきよりもピタリと重なって、わたしはゆっくりと目を瞑った。



「――――アイリス!」



 わたしを呼ぶ声が、すごく近くで聴こえる。目を開けると、わたしは旦那様の腕の中にいた。


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