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命の恩人は前世の旦那様

(どうして忘れてたんだろう?)



 ザワザワと音を立てて草木が揺れる。

 風を切る鋭い音に次いで聞こえる、肉を断つ鈍い音。

 わたしの傍らには、つい先程こと切れた、この世界での両親が横たわっていて、血なまぐささに吐き気が湧き上がる。



(でも、でも……)



 わたしの瞳は、目の前の美しい男性に釘付けだった。

 お星さまを集めたみたいな眩く輝く白銀の髪の毛に、エメラルドみたいに鮮やかな緑色の瞳。ほんの少し尖った耳と、頭から生えた二本の角が、現世の彼がわたしとは違う種族だってことを示している。

 だけど、どんなに姿かたちが変わったって間違いない。



(旦那様だ!)



 瞳からポロポロと涙が零れ落ちる。

 大好きな大好きな、わたしの旦那様。前世の彼とわたしは仲睦まじい夫婦だった。

 何処に行くにも何をするのも一緒で、毎日ひたすら幸せで。

 生まれ変わっても絶対、絶対に一緒になるって、わたしたちはそう約束をした。



(今の今まで忘れていたけど)



 わたしは旦那様ともう一度巡り会うために、もう一度神様から命を貰った。きっと、そう。そうに違いない。



「怪我は?」



 その時、旦那様がわたしに声を掛けた。身体がぞくぞくするような甘くて冷たい、素敵な声。



(旦那様! ……っ⁉ )



 今すぐその胸に飛び込みたくて足を踏ん張ってみたけど、身体が言うことを利かない。見れば、足に大きな裂傷が出来ていた。ドクドクと血が吹き出し、そこを中心として身体が熱い。

 それまで気づかなかったのが嘘みたいに、痛みが小さな身体を蝕んで、思わず全力で叫びだしたくなった。



「あっ……あぁ…………」



 変な汗が流れ落ちる。さっきまで物凄く熱かったのに、今度はとてつもなく寒く感じられるようになって。目の前の血だまりに絶望的な気持ちになる。

 もしかしてわたし、また死んじゃうの?折角また、旦那様に会えたのに。また、旦那様の側にいられるようになったのに。



「風切族の裂傷か――――」



 旦那様はそう言って、わたしの前に跪いた。

 旦那様の藍色の服がわたしの血で汚れていく。ダメだよ、折角綺麗なのに!わたしの血のせいで旦那様が汚れるなんて嫌!そう伝えたいのに、唇が上手く動かない。



「あいつらが付けた傷は、かすり傷程度の小さなものでも、時間が経つにつれ大きく広がり、やがては全身を切り裂く」



 旦那様はわたしの傷口を観察しながら恐ろしいことを口にした。



(折角、会えたのになぁ)



 感情の読みとれない綺麗な綺麗な顔も、思わず飛びつきたくなる魅惑的な身体も、大きな手のひらも、冷たいようで温かい眼差しも、全部全部愛しくて堪らない。

 もっと一緒に居たかった。旦那様の側に居たかった。大好きだって伝えたかったのに。



「えっ⁉ 」



 その時、旦那様が持っていた刀を自分の腕に押し当てた。鮮やかな赤い血液が勢いよく流れ落ちる。見ているだけで痛々しくて、心が苦しい。自分の怪我の痛みよりも、たった十年で現世を終えてしまうことよりも、ずっとずっと辛い。



「静かにしてろ」



 旦那様はそう言って、腕に滴り落ちた血液を啜った。真っ赤に染まった唇が綺麗だなぁ、なんて思う間もなく、旦那様の顔がわたしの足に近づいてくる。



(えっ⁉ えぇっ⁉ )



 静かにしてろって言われたから必死に口を噤んでいるけど、正直言って今のわたしはパニック状態だ。

 チュッと優しい音を立てて、旦那様の唇がわたしの傷口を撫でる。裂けた肉を繋ぎ合わせるように、唇が動き、塞がった傷を癒すように舌が上をなぞる。

 こそばゆくて、それから恥ずかしくて。旦那様の唇がわたしに触れてるって思うだけで、もう死んでもいいかも、なんて思ってしまう。

 それから旦那様は、ご自分の血液を口に含んで、それからわたしの傷口に口づけるという行為を何度か繰り返した。そうしているうちに、段々と痛みが引いてきて、変な汗も引っ込んでいく。ふくらはぎの一番下まで丁寧に口付けてから、旦那様はゆっくりと顔を上げた。



「――――まだ痛むか?」



 旦那様の顔がこんなに近い。心配そうな表情が、優しい眼差しが物凄く愛しくて、涙がポロポロ溢れた。



「あれはおまえの両親か?」



 何も言わないわたしに、旦那様は質問を重ねる。

 既に魂の抜け落ちた両親の亡骸。そちらの方をチラリと見ながら、旦那様は眉間に皺を寄せた。



(あぁ、そっか。わたし、孤児になっちゃったんだ)



 今日までわたしのことを大事に育ててくれた両親はもういない。前世と違って、魔族が多数犇めき合うこの世界でひとり、わたしは生きて行かないといけないんだ。そう思うと身が竦んだ。



「おまえ、名前は?」


「――――――アイリス、と申します」



 その瞬間、旦那様はわたしのことを覚えていないんだってハッキリわかった。でも、あんまりショックじゃなかった。だって、覚えてなくてもわたしのことを助けてくれた。こうして傷を癒してくれて、それだけでも十分だもの。



(嘘。本当は全然十分じゃない)



 だってだって、また巡り会えたんだもん!生まれ変わっても一緒になるって約束したんだもん!側にいたいに決まっている。ずっとずっと、一緒にいたいに決まっている。



(あれ……?)



 そんなことを考えていたら、段々と頭が痛くなってきた。頭がくらくらして、猛烈に瞼が重くなって、気づいたらわたしは、意識を手放していた。

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